2月28日(金)
ちょっと急ぎの仕事が入って、ずっとかかりきりだった。
事務所でコーヒーを飲んでいるゴドーさんは、僕を手伝わない。その代わり、油断なく僕の様子を窺っている。
「まるほどう、コーヒーがねぇんだが」
「ちょっと待っててください……もう少しキリのいいところまで……」
「オレは今、コーヒーが飲みてぇんだ。淹れてくれよ」
「……………………もう、しょうがないなぁ」
そうして渋々、仕事を中断してコーヒーを淹れたりすると、ふっとアタマが冴えることがしょっちゅうある。
「………………そうか。アプローチの方法がそもそも違ってたんだ。事件のキーワードを被害者ではなく加害者の身辺から……」
「まるほどう、コーヒーまだかい?」
「あ…………はーい、今持っていきますよ」
コーヒーを差し出すと、ゴドーさんは何事もなかったかのようにそれを飲む。
そんな風に、僕はいつも支えられていた。 |
2月25日(火)
「ゴドーさん、それ何ですか?」
「これかい? まるほどう、さ」
「はぁ…………」
昨日からずっとゴドーさんがいじくってるものを見せてもらった。
髪を立ててエレキギターを持った、ガラの悪いパンダのストラップ…………最近流行ってるキャラクターだったよな。『ヘビメタパンダ』だっけ?
病院の売店で買ったお菓子についてきたらしい。
「この、アタマのトンガってるところがまるほどうなのさ」
「似てるかなぁ…………似てないですよあんまり」
「クッ、似てるかどうかはオレが決める。そいつがオレのルールだぜ」
そう言ってコーヒーを飲むゴドーさん。
あ、久しぶりに聞いたな。ゴドーさんのルール。 |
2月24日(月)
「いってらっしゃい」
「…………クッ」
ゴドーさんが意味深に笑うんで、僕が不審な顔をすると。
「そんなに心配そうな顔しなくても、すぐ帰ってくるぜ?」
「そんな顔してましたか!?」
心配そうな顔しないように、すごい頑張ってたつもりだったのに!
驚く僕に、ゴドーさんは余裕の笑み。
「どうだか。……自分の顔くらい、セキニン持ちな」
「えええええ…………」
そんなふうに、僕はゴドーさんを病院へ送り出した。
今日は、ゴドーさんの病院の日。でも、午後には帰ってくるのが、今までと違う。 |
2月22日(土)
休みになった途端、すごい体がぐったりで、昼過ぎまで眠りこけてしまった。
「あああもうこんな時間ッ……。起こしてくれればよかったのに……」
「クッ、見てるほうが幸せになっちまうくらい、気持ち良さそうに寝てたぜ」
今日はもう、一日中外にも出ないでぐったりしてた。お昼はレタスチャーハン、夜はデリバリーのピザ。
「こんなジャンクフードばっかりで、体、壊しちゃいませんか?」
「これくらいで壊れるんなら、コーヒーなんて飲めねえぜ。過保護なまるほどうだぜ」
いいですよ、過保護と言われようが、教育ママと言われようが。
ゴドーさんなんて、いっそ箱に入れて飾っておきたいくらい大事なんですから。 |
2月21日(金)
「それならいっそ、犬みたいに紐でつないでおいたらいいじゃないですか」
笑って、冗談のつもりでそんな風に言ったら、ゴドーさんたら案外大真面目な顔して。
「それもいいかも、な」
だって。
「シャレにならないから、やめましょう」
「そうかい? キライじゃないぜ?」
本当につながれそうだったからやめておいたけど。
それくらい、ゴドーさんは最近、僕のことを離してくれません。 |
2月20日(木)
最近は自分ひとりのご飯だったから、インスタントラーメンなんて日もざらだったんだけど、ゴドーさんが帰ってきたらそうはいかなくなった。
「やっぱ野菜多く使いましょう。最近のほうれん草はあんまり栄養ないって言いますけど、おひたしにしましょうか」
「アンタのお手並み、拝見だぜ。オレがいない間にちゃんと修行したかい?」
「……今日からがんばるので、大目に見てください」
今日の夕飯は、赤魚の煮つけと、小松菜のおひたし(ほうれん草は高かった)。それになめこの味噌汁。二人いると、味噌汁作ってもあんまり残らないからいいと思う。 |
2月19日(水)
どれくらいぶりだったんだろう。
離れていた日々を数えることも忘れて。
久しぶりに、ゴドーさんの肌に触れた。
冷たい指先をずっと、暖めるように握って。
熱い体を、その重さを、気が狂うほど愛おしく感じていた。 |
2月18日(火)
今日もバスで事務所に行く。
ゴドーさんと一緒に行く。
短い間だけど、一緒に通勤する、っていうのが…………ワクワクするなぁ。僕はいつの間に、こんなにゴドーさん好きになっちゃったんだろう?
ゴーグル越しに遠くを見ているゴドーさん、を見るのが、好きだ。窓の外の風景か、バスの中の吊り広告なのか、無防備な横顔が僕を安心させる。
それから、見ている僕の視線に気づいて。
「何だい、まるほどう?」
その優しい声が、好きだ。 |
2月17日(月)
ゴドーさんが、すっごい、甘えてくるようになった……!
「じゃあ、僕、仕事に行ってきますから」
「クッ、オレを置いて行こうってのかい? 薄情なギザギザ頭だぜ」
「ギザギザは関係ないでしょう! 病み上がりで仕事に行くつもりですか?」
「ここにいようが、人気のない事務所にいようが、同じことだ。コーヒーを飲んでおとなしくしてるだけさ」
そう言って、ずっと僕のこと、離してくれない。
それがやけに嬉しい自分に、ちょっと異議あり。
「でも……職場と自宅じゃ、やっぱり違うでしょう?」
「違わねぇさ。違うとしたら……アンタがいるかいないか、ってことだけだぜ」
もー、もーっ!
ゴドーさん、入院してる間にいろんなものがパワーアップしてるんですけど!
そんなわけで、退院してすぐなのに(むしろ自宅療養なのに)、一緒に仕事に行く僕らなのでした。 |
2月16日(日)
「おかえりなさい、ゴドーさん」
「ああ、ただいま、だぜ」
日常が、幸福それ自体になる瞬間。
何て幸せなんだろう。
「…………おい」
「なんでしょう」
「見ないうちにずいぶん荷物が増えたんじゃねえか?」
予想はしていたけど、さすがに緊張する。僕は精いっぱいふてぶてしく笑ってみた。
「表札にも気づかないなんて、ゴドーさんらしくないなぁ」
「……表札まで変えたのかい。念の入ったことだ」
呆れるゴドーさんが次に怒るか、笑うか、僕には分からなかった。だから……。
「クッ……それじゃ、コーヒーでも入れてくれるかい、奥さん」
「お、奥さん!?」
「ヨメに来たんだろう? オレのとこに」
「そ、そこまで言ってません! ただ一緒に住もうと思っただけで……」
「それじゃすまさねえぜ、まるほどう。こうなったらアンタはオレの嫁さんになってもらう。ソイツがオレのルールだぜ」
「そんなルール、知りませんよ!」
あああもう、なんてことだ!
驚かすつもりだったのに、逆にからかわれるなんて!
僕は一生、ゴドーさんのうわてを行くことはできないようです。うぅ……なんか悔しい。 |
2月15日(土)
荷物なんて少ないと思ってたけど、こうしてみると案外多かったりする。
「車があるとホント、楽だなぁ。助かったよ」
「引越すなら車は必須だろう。君は楽天的だな」
「うーん、浪人生の頃からここに住みっぱなしだったから、引越しなんてどうしていいかよく分かんなくて」
結局、御剣に車を3回も往復してもらって、ようやく荷物を全部引き払うことができた。
えーと、何年だ? 7年? 住み慣れた手狭なワンルームにもとうとう別れを告げる日が来た。
ゴドーさんの部屋に運んだ荷物は、とりあえずクローゼットに押し込んでおく。朝から散々手伝ってもらったせめてものお礼に、おいしい紅茶と近所で評判のケーキを御剣に出した。
いつもはゴドーさんとコーヒーを飲むソファに、僕と御剣が向かい合って座っている。主人のいない家で、僕らはなんだか盗人みたいだなぁ……なんて変なこと考えてみたりして。
紅茶を飲みながら、御剣が眉間にしわを寄せる。
「無断で引っ越しなど、大丈夫なのか?」
「うん。もしかしたら怒られるかもしれないけど…………ちょっとした復讐、のつもりなんだ」
「復讐……?」
「いつもゴドーさんには振り回されて、勝手なことばっかりされて、たまには僕がゴドーさんを振り回したいなって思ったから」
僕は笑ってそう言ったけど、御剣は納得行かないような顔をしてた。
「ともあれ」
君は、紅茶のカップを置く。
「……これが幸せな時間の始まりになると良いのだが、な」
そう言って微笑む君の、綺麗なことといったら。
どうして君はそんなに綺麗な顔をしてるんだろう。どうこうしようなんて気はもうないけれど、それでもやっぱり、僕の血液はそれだけで熱くなる。
そんな自分の生理的な反応に、ひどく嫌悪感を感じるけれど。
君が僕の幸福を祈ってくれるのだから、今日は僕も僕を許してあげようと思う。 |
2月14日(金)
「それは、ダメです」
「いいや、譲れねぇな」
「ダメだったらダメだったら、ダメです」
「絶対に、譲らねぇ。ダメだと言うなら、帰さねえぜ」
「あーもう、子供みたいに!」
「子供でもかまわねえ。ほら、さっさとしな」
珍しく駄々をこねられた。いや、ゴドーさんが強引なのはいつものことだけど、こんな風に「譲らない」の一点張りなんて珍しい。口八丁でごまかすいつもの方法じゃなくて、ただひたすら、譲らない。
そういう、ワガママなところが余計に。
……好きですったら!
「……うぅ……じゃ、ちょっとだけですからね?」
「ああ、一粒だけでいいぜ」
「ん、じゃあ、早く……」
バレンタインだから、まぁせっかくだしと買ってきたアポロ。あの、子供の頃よく食べた、半分駄菓子みたいないちごのチョコレート。
それを一粒、くわえて。
「ん………………」
ゴドーさんに、あげる。
バレンタインなんて恥ずかしいこと、馬鹿にされるかと思ったのに。
病院で、こんなふうにチョコレート味のキス。
ああもう、ゴドーさんは恥ずかしくないんですか!?
一粒、食べさせてあげるだけのつもりだったのに。
その一粒が、溶けてなくなるまで。
二人で全部食べちゃうまで。
ずっとずっと、離してくれなかった。
もう、もう、死にそうだよ! |
2月13日(木)
明日と明後日は、矢張も真宵ちゃんも忙しいからさすがに引っ張り出せない。
一人でやるしかないか……なんて思っていたら、思わぬところから助け舟が出てきた。
事務所にかかってきた電話は、開口一番こう尋ねた。
『引っ越すのだと聞いたが』
「み、御剣? ……ああ、うん。そのつもり。金曜日の夜からね」
『手伝いは足りているのか? 業者を呼ぶほど荷物はないのだろう』
やっぱりよく分かってるよな、僕のこと。
「うん。でもさすがに車がないと無理があるから、一回だけトラック出してもらおうかと思ってるんだ」
『今週末なら、手が空いている。……私でよければ車を出そう』
「え、うそ。すごい助かるんだけど!」
『もう少し人を頼りたまえ、君も』
「いや、御剣、忙しいかなと思ってさ」
『忙しいのは否定しないがな。こんなときくらいは手伝わせてもらう』
「そっか、うん、ありがとう……すっごい助かる…………」
すごく嬉しかった。
でも、すごく困った。
今思えば、御剣には、何だかわざと連絡するのを避けていたような気がする。
土曜日には、学生時代から住んでいたワンルームをとうとう引き払う。
日曜日には、ゴドーさんとの同居を始める。
それを、御剣に立ち会ってもらうのは、何だかとても気が引けるんだ。……そういう僕自身が、何よりも問題なのかもしれない。 |
2月12日(水)
ゴドーさんは、日曜日に、帰ってくるってことになった。
最近暇を見ては真宵ちゃんが手伝いに来てくれている。本当はバレンタインデーで矢張の店も忙しいらしいんだけど、ゴドーさんのこともあって僕がいろいろ大変なことを気遣ってくれているらしい。嬉しいよな、そういうのが。
「なるほどくん、本当に、やるの?」
「うん、土曜日に時間があるから……そんなに荷物も多くないし」
「そっかぁ。うん、良いことだと思うよ、あたしは」
「ありがとう……そうだといいけどね」 |
2月11日(火)
「よし、決めちゃおー! 今週末に、2泊3日のお泊まり許可だよおー」
主治医さんがそう言ったので、僕は心臓が痛いくらい高鳴ってしまった。
「ほんとですかっっ!!!!」
「うーん、そう言われると、ダメって言いたくなっちゃうよねぇ〜」
「………………いぢめないでくださいよ、センセイ」
そんなわけで、週末です!
ゴドーさんの、とりあえず一時帰宅! |
2月9日(日)
一昨日の外出も、ゴドーさんにとってはかえっていい気分転換になったみたいだった。体もどんどん強くなってるらしい。
僕もどんどん強くならないと。
本当に、そう思ったよ。…………真宵ちゃん。
→→→→→→→→→→→→おとといのことを思い出してみる |
2月7日(金)
「来週まで待てばいいじゃないですか」
「こればっかりは、そうはいかねえだろう……?」
「…………ええ、そう、ですけど……」
今無理したら、自宅療養も先延ばしになっちゃうかもしれない。
でも、確かに分かる。
しょうがないよ、こればっかりは。
一緒に行きましょう。みんなで。
僕と、ゴドーさんと、真宵ちゃんと、春美ちゃんとで。
真宵ちゃんと千尋さんのお母さん……舞子さんの、お墓参りに。 |
2月6日(木)
嬉しくて嬉しくて、なんか寝れなかった。
来週、ゴドーさんが帰ってくる!!! |
2月5日(水)
「あー、ずいぶん元気だよねぇー、最近の神乃木さんはー」
「そうですね。おかげさまで」
「本人も強く希望してるしねぇー。そろそろ自宅療養も考えちゃおうかなぁー?」
「ほ、ホントですかっ!!??」
「くっ……首をしめたら苦しいんだけどねぇー?」
つい興奮してしまった。
ゴドーさん、そんなに良くなってるのか……。自分の希望的観測だけじゃないんだって知らされると、俄然勇気がわいてくるな。 |
2月3日(月)
例の件について、真宵ちゃんに相談してみた。
「いいと思うな!」
「そうかなぁ。勝手に決めたらまずいかもって思うんだけどさあ……」
「いいんじゃない? 怒られたら、止めればいいんだよ」
「簡単に言うな」
「カンタンに考えた方がいいんだよー!」
そうかも、知れないな。 |
2月2日(日)
うう……部屋掃除って苦手だなぁ。清掃、はキライじゃないんだけど、整理が苦手なんだ……。 |
2月1日(土)
昼間はずっとゴドーさんの傍にいた。
「ゴドーさん」
「なんだい?」
「ゴドーさんが元気になるほうに、100まるほどう賭けますよ」
「クッ…………。それじゃ、オレがアンタの期待を裏切らない方に、100ゴドー賭けちゃうぜ」
「賭けにならないなぁ」
「でも、オレが元気になったら100まるほどうはいただくからな」
夜は、自分の部屋の掃除。
掃除は苦手なんだけど……いろいろ整理する。いらないものはどんどん捨てよう。 |