成歩堂日記 6月

6月30日(日)

 夜のこと。
「痛っ…………」
「あ、大丈夫ですかゴドーさん!」
「クッ……」
 手紙を開封していたゴドーさんが、指を舐めている。どうやらはさみで引っ掛けてしまったらしい。
「ちょっと待ってください……ああ、ちょっと切れてますね」
「そうか。オレには見えねぇからな。オレの血は赤いかい?」
「当たり前ですよ。……待ってください、今ばんそうこう貼りますから」

 ゴドーさんの部屋は、救急箱の場所だってもう知ってる。片づけをしてるのはほとんど僕だから、もうゴドーさん本人より詳しいかもしれない。
「……しみそうだな」
「何がですか?」
「シャンプー、だ」
「そんなこと、僕がやってあげますよ」
 何気なくそう言ってしまってから、ほんのちょっと後悔した。……一緒にお風呂、入るのか。男同士なんだから別に変じゃないんだけど、でも僕らは男同士なのにもう何度もキスなんかしてる。そんな僕らが一緒にお風呂に入るのは、健全なことなんでしょうか……?

 もちろん、何にもなかったんだけど。ただ、一緒にお風呂に入って、髪を洗ってあげて、ついでに体も洗ってあげて。
 僕はやっぱりおかしいと思う。

 昔、ちーちゃんという恋人がいた。本気で好きで、今でもやっぱり好きだ。
 それから、御剣という親友にも恋をした。今でももちろん、好きだ。……好きの意味は変えたけれど。
 今は、ゴドーさんという人に、こんなに惹かれている。

 僕はやっぱりおかしい。
6月29日(土)

 ああ、一週間って何て早いんだろう。

 昨日はイトノコさんが来てたので、御剣も誘ってみようかという話になり、検事局に行ったは良いものの、ちょうど御剣がオバチャンにからまれている場面に遭遇してしまった。
「アラヤダ、あんたたち、まだミッチャンにつきまとってるのかい?やだねえこれだから最近の若い者ときたら、アレだろ?オバチャンちゃーんと知ってるんだからネ。今流行りのストーカーって奴だろう?ミッチャンにストーカーが付くようになるだろうってことくらいオバチャンはお見通しだったヨだからこうしてミッチャンの身辺警護を買って出てるんじゃないのサなんだいそっちのばかでかいのはオバチャン聞いてないヨ誰だい……おっと、ちょっと良く見るとアンタちょっぴりオトコマエじゃないのサ。オバチャンはミッチャン一筋って乙女心に誓ったから浮気はしないヨでもイイオトコを見分ける目がさび付いたわけじゃあないんだ。それにオバチャンに浮気する気がなくったって、強引に誘われたらどうなっちまうか分からないねぇだってオバチャンの心は永遠のてぃーんねいじゃーだからネてぃーんねいじゃー!分かるかいオバチャンは……」

 慌てて逃げ出した。
「待ちたまえ成歩堂! 見捨てるのかーーーーーっ!」
「ゴドーさんをオバチャンの目に晒しておくと危険だ! お前は面が割れてるから今更しょうがないが、ゴドーさんはまだ逃れる術がある! すまん、御剣! 成仏してくれぇ!」
「おいおい、こりゃなんのパーティだい?」
「良いから逃げましょう、ゴドーさんっっ!」

 で、イトノコさんと僕とゴドーさんと、ついでに真宵ちゃんも一緒に飲みに行った。……保護者同伴なら未成年も店に入って良いんだよな、確か。だめだっけ? まあいいか。
「ゴドー検事……はもう神乃木さんッスよね。どうやったらそんなにオトコを磨けるッスか?」
「クッ……1日32杯のコーヒー……そいつはかかせねぇな」
「コーヒーッスね!自分もやってみるッス!」
「あとはそうだな……守るべきものを、見つけることだな」
「守るべき、物、ッスか」
 珍しくイトノコさんが真面目な顔になる。心の中に、それが、浮かんでいるんだろうか。イトノコさんの守るべきものが。

 僕の中にある守るべきものは、いったいどれだ?

「さて、そろそろ帰るとするかい、まるほどう」
「あ、送って行くッスよ、神乃木さん。タクシー呼んで……」
「いや、俺にはベンリなモノがあるからな」
 そう言ってゴドーさんは僕の肩をぐいっと引っ張った。
「えっ」
「送迎から掃除洗濯炊事まで、一家に一台、まるほどう、だぜ」
「あ、ああ。給料が払えないからってカラダで払ってるって話、本当だったッスか」
「そんな話、どこで聞くんですか!」
「クッ……間違っちゃいねえじゃねえか、なぁ所長サン?」

 そんなこんなで、今日もゴドーさんのところで一週間分の洗濯物を片付けたり、ご飯を炊いたりしていました。
6月28日(金)

 昨日の顛末をゴドーさんと真宵ちゃんに話した。
「もー、イトノコさん、全然話聞いてくれないんですよ……どうしよう……」
「もうお手上げかい? そのとんがったアタマはどうやら見掛け倒しみてえだな……クッ」
「アタマとイトノコさんは関係ないと思うんですが……」
「でも困ったねぇ。マコちゃんのことになるとイトノコさん、本気になっちゃうから」
 真宵ちゃんもため息を吐いて、水饅頭をほおばった。

「クッ……仕方ねえ。オレが行ってくるか」
「え、ゴドーさんが……?」
「一人のオンナを何があろうとどんな手を使おうと守ってやろうって心意気、気に入った」
「おおっ、一人のオトコのために、オトコが立ち上がるんだよなるほどくん! かっこいいねぇ! ほら、盛大にお見送りしてあげようよ!」

 何だか盛り上がる真宵ちゃんに見送られて、ゴドーさんは颯爽と事務所を出て行った。

 ……そして数時間後。

「感激ッス! 感動ッス! 男の中の男ッス! 自分は一生、神乃木さんについていくッスよ!」
「クッ……よせやい。照れちまうぜ」
 何だか盛り上がったイトノコさんを連れて、ゴドーさんは颯爽と帰還したのだった。

 いったいどうやって説得したら、ああなるんだろう。
6月27日(木)

「あいつはもう、凶悪犯ッス! 逮捕ッス! もー許せないッス!」
 ゴドーさんと真宵ちゃんに留守番を頼んで警察に来てみたら、第一声がコレだ。
「あの、イトノコさん、ちょっと落ち着きましょうよ」
「これが落ち着いていられるッスか!? さてはアンタ、やっぱりくんの味方ッスね? アンタも逮捕ッス!」
「い、いやいやいや! 僕はどっちの味方とかないですから! それよりいったい何があったのか、教えてくださいよ」

 刑事課で騒いでいたら叱られてしまったので、イトノコさんに連れられて「ゆっくり話のできる席」に案内された。
「……ってあの、ココ、取調室じゃ……」
「ここなら大声出そうが、逃げも隠れもできないッスよ。覚悟するッス、なるほどくん」
「いやいや、何で僕が覚悟しなきゃならないんですか!」
「アンタがやっぱりくんの味方じゃないと証明されたわけじゃないッスからね」
 イトノコさん、いつになく鼻息が荒い。こりゃ、ちょっとやそっとじゃおとなしくなりそうにないぞ……とほほ。

「やっぱりくんは、銀細工のアクセサリーだかなんだか、女の子がちょっと喜びそうなものでマコくんをつったッス。それでマコくんも騙されて、奴のいかがわしい露店を手伝って……まだやってたらしいんスよ」
「へえ……そうなんだ」
「マコくんの売り口上がうまいらしくて、やっぱりくんのアクセサリーはその筋の人間の間ではそこそこ名前も知れてきてるらしいッス。『M&Mズ』とかいうブランド名まで作ってるッス」
「政志とマコで、『M&Mズ』……どっかで聞いたことのあるような名前ですね。なんかこう、おくちで溶けて手で溶けないみたいな……」
 何だっけ、と僕が考えている隙に、イトノコさんはどんどん話を進めてしまう。僕の話、聞いてるのか?

「マコくんが売るアクセサリーは、何でも幸運のお守りとして効果があるそうッス」
「ま、まさか! マコちゃんって……悪運フルコース不幸のデザート付きみたいな子ですよね? それが何で幸運のお守り……?」
「自分も不思議に思ったッス。でも、どうやら本当らしいんスよ。特に指輪が、恋人たちを引き合わせる縁結びになるって評判で……どうしたッスか、なるほどくん?」
「あ、いや……(僕のこの指輪も、マコちゃんのオススメで買ったんだっけ)」
 なんとなく、左手を上着のポケットに突っ込んでしまった。

「とにかく、そこで自分は気づいたッス!」
「はぁ、何にですか?」
「マコくんは、自分の幸運を分け与えて、逆にお客さんの悪運を引き受けちゃってるッスよ! マコくんならやりかねないッス!」
「そ、そりゃありえそうな話ですけど……だから、なんですか?」
「だから、逮捕ッス!」
「ヤハリを?」
「そうッスよ!」

 ……………………あー……何というか。
 僕はどうすれば良いんでしょうか。
6月26日(水)

「ナルホドー!! 助けてくれ!」
 久しぶりのお客……かと思ったら、ノックもチャイムもなしに飛び込んできたのは矢張だった。
「どうしたんだ、矢張」
「今すぐ国外脱出するんだ! 誰の手も届かないところに逃げるんだよ!」
「クッ……誰の手も届かねぇ場所なんて、あの世以外にねえぜ。まずは頭を冷やして、コーヒーのアロマでも楽しんだらどうだい?」

 どうやら、マコちゃんの件でいまだにイトノコさんともめているらしい。それでとうとう逮捕状を出すの出さないのという話にまでなっているらしい。
「それで、マコちゃんは何て?」
「そりゃ決まってんだろ! この世の果てまで、あの世の向こう側まで、オレについていくってよ!」
 親指を立ててビシッとキメる矢張の主張は……明らかにうさんくささ100%だ。

「オンナのココロは、いつだってコーヒーの闇の中さ。同じ豆で淹れたって、毎回違うアロマと味になる。それが楽しみでもあり、期待外れなときもあるってことだ」
「えーと……オレにはよくわかんねえけど、マコちゃんはコーヒー、あんまり好きじゃねえんだよなぁ」
「いや、コーヒーはこの際関係ないから。……とにかく、イトノコさんと話してみようか?」
「いやぁ、こんなときしか頼りにならねえけど、頼りにしてるぜ親友!」
「……腑に落ちないな、その言い方」
6月25日(火)

「神乃木さんと仲直り、したんだね。偉いぞなるほどくん」

 真宵ちゃんに言われたとき、僕の顔、赤くなってなかったかなぁ……?
6月24日(月)

 ゴドーさんは、ただ傍にいるだけで、なにもしなかった。ただ、僕の傍を離れずにいるだけで、ただ、コーヒーを飲んでいるだけで。
 僕はずっとゴドーさんの体温を感じていた。
 黙って、音楽を聴いたり、なんとなく古い映画のビデオを流してみたり。それだけでなんとなく心地良い時間が過ぎていく。

 そういえば、もう一週間も経つんだと思った。僕が雨の夜に飛び出してから、ちょうど一週間だ。
 ゴドーさんの顔をじっと見る。相変わらず、私生活ではゴーグルを外しているので、ゴドーさんは僕の視線に気づかない。
(こっちを見ないかな)
 何を考えているんだろう。ぼんやりと映画の音を聞いているゴドーさんは、僕が見ていることに気づかない。
(本当に、気づかないのかな)
 顔を近づけてみる。まつげの長い、愁いを帯びた瞳は、何を見ているんだろう。
(僕が見えないかな)

 もっともっと、顔を近づけて、それでもゴドーさんは気づかない。
 ずっとずっと、気づかないものだから。
 もっともっと、顔を近づけて。
 それでもちっとも、気づかないから。

 一週間ぶりに、唇が触れた。
6月23日(日)

 どうしても分からない、と言ったら。

「分かるまで、考える。そいつがオレのルールだぜ」
 ゴドーさんはそう言って、優雅にコーヒーを淹れ始めた。

 コーヒードリッパーに2人分のコーヒー豆を入れ、先がごく細くなった専用のポットから、雫をたらすようにお湯を注ぐ。ポタポタと落ちていくお湯を見ながら、僕とゴドーさんは言葉にならない会話を交わし続ける。
 時間をかけて、1滴ずつ落ちていく茶色の液体。
 僕の心も時間をかけたら、あんなふうに透けて落ちていくんだろうか。
 いまだ僕にすら分からない僕の心は、ちゃんと形になるんだろうか。

 そうして僕らはたっぷりと時間をかけて淹れたコーヒーを飲んで、いつもより言葉少なく、一緒に過ごした。

 初めて、リビングのソファを使わなかった。初めて、ゴドーさんのベッドで一緒に寝た。
6月22日(土)

「こいつのワケを話してみな。聞いてやるぜ」
 ゴドーさんは僕の左手をつかみ、真剣な目でそう聞いてきた。
 こいつ……もちろん、ずっとはめているシルバーリング。

 でも、僕だってその理由なんか、まだ分からない。

「ただ、つけてるだけですよ」
「こんなものにとんと興味のなさそうな、アンタがかい?」
「そ……そうですよ」
「異議あり。被告の行動は不自然だぜ」
「僕は被告ですか」

「そうさ」
 ゴドーさんは言った。
「アンタは、はっきりさせるべきなんだ」
6月21日(金)

 いつものように事務所に鍵を下ろすと、真宵ちゃんが当たり前のように言った。
「じゃ、2人ともケンカしないでね」
「クッ……そいつは所長に言ってくれ。オレにそのつもりはないぜ」
「なるほどくん、神乃木さんをいじめちゃダメだよ? ちゃんとお世話するんだよ?」
 真宵ちゃんはほっぺをふくらませて、僕をにらんだ。

 ええと、僕は毎週、ゴドーさんのお世話する決まりになったんでしょうか?

「さて、行くとするか」
「え、あ……」
「カラダで返してくれるんだろう、成歩堂先生さんよ?」

 ううっ、ゴドーさんが言うとなんとなくいやらしいよな……。
6月20日(木)

 とは言いながらも、昼間は真宵ちゃんがいるからつっこんだ話もできず。

 帰りは普通にに「さようなら」と言って別れた。
6月19日(水)

「最近、じめじめしてるよねぇ」
 ゴドーさんは朝から病院に行ってる。真宵ちゃんがソファに寝転がっておせんべを食べながら、つぶやいた。開いているのは毎月愛読している「月間・ヒーロービジュアル」。……そんな雑誌まであるなんて、面白いなといつも思う。
「そうだね、梅雨だからね」
「そうじゃないよ。なるほどくんのことだよ」

 トノサマンの新シリーズ記事から目を離さないで、真宵ちゃんは何気なく言う。
「今週に入ってから、なんか変じゃない? ひょっとしてなるほどくん……」
 ちらっと僕を見る真宵ちゃんの視線に、思わず顔が赤くなる。真宵ちゃんが何かを知ってるわけもないのに。

「神乃木さんとケンカした?」
「……多分、ケンカした」
「あいまいだなぁ。だめだよなるほどくん、誰が悪いのかちゃんとわかんないと、トノサマンだって出動できないんだから」

 誰が悪いか、僕らには分からないだろう。僕は有罪か、それとも無罪か?
6月18日(火)

 事務所にいるとき、ゴドーさんはゴーグルを外す。
 退院してからずっとだ。普通の人のメガネと同じように気軽にかけられるものではないらしい。
「コイツはアンタを倒すためだけに作られたシロモノだからな……クッ」
 コーヒーを傾けて言うゴドーさんは、もうそれが昔の話だとでも言いたげに笑っていた。少しだけ照れくさそうなその顔が、僕はけっこう好きだな。

「なあ、まるほどう」
「何ですか?」
「…………ごめんな」

 その一言もなんだかかわいくて、僕も思わず笑ってしまった。

「イエ、いいんです。僕も悪かったし」
「そうか、そうだな。お前が悪い。クッ、悪いコネコちゃんだぜ」
「別に僕ばっかりが悪いとは言ってませんけど」
6月17日(月)

 結局、昨日1日待っていたけど、ゴドーさんは帰ってこなかった。
 ケータイに電話しても、リビングでいつものテーマが流れただけだった。ケータイまで置いて……どこいっちゃったんだろう。

 怒ってるんだろうか。
 それとも、事故だろうか。また、どこかケガしたとか!?
 ……さんざん考えて、悩んで、夜はほどんど寝ていない。

 心配だったけど、事務所には行かなきゃならない。ゴドーさんの部屋は、迷ったけどやっぱり鍵をかけて行くことにした。開けっ放しで行くわけにもいかない。

 ……で、事務所に行ったら、鍵が開いてる。コクのあるアロマが僕の鼻をくすぐった。
「遅いぜ、まるほどう。もう9時35分だぜ」
「……丸一日、どこ行ってたんですか!?」
「アンタを探すのが面倒でな。どうせ今日になったら来るだろうと思って、ココで待たせてもらったぜ」

 優雅に、落ち着き払ってコーヒーカップを傾けるゴドーさんには、さすがの僕だって怒りたくなった。
 でも……ゴドーさんは土曜の夜と同じ服で、着替えた様子もなかった。きっとあれからずっと、ここにいたんだろう。僕のこと、待ってたんだろう。

 そう思ったら、何も言えなくなった。
6月16日(日)

 6月の雨に体の芯まで冷えた頃、アタマもようやく冷めてきた。
 あわてて飛び出してきちゃったけど、ゴドーさんが何を言いたかったのか、ちゃんと聞いていない。

 だから僕は、まっすぐゴドーさんのマンションに帰った。

 ……でも、ゴドーさんはいなかった。部屋は鍵も掛かっていなかった。
 昨日からずっと、雨は降り続いている。僕は家主のいない部屋で一人、留守番をしている。


ゴドーさん、どこいっちゃったんだろう→→→→→
6月15日(土)

 真夜中に外へ飛び出して、財布も鍵も、全部リビングのガラステーブルの上だったことに気づく。

 梅雨の雨は冷たくて、傘もなくて、行く場所もなくて。

 それより何より、言うべき言葉が見つからなくて。


 僕は、なんて言えばよかった?

「オレのキス、嫌がったことねえだろう?」
 その一言が、恥ずかしかった。僕ときたら、男の人にキスされてどうして平気な顔していられたんだろう。まるでそういうことが平気な奴みたいだ。そんなことないのに。こんなこと、他の人にはしたこともないのに。

 でも、ゴドーさんはまるで、僕が「そういう」人間だとでも言うように笑って。それが恥ずかしくて。

 雨が冷たい。
 お風呂に入るときもずっと付けっぱなしだったから、銀色のアクセサリーは僕の首と指にくっついたままだ。ゴドーさんはこんな僕を見て、ずっと笑ってたんだろうか。



ゴドーさん、今頃どうしてるかな→→→→→
6月14日(金)

「オレのオゴリだ。呑みにいかねえかい?」
 マグカップを突きつけてゴドーさんが言うもんだから、僕はてっきりお茶をするんだと思っていた。

 いったいこの人は、いつどこでこんな気の利いた創作料理の飲み屋なんか、見つけてくるんだろう?

 で、何だかんだと呑んだり話したりしているうちに。

 今夜もゴドーさんちに泊まります。
6月13日(木)

 初めてはきっと、無我夢中のうちに終わってしまった、裁判前夜の「あの夜」で。
 2度目は涙が出るほどまずい牛乳味だった。

 それで、今日のは何度目だったっけ?

 ゴドーさんは何でもかんでもさらりと、コーヒーを飲み干すように現実を泳いでいく。僕にキスすることさえ、何気なくて。
6月12日(水)

「どう考えても、普通じゃないですよね!」
「何をどう考えたんだい?」
「…………だって、ほら、普通じゃないじゃないですか」
「アンタのどこに“普通”があるってんだ? ……よくトガった頭とか、弁護経験たったの2回で早くも事務所持ちになったとか、副所長は霊媒師とか、執行猶予中の殺人犯が相談役になってるとか、そんなところかい?」
「普通って何でしょうね……」
「クッ……さぁな」

 でもやっぱり、僕らは普通じゃないよな。
 でも、普通って何だ?
6月11日(火)

「ただいまー! イイコにしてたなるほどくん?」
 真宵ちゃんが帰ってきた。相変わらず元気そうだな。
「里のほうは大丈夫なのかい、お嬢ちゃん?」
「うん。はみちゃんが次の家元になるんで、一応私からはみちゃんに引継ぎみたいな儀式とか、ね」
 こういうことをさらりと聞けてしまうゴドーさんも、平気で話せる真宵ちゃんも、すごいと思う。

 僕は、人の心に踏み込むことに臆病になっている。この数年間で、僕は臆病者になったんだろうか、それとも大人になったんだろうか?

「退院、おめでとうございます神乃木さん。これ、つまらないものですけど」
「ありがとうよ。気を使わせて悪いな」
「倉院の里のお守りです。もう怪我しませんようにって、お祈りしておいたからもう大丈夫ですよ」
「そいつは効きそうだ。アンタの霊力はホンモノだからな」

 それから退院の話になった。
「御剣検事が付き添ってくれたんですか?」
「ああ……成歩堂先生はご多忙だったからな。御剣検事さんも退院祝いをわざわざ持って来てくれたぜ」
「へぇ! 御剣検事が! 何くれたんですか?」
「んー……どっかの温泉の、湯の花だとか言ったな。何でも怪我によく効くんだそうだ。……豪華な温泉の素、みたいなもんだな」
「へえぇー、案外優しいんですね、御剣検事」
 ラーメンすすりながら悩んでいた御剣は、けっこう気の利いたものを用意してくれた。その温泉の素は先週末にゴドーさんの家で使ってみたけど、結構温泉っぽくなった。どこで探してくるんだろう、こういうの。

「で、なるほどくんは何をあげたの?」
「あ、あの、僕は仕事が入っちゃって……」
「何もあげてないの? 冷たいよなるほどくん!」
 そんなこと言われても……と僕が言葉に詰まると、ゴドーさんが後ろから僕の首根っこをつかんでこう言った。

「所長サンはカラダで払ってくれる、とさ。退院祝いと、これからのオレの給料と、な」
「は…………?」
 抑えられていて後ろを振り返ることも出来ない。僕には、最初びっくりして、それから嬉しそうな顔になった真宵ちゃんしか見えなかった。
「いいじゃない、なるほどくん! 神乃木さんの身の回りのお世話とか、お手伝いとかするといいよ! トイレ掃除とか!」
「僕はトイレ掃除ばっかりしてるわけじゃないんだけどな……」
「ま、トイレ掃除だけと言わず、お世話しちゃってくれよ、所長サンよ」

 そしてゴドーさんは僕の頭をぐしゃぐしゃとかき回して、いつものようにニヤリと笑った。
6月10日(月)

 昨日の夜も泊まって、今日はゴドーさんを病院に送ったあと、一人で事務所へ来た。午後になってゴドーさんは「出勤」して来る。
 コーヒーを淹れてもらって、いろいろな話をした。ゴドーさんは疲れるから、と言ってゴーグルを外している。それは何だかゴドーさんじゃないみたいで、だからといって誰というわけでもなくて、ああそうだこの人は神乃木・ゴドー・荘龍なんだと今更のように思い出していた。

 本を片手に、コーヒー。だから、おしゃべりに乗って何気なく言ってしまった。
「牛乳口移しの件は、一生忘れられそうにないですよ」
「そうかい、忘れられない思い出、作っちゃったな?」
「忘れられない思い出というか、味というか……」
「どんな味だった?」

 ゴドーさんの目が、僕を見る。
 言葉に詰まって、何も言えなくなった。

 なぜか、それは冗談ごとじゃないみたいで。
 なぜか、シルバーリングのはまっている左手ををこっそり、ポケットに突っ込んだ。

 そのまま何も言わないで。
 ゴドーさんはゴーグルも着けていないのに、僕がどこにいるか知っているみたいに近づいてきた。


 今度のキスは苦いコーヒーの味がした。
6月9日(日)

 そんなわけで、昨日から泊り込みでゴドーさんの家事手伝いになりました。とほほ。
「1ヶ月放っておいたんだ、住めるくらいにはしてくれよ?」
 コーヒーを飲んでくつろぐゴドーさんの足元で雑巾掛けをする、そんな日曜日だった。

 掃除はキライじゃないから別にいい。それに退院したばかりの人に、2LDKのマンションを掃除するのは無理だと思う。ゴドーさんにはゆっくりコーヒーでも飲んでてもらったほうがいい。

 水回りの汚れを落とすのが大変だったけど、朝からずっとやってたからどうにか夕飯までには終わった。

 夕飯はゴドーさんとスーパーで買い物して、冷しゃぶサラダにした。
6月8日(土)

 ようやくひと息だ。まさかゴドーさんが病院から法廷に駆けつけてくるとは思わなかったから、驚いた。でも休廷中にもらったアドバイスで切り抜けたようなもんだったから、助かったけど。
「アンタ……コーヒーの淹れ方だって昔と同じじゃねえんだぜ? いつでも変わる……人も……人を裁く法も、だ」
 その一言で僕は、その些細な1項がだいぶ前に改正されたことを思い出して、慌てて携帯パソコンを立ち上げた。

 1言で流れを変える。やっぱりゴドーさんはすごいと思う。
「よく覚えてましたね、ゴドーさん」
「クッ……この数年分を取り戻すために、これでもちったあ勉強したんだぜ? アンタも便所掃除ばっかりしてねえで、たまにはジュリストでも開くんだな」
「うう……スミマセン」

「相変わらずの崖っぷち弁護士ぶりだな、成歩堂」
 ゴドーさんの退院に付き添ってくれた御剣は、そのまま一緒に傍聴席に来ていた。ゴドーさんと御剣……視線がこんなに重苦しく感じたのは初めてだった。
「うう……ゴメンナサイ」
「もっと勉強したまえ。このままではいつかあの検事にも負けてしまうぞ?」
「ああ、昨日の検事さん……………………メガネの……誰だっけ?」
「検事局で何度か見たことがある気がするぜ?……多分、な」
「ムう…………確か…………あー……あ、ナントカ……検事……だったと思う」
「……………………明石検事、とか?」
「う、ウム。そんなところだろう」

 誰も覚えていなかったってことは、あんまり表には出てこない人なんだろう。影薄そうだったしな。髪の毛も薄かったし。


 そんなこんなで、今日は久しぶりの休日。ゴドーさんがまだ完全じゃないから、ゴドーさんのマンションに行って、荷物の片付けとか部屋の掃除とかをやっていた。
「すまねえな、所長さんよ」
「こちらこそ給料も出ない法律事務所でスミマセン。ま、こうやってカラダで返すしかできないですからね。あははは」
「そうかい、じゃ、頼んじまうかな」
 そう言って意地悪っぽく笑ったゴドーさんは……久しぶりに凶悪だった。
6月4日(火)

 審理はもう明日に迫っている。今日はもう走り回っていて病院に行く暇すらなくて。ゴドーさんのことはあいつに頼んでおいた。

 今日から忙しくなる。
6月3日(月)

「明日だよ。急な話だけど」
「えええーっ! 私まだ帰れないよ!?」
 真宵ちゃんから電話が来たので、ゴドーさんの退院の話をした。そりゃ驚くよなぁ。

「いいよ、ゆっくりしてきなよ」
「うーん、神乃木さんに宜しくね? 必ず帰るからって」
「ああ、伝えとく」

 と、そんな話をして電話を切った直後、僕が電話を切るのを待っていたかのように石塚さんから電話があった。
「はい、成歩堂法律……」
「なるほど先生! また助けてください!」

 石塚さんはこの間、僕が仕事を引き受けたお客さんだ。無罪判決を受けたばかりのはずなのに、別の事件で告訴されてしまったらしい。……うう、忙しくなってきた。
 ゴドーさんの退院………………ど、どうしよう!?
6月2日(日)

 今日は朝から雨だった。でも病室は明るくて、昨日僕が持ってきたひまわりの花が夏らしさを感じさせる。
「来ちゃったな、まるほどう?」
「来ちゃいましたよ。でももうあんなすごいものは、飲まされませんからね」
「オレのアツいミルクのことかい?」
「異議あり! 熱くもなかったじゃないですか、全然! 生ぬるさ全開でした」
「クッ……」
 今日のゴドーさんはご機嫌だ。きっとゴドーさんは昨日のあのじゃれあいから、ずっと同じ気分なんだろう。……他に誰も、その気分を邪魔するような人も、事件も、ないんだから。
 ゴドーさんの時間が、もっとたくさん変化するといいな、と思った。

「あぁー、そうだねえ。退院ねぇー。もういいよー?」
「い……いいんですか、そんなに簡単に」
 先生に相談したら、何だかあっさりと退院告知されてしまった。
「んー、本当は良くないんだけどねぇー。昨日から本人も自宅療養を強く希望しててねぇー。何かあったらすぐ連絡もらえれば、別に退院してもいいよぉー?」

 そんなわけで、退院はいきなりあさって、と決まった。そんなもんなのか?
6月1日(土)

 ゴドーさんのお見舞いに行った。あんなゴドーさんを見るのは初めてかもしれないな。

 さすがに焦ったけど、でもゴドーさんが元気になれるならそれでいいと思う。明日も会いに行こう。


ゴドーさんのお見舞いに行く→→→→→
 ※健全?不健全?SS
  (ゴドナル風ですが、ラブラブでもありません。ゴドーを病人扱いするのが嫌な方は避けてください)