ゴドーさんが頭にけがをして、入院した。
 あれから1ヶ月が経つのに、まだ退院できない。

 毎日のようにお見舞いに訪れながら、少しずつ変わっていくゴドーさんを見ている。

 僕にはただ、お見舞いに行くことしかできないんだけど。






そしてこの世に在れ









「いらねえ、と言ってんだ。聞こえねえのか?」
「でも、それじゃ困るんですよ」
 昼にゴドーさんの病室を訪れたら、中から争う声が聞こえた。

「あ、あのー」
「あら、なるほどさん」
 中に入ると、顔見知りの看護婦さんがトレーを持ったまま困り顔で立っていた。看護婦さんにはもう、僕の顔を覚えられてしまっている。……相変わらずちゃんとした名前で覚えてもらえないのは、もう運命なのかもしれない。
 
「神乃木さん、食欲がないのは分かるんですけどね」
「………………………………」
 ベッドに座っているゴドーさんを見ると、困ったのと恥ずかしいのとが混じった最高に決まりの悪そうな顔をして、ぷいと顔を背けた。

 どうやら、昼食はいらない、とかたくなに拒否していたらしい。あの、ゴドーさんが。
 見られたくない場面を見られてしまった、というところだろう。いつものような人を煙に巻いたたとえ話も、言い訳もなく、ただそっぽを向いている。……あの、ゴドーさんが。

「僕が食べさせますから、置いていってください」
「あら、そうですか。お願いしますね」
 お昼時ともなれば看護婦さんも、1人の入院患者にいつまでもかまけていられる時間じゃない。僕がそう言うと、あっさりと部屋を出て行った。

「……らしくないところ、見せちゃいましたね、ゴドーさん」
「………………………………」
「ほら、食べて元気にならなきゃだめですよ」
「………………………………」
 顔を背けたまま、何も言わない。顔には全然出してないけど、きっとよっぽど恥ずかしいんだろうと僕は思う。だって、あんな風に子供みたいに駄々をこねるゴドーさんなんて、見たことがないから。

 僕は看護婦さんからもらった昼食のプレートを持って、ベッドの横に座った。メニューはご飯と味噌汁、じゃがいもと肉のトマト煮、おひたし、フルーツ、牛乳。僕はスプーンを取って、まずはじゃがいもからいくことに決めた。
「はい、あーん」
「………………………………?」
 僕が差し出したものが見えなかったんだろう。ゴドーさんはこっちに見えない目を向けて、ちょっと不思議そうな顔をした。それから、小さく息を呑む。
「ま、さか……」
「はい、あーん」
「馬鹿にするな! まるほどう、アンタ……」
「あーん」
 僕はじゃがいもの乗ったスプーンを、ゴドーさんの唇にちょこんと当てた。
 もしかしたら怒って振り払うかなと思ったけど、ゴドーさんは苦虫を噛み潰したような顔をしてから、黙って口を開けた。……ここでさらに子供っぽく抵抗するのは、恥の上塗りだと判断したらしい。

 体が大きくて、いつでも大人で、キザで、ホストくさくて、コーヒーの香りの似合うゴドーさん。
 でも今は濃い緑色のパジャマを着て、病院特有の薬っぽいにおいのする部屋で、子供みたいにご飯を食べているゴドーさん。

 僕のスプーンから、ゴドーさんは食事を摂る。苦い顔をして、すぐに文句を言い始めた。
「なぁ……自分で食べられるぜ。もう……」
「黙って食べさせられて下さい。これは、ワガママ言って看護婦さんを困らせた、罰です」
「あんまり病人をからかうもんじゃねえぜ、まるほどうよ」
「からかってないですよ。本気です。これが身にしみたら、僕が見ていないところでもちゃんとご飯を食べてくれるようになりますよね?」
「………………クッ」
 ゴドーさんは1口食べては文句を言い、1口食べては僕をなだめようとして、結局最後まで僕の言うなりにご飯を食べさせられてしまった。

 これで懲りてくれればいい。切実にそう思った。

 僕がいない間も、ちゃんと食べて、ちゃんと元気になってほしい。僕が見ていなくても、いつもカッコつけててほしい。……もう1ヶ月になろうとしている入院生活で、さすがのゴドーさんも精神的に疲れてる、ってコトは百も承知で。それでも僕は願う。

「さ、牛乳飲んだらおしまいです。お疲れ様でした」
 すっかりぬるくなってしまった牛乳のコップをつきつける。……冷たいうちに飲ませればよかったんだけど、すっかり忘れてたのは僕の落ち度だった。でも、これはゴドーさんの罰だから、牛乳がぬるくてもちゃんと飲んでもらおう、と心を鬼にする。
 ゴドーさんは全部食べきったことで、ほっとしたらしい。いつものようにニヤリと笑って、お返しとばかりに僕にコップをつきつけた。

「これもアンタが飲ませてくれるのかい?」
「無理ですよ。こぼしちゃうでしょう。これは自分で飲んでください……見張ってますからね」
「クッ……しょぼくれた法律事務所の所長さんも、見ないうちにずいぶんと強くなったもんだぜ」
 ゴドーさんはぶつぶつ言いながらコップに口をつけて、すぐに渋い顔になった。
「ぬるいぜ」
「しょーがないでしょう。我慢して、飲んでください」
「ぬるい牛乳は、酸化したコーヒーと同じだ。飲めたものじゃねえ。アンタ、この味知ってるかい?」
「し……知ってますよ。でも、カルシウムとか入ってるんだし、体にいいから飲んでください。全部」

 僕が強気で押していくと、ゴドーさんは渋々、牛乳を飲み始めた。コーヒーのように豪快にはいかず、少しずつ飲み下している、といった感じだ。こんなゴドーさんもちょっと珍しくて、僕はじっとゴドーさんの様子を見ていた。

「……………………っっ!!」
「え、ご、ゴドーさ……っ」

 突然、ゴドーさんが口を押さえて苦しみだした。


 牛乳に、何か入っていたんだろうか!?


「ゴドーさん、大丈夫ですか!?」
 僕は慌ててゴドーさんの背中をさすり、顔を覗き込んだ。
 ゴドーさんはうつむいて体を震わせ、顔を上げたかと思うといきなり、僕の首根っこをがっちりつかんだ。

 そして…………。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!!!!!」










 有無を言わさず、唇を押し付けられる。歯が当たって痛いと文句を言う間もなく、生ぬるいものが口に入ってきた。

(ぎゅ、ぎゅうにゅう〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!??)

 口移しで飲まされるそれは、生あったかくて、生臭くて、ものすごくまずかった。
 そりゃもう、思わず他のものまで胃の中から戻ってくるんじゃないかと思うほど、まずかった。

 でもそこは大人の悲しさで。
 とっさに理性が働いて、ベッドにぬるい牛乳を吐き出すことだけはしちゃだめだ、と僕はそれを全部自分の胃の中に押し込んだ。

 あんまりまずかったんで、涙がちょっと出た。


「………………うう……まっずー……」
「クッ、こいつの味が、嫌というほどわかったかい?」
「分かりました」
 思わず素直に降参してしまうほど、その味は強烈に効いた。







 結局牛乳は半分くらい残して、それでも看護婦さんはずいぶん喜んでくれた。
「あら、全部食べて。頑張りましたねー」
「ああ、頑張ったな。(……まるほどうが)」
「ええ、頑張りました。(……僕が)」
 脱力する僕の様子を窺って、ゴドーさんはすっかりご機嫌だ。ま、ゴドーさんの機嫌が良くなったのならそれでいいけど。

「明日も来るのか?」
「来ますよ。ダメですか?」
「いや、待ってるぜ」
 そう言って笑ったゴドーさんの顔は、久しぶりに晴れやかだった。バカ騒ぎして、僕もちょっとだけ楽しくなった気がする。


 明日も楽しくなれるといい。






<To be continued>



本当は通常の日記枠で終わらせようと思ってたんですが、ちょっと長くなりそうだったので別枠で書いてみました。こんなゴドナルがダイスキだー!という思いを込めて。
でも、こんなゴドナルはきっとダメに違いない。ご飯が食べたくないと駄々をこねるゴドーさんなんてカッコ悪いですよね。まるほどうにご飯食べさせてもらう盲目の病人ってダメですよね。2度目の(多分)キスがぬるい牛乳味(まずくて吐きそう)じゃダメですよね。ゴドナルにはやおい的ロマンスと同じくらい、生々しい「生」を求めてしまうのです。多分なるほどくんが受けというよりは立派に成人男子だから、ゴドナルにはやおいよりもゲイな関係を持ってほしいんだと思います。
なんか、生々しいのがいいな。ダメかな。ダメかも。まあいいや。  By明日狩り  2004/6/1