成歩堂日記 8月

8月31日(土)

 真宵ちゃんのバイトの件でグチグチ言ってたら、ゴドーさんにクッと笑われた。
「お父さんは心配症だな、まるほどう」
「保護者のつもりなんてないですけど……でも……ひたすら縁起が悪くて……」

 そうしたらゴドーさんは、僕の左手を取って、人差し指を舐めた。
「ひあっ」
「アンタがまだ生きてるんだ、コイツは案外、ラッキーアイテムかもしれないぜ?」
 そこにはまってるのは、矢張が作ったシルバーリングだ。

 そういえば僕、良くまだ生きてるよなぁ……。
 それどころか、ゴドーさんはけんこうで、僕も元気で、しかもこんなに幸せで。
「……………………矢張の奴、いったいどうしたんだ?」
「さぁな。自分の目で確かめちゃどうだい?」
 確かに、そうかもしれない。ちょっと見てきたほうがいいかな。
8月30日(金)

 帰りに、近所の公園で遊んでいる男の子を見かけた。ブランコに乗っていて、僕とゴドーさんが見ているまさに目の前で、ずべっと落っこちた。
 雨上がりだったから、ブランコの下のへこんだ地面には水たまりができている。そこへおもいっきり落っこちて水しぶきを上げ、しかもとっさに顔を上げたもんだから、後頭部にブランコが直撃。

 ……昔同じことをやった記憶がある。そうやって大人になっていくんだぞ、少年。……多分。

「おいおい、大丈夫か?」
「びええええええ」
 男の子は水びたし泥まみれ、しかも頭にたんこぶを作って泣き喚いている。ゴドーさんが近寄って抱き起こしてあげた。
「オトコは簡単に泣くんじゃねえぜ?」
「……………………………………うん」
 驚いたことに、ゴドーさんに起こされた男の子は、ぴたりと泣き止んでしまったのだ。

 そして。男の子はじっとゴドーさんの顔を見つめ、一言。
「おじちゃん、それビーム出る?」
 と叫んで走り去ってしまった。

 笑って良いところだったのか、慰めるべきだったのか。僕には分からないけど。
 とりあえず爆笑した僕なのだった。
8月29日(木)

「……で、本当に、本当に、本当なのか?」
『疑りぶかいなー。ナルホドーはよ。大丈夫だって、真宵ちゃんはオレに任せとけって!』
「それが不安だから、こうして電話してるんじゃないか」
『ま、アレよな。ゲージュツ家に女性アシスタントは不可欠ってことだ』
「ううう…………本当に大丈夫なのか?」

 真宵ちゃんのバイトは、矢張のアシスタント、及びアクセサリー販売だ。
 何でもここのところ矢張のシルバーアクセはずいぶん人気があるらしく、小さいながら店舗も借りているらしい。

「女の子の雑誌にも載ってるんだよ。『絶対効果アリ! 幸運のシルバーアクセ!』って」
「幸運〜〜〜〜〜〜????」
 真宵ちゃんが見せてくれたキャンキャンだかワンワンだかいう名前の女の子雑誌には、確かにそう書いてあった。

 あ、ありえない。
8月28日(水)

「なるほどくーん! アルバイト決まったよー!」
 真宵ちゃんが大声で事務所に駆け込んできた。
 恥ずかしい話だが、この事務所の営業状態ではゴドーさんにも真宵ちゃんにもお給料らしきものをあげることはできない。家賃だけで精一杯なのが現状だ。

 真宵ちゃんも里には頼れない状況になって、本格的に自立した生活を考えなくちゃならなくなっていた。それに力を貸して上げられない自分が悔しかった。
「おめでとう。何をするの?」
「それがね、なるほどくん。聞いたらきっと髪の毛が全部逆立っちゃうくらい驚くよ?」
「……もうそれに近い状況ではあるから、いいよ。どこ? まさかトレビ……」
「違う違う! ウェイトレスじゃないモン。販売だよ」

 真宵ちゃんは「内定書」を見せてくれた。やたら汚い字であまり賢くなさそうな文面の、おかしな内定書だ。……というか、バイトに内定書??

 もう一度良く見て、最後の署名に僕は思わず大声を上げた。
「こっこっこんなの! お父さんは許しませんっ!」
「誰がお父さんだ! だめだよそんなこと言っても。全然面白くないんだから!」
「でも真宵ちゃん、こればっかりはやめたほうがいい。いや、やめるべきだ」

 なにしろその書面の最後には、見たくもない名前が書かれていた。
 絶対に、やめたほうがいい。
8月27日(火)

 ゴドーさん、今日は一度もコーヒーを飲まない。
 朝からおかしいなと思っていた。ものすごく変な感じがする。コーヒーを飲まない、ゴドーさんなんて。
「今日はどうしたんですか、コーヒー1杯も飲んでないでしょう?」
「……たまにはそういう日だってあるさ」
「ありませんよ。ゴドーさんがコーヒー飲まなかったら…………」

『ゴドーさんがコーヒーを飲まなかったら、死んじゃうじゃありませんか』
 言いかけて、僕はようやく気がついた。
 今日は、ゴドーさんが……神乃木さんが、コーヒーを飲んだせいで死んだ日、だ。

 僕はうつむいて。

 黙って立ち上がると、給湯室でコーヒーを淹れた。1杯のコーヒーを差し出して、僕は言う。
「ゴドーさん、飲みましょう」
「まるほどう…………?」
「まるほどう特製です。おいしいですよ」
 勝手にひと口飲んで、もう一度差し出した。

「毒見のつもりかい?」
「違いますよ。一緒にコーヒー、飲もうと思って」
「同じカップでか…………クッ、熱々だな」
「熱々です。はい、どうぞ」

 僕たちは同じひとつのカップから、交互にコーヒーを飲んだ。
 ゴドーさんを傷つけないコーヒーを、一緒に飲める幸福。
8月26日(月)

 暇だったから事務所のたまってたいろいろを整理した。こんな事務所でも、捨てられないと思ったものや、勝手にたまっていくものがあるんだよな。
 優雅にコーヒーを傾けるゴドーさんを尻目に、僕は一人で片づけをしていた。腹が立たない自分がちょっと不思議なくらいだ。

 僕はゴドーさんに甘いと思う。
8月25日(日)

 寝物語にポルノ小説を読むのはやめようと思う。

 食われます。
8月24日(土)

 馬鹿にしてたら、本当に読まされた。……昨日の、ポルノ小説。

「まるほどう、そこはもっと情感を込めて読まないと、勃たないぜ?」
「勃たなくていーんです、勃たなくてっ!」
「いいのかい? オレが勃たなくなっても」

 それは、困る。
8月23日(金)

「暇だな」
「そうですね、すいません」
「じゃ、本でも読んでくれよ。いつもみたいに」
「でも、読むものなんてないですよ。……六法でも読みますか?」

「クッ……それじゃ、こいつを読んでもらおうか」

 ゴドーさんが投げてよこした本のタイトルは、『女弁護士・官能のわななき』だった。

「……意味が分かりません」
「クッ、そいつはな、昔悪い先輩がオレのカバンに仕込んだ罠さ。おかげでチヒロにコッテコテのぎったぎたに叱られちゃったぜ?」
「……それは輝ける思い出の1ページですね」

 アホだ。
8月22日(木)

 ゴドーさんは今日は病院。真宵ちゃんはゴドーさんに付き添って一緒に行ってくれた。

 一人で留守番していると、突然の来訪。
「おめでとう、大変だったな。君の様子は一部始終、傍聴席で拝見させてもらった」
「ありがとう。見てたんだ……。はは、相変わらずだろう?」
「うム。見ていてはらはらする。……が、なぜ頼りない感じがしないのだろうか」

 お茶を出して、二人で話をする。コーヒーじゃなくて久しぶりに緑茶を淹れてみた。
 御剣は緑茶でもコーヒーでも、優雅に飲む。見ていてうっとりするけど、別に変な意味じゃなくて。

 僕の親友は綺麗な男だ。
8月21日(水)

「か……勝てました」
「お疲れさん、だぜ。所長」
 ゴドーさんの一言に、体中の力が抜ける思いだった。

 依頼人の天野さんも、涙目になって喜んでくれた。やっぱりこの仕事、好きだ。
8月20日(火)

 初日の審理が終わった。勝ち目が……ほとんどない。また、明日に賭ける。

 裁判所を出たとき、日差しが暑くて、左手を空にかざすと強く光った。
「あ…………」
 人差し指にはめたシルバーリングに、ふと、我に返る。

 僕は、ふてぶてしくニヤリと笑った。

「あきらめませんよ、最後まで。……ね、チヒロさん。神乃木さん」
8月19日(月)

 昨日「仕事が入って忙しいんだ。助けてくれないかな?」って電話をしたら、真宵ちゃんは今日の朝にはもう事務所に帰っていた。
「ただいま! よかったねお仕事きたんでしょう!」
「ああ、ごめん。呼び出しちゃって」
「ううん、どうせ今日帰ってくるつもりだったから」

 それからゆっくり話をする暇もなく、事務所の留守番を真宵ちゃんに頼んで、僕とゴドーさんは最後の追い込みに入った。

 審理は、明日からだ。
8月18日(日)

 法律の知識、経験、度胸。
 本気で一緒に仕事をしてみて分かる、この人の実力。

 甘さのない大人の味がする。
 この思いはコーヒーの味がする。

 尊敬という名の、愛情。
8月17日(土)

「今日もお疲れさん、だぜ」
「…………何もつかめませんでしたね。今日も」
 焦りと疲労が募る。

「コーヒーのアロマは、熱に弱い。沸きたての湯を一気に注ぐと、ぶっ飛んじまうんだ」
「はあ……」
「アンタも熱からずぬるからず、ちょうどいいのをゆっくり注ぐんだな。ま、飲めよ」
 そう言って差し出してくれるいつもの一杯に、自分を落ち着かせる。

 ゴドーさんがそばにいると、こんなに心強い。弁護士として、検事として、やってきたこの人の底力をひしひしと感じている。
8月16日(金)

「この調子じゃあ、週末もゆっくりコーヒーは飲めそうにねぇな」
「すみません。僕一人でもできますから、ゴドーさんは……」
「クッ、これでもオレは成歩堂事務所のナンバーワンと呼ばれているオトコだぜ? 甘く見てもらっちゃ、ヤケドしちゃうぜ!」
「それ、誰に呼ばれてるんですか……(汗)」

 ゴドーさんはそう言って、資料漁りから調査から、てきぱきと手伝ってくれる。こうして見るとやっぱり星影事務所のナンバーワンだった人なんだと思う。実力のある人なんだよなぁ。
8月15日(木)

 審理は来週からだけど、いろいろ込み入ってて……正直難しい。関係者が一様に口を閉ざして、なにも情報が入ってこない。
「コーヒーに入れるのは砂糖だけとは限らねぇ。はちみつだの、シナモンだの、いろんなモンを入れて飲んでみな」
「当たって砕けろ、ってことですね」

 相変わらず意味の分かりにくいゴドーさんの助言を受けて、もうちょっと頭と足を使ってみることにする。
8月14日(水)

「助けてください成歩堂先生! もう先生しかいないんです!」
 その人は青い顔をして、本当に駆け込むみたいにして事務所に飛び込んで着た。

 お盆休みを取っている事務所も多く、たまに開いていてもすべての事務所で弁護を断られ続けたらしい。

「お話を聞かせてください。あなたの言葉が真実なら、僕は絶対にあなたを助けてあげます」
「クッ……言っちゃったなまるほどう? アンタ、ラッキーだぜ。このオトコは、言ったことは必ず守る奴だ」
「は、はいっ! 宜しくお願いします!」

 しばらくは忙しくなりそうだ。
8月13日(火)

「お盆が終わるまでこっちにいても、いいかなぁ?」
 真宵ちゃんから電話があった。そうだよな。ああいうところはちゃんと15日前後にお盆の何かをやるんだろう。(何をやるのかはよく知らないけど)
「いいよ。ただし帰ってきたらこき使うからね」
「ひっどーい! なるほどくんなんかトイレ掃除しかできないくせに!」
「トイレ掃除じゃなくて、僕の本業は弁護なんだけどな……(そっちの仕事がないんだから、しょうがない)」

「お盆って、何やるんでしたっけ?」
 ゴドーさんに聞いたら、クッと笑われた。
「ナスの馬作ったり、ススキみてぇのを燃やしたりするんだろう?」
「…………すごくそんなイメージですけど、多分大いに間違ってますね、それ」
「オレもそう思うぜ。クッ、気が合うなまるほどう」
「だめじゃないですか、それじゃ」

 今日もコーヒー飲んで一日過ごしました。そしてゴドーさんのマンションに2人で帰って……って、いったい僕は何日自分のアパートに帰ってないんだっけ? うわぁ……ゴミとか出してあったっけ……(汗) 確認しに帰るのが怖いなぁ。
8月12日(月)

 朝、いつものように出勤。ゴドーさんは病院へ寄って、後から来ることになっている。
「なんか久しぶりの病院ですね。最後に行ったの、先々週くらいですか?」
「そうだな。近頃ちょいと調子が良いんだ」
 そう言って笑うゴドーさんは、確かにこのごろ体調が良かった。旅行中も元気だったし、こんなに暑いのにバテないし、実は結構丈夫なんだろうか。

 それでもやっぱり病院へ行かなきゃいけない、ってことが、僕を戒める。
『ゴドーさんを守らなきゃ』って。僕は改めてそう思った。

 次の誕生日まで、僕がそばにいて、ゴドーさんを守らなきゃ。
8月11日(日)

 休みは、明日まで。
「もうすぐ、お盆ですね」
「ああ……世間より早く盆休みをもらっちまったけどな。……アンタ、実家には帰らなくていいのかい?」
「あ、え……知りませんでしたっけ。僕、両親いないんですよ、もう」
 そうか、ゴドーさんには話してないのか。恋人、になったつもりだったけど、そんなことも話してなかったんだ。

「そうだったのか。悪ィな」
「いえ。……ゴドーさんは?」
「クッ……天涯孤独はお互い様、ってワケだぜ」
「ゴドーさんも……? まさか」
「そのまさか、さ」

 それから僕たちは、お互いの両親の話をした。こんな真面目な話をするのは初めてかもしれない。

 僕らが会ったのが去年の9月の法廷で、それからもうすぐ一年になるというのに、僕たちは今日、初めてこんな風にお互いの話をした。変な僕ら。
8月10日(土)

「まだ休みなんですね」
「明日までだぜ。早いもんだ」
 ゴドーさんはそう言うけど、何だか長い気がする。これ以上休みが続いたら、僕は溶けちゃうんじゃないかな? ……意味はないけど。

 コーヒーを手渡して、約束みたいにキスをする。キスしても平気になってきた自分に、ちょっと照れている。
8月9日(金)

 あっという間の4日間だった。今までほとんど旅行することなんてなかったけど、こういうのが旅行なら、また行きたいと思う。今度は、僕が計画を立てよう。

「楽しかったですね」
「ああ、よかった」
 すごく当たり前のことを言いながら、帰りの電車まで楽しい。

 それから。

「ただいま」
「お疲れさん。ただいま、だぜ」
 すごく当たり前のように、2人一緒にゴドーさんの部屋に帰る。そんなことまで、幸せ。
8月8日(木)

 6日は、ホテル周辺の散策。ホテル自体が森の中みたいなところにあるんで、回りをぐるっと回るだけでも、日常生活から離れられる。
 7日は、上高地の山を登ってきた。いろいろなものを見た。池とか、川とか、橋とか。あとは知らない名前の花とか。
 今日は軽井沢で美術館と何かの史跡めぐり。ぶらぶらと適当に歩いて、有名らしいいろいろな物を見る。

 何を見ても、僕には知らないものばかりだ。ゴドーさんも珍しく、言葉少なく僕の隣を歩いている。知っていそうなのに、「これ、何でしょうね」って訊くと、「さぁな、何だろうな」と優しく笑われる。
 知らない土地で、名前も知らないものをたくさん見て、ゴドーさんと同じ時間を歩く。

「充実」って言葉の意味を本当に知った気がする。満たされて、満たされて、息をするのも苦しいくらい、高原の空気とゴドーさんに満たされていく。一緒にいる、ってことがこんなに分かる。一緒に生きて、歩いて、ここにいて。


 その夜→→→→→→→→→→→→→
8月6日(火)

「まるほどう、支度しな」
 朝、いつものように目を覚ましたら、ゴドーさんが大きなバッグを僕に投げてよこした。
「は? ……何の、ですか?」

 ゴドーさんはいつものように、ニヤリと笑って、
「うまく仕上がったブレンドコーヒーには、ゴドーブレンドの名をつける。100を超えたゴドーブレンドの数々……そいつがいつ、どんな風にしてできたのか、オレは覚えているぜ」
「はあ、すごいですね(意味は分からないけど)」

 僕がぼんやりしているので、ゴドーさんはクッと笑って、言った。

「つまり、オレとアンタの記念を作りに行くのさ」
「は、え、えええええっ?」
「ハネムーン、だぜ。まるほどう?」
「えええええーーーーーーーっ!!!」

 ゴドーさんが何かの紙を指に挟んで、僕にひらひらと振って見せる。インターネットで印刷した、旅行の予約票だ。

「軽井沢3泊4日。渋い選択ですまねえな」
「い、いや、いやいやいや! これ帝国ホテルって書いてありますよ!」
「帝国ホテルのラウンジのコーヒー、うまいんだぜ。アンタにも飲ませてやりてぇ」

 そしてあまりにも唐突に、僕らは今日、旅に出たのでした。
8月5日(月)

 朝、ケータイの目覚ましが鳴って、飛び起きた。
「遅刻遅刻っ!!…………………………、や、休みか」
 僕のケータイは、平日だけ鳴るようにセットしてあることを忘れてた。

「朝っぱらから大騒ぎだな、コネコちゃん」
「ううう……起こしてスミマセン」
 僕の隣で、ゴドーさんが体をよじる。大きな子供みたいに眠そうにして、僕を抱きしめるとまた小さく寝息を立てる。
「あ、あつ……」
 片手でクーラーのリモコンを探して、もう暑くなり始めた部屋に冷房を入れる。で、僕もそのまま二度寝してしまった。

 台風も行ってしまって、今日はイイ天気になりそうだ。外はもう太陽が照り付けているのに、僕らは、惰眠を貪ってる。
8月4日(日)

 今日も、雨。台風はだいぶ逃げていったけれど、天気はじめじめといつまでも回復しない。
「僕、一人で買い物に行ってきますね。すぐに戻ってきますから」
「クッ……愛しい恋人を残して、一人戦場に旅立つオトコ……絵になるねぇ……」
「戦場って言うか、惨状って言うか……」
 道路は水浸しで、あちこちに木の枝やトタン屋根なんかが落ちている。足元が悪いから、サンダルにひざまでのズボンで特攻だ。

「帰ったら、続き、聞かせてくれよ」
 音読する本は、目で読むよりずっと進まない。まだ半分も行っていない本をチラッと見て、ゴドーさんが言った。
「ええ。勝手に読んじゃダメですよ」
「おあずけ食らうかわいそうなオレ……クッ、嫌いじゃねえぜ」

 ゴドーさんはご機嫌だ。僕も楽しい。

 楽しい、楽しい、嵐の休日。
8月3日(土)

 週末だというのに、外はすごい台風だ。夏なんだなぁ、と思う。
 家にある食料だけで適当に食いつないで、稲光のぎらぎらするどしゃぶりの外を眺めて過ごす。こういう日に外出しなくていいと、なんだか、ほっとする。……こんな天気の中でも仕事をしてる人には申し訳ないけど。

「すげぇ天気だな」
 ゴドーさんが外を見ながら、のんきにコーヒーを飲んでいる。
「今日は買い物しないで、家にいましょう。まだナスとちんげん菜があるから、夜は炒め物か何かにして」
「クッ……アンタ、立派な嫁になれるぜ」
 そう言って僕の額にキスをするゴドーさんに、「僕が誰の嫁になるんですかっ」と異議を申し立てようとして、やめた。どうせ言われるんだ。「わかってるんだろう、オレの、だぜ」って。はうううっっ!!!(恥ずかしい……)

 昔買ったまま読まずに忘れていた、という本がダンボールの中からけっこうたくさん出てきたんで、今日からそれを音読して聞かせてあげることにした。ゴドーさんは最近はようやく日常生活でもゴーグルを着けられるようになったけど、あんまり目を使いすぎると疲れるのだという。

 僕が本を読んで、ゴドーさんが聞く。すごく、幸せだ。
8月2日(金)

『なるほどくん! とうとう倒産したッスか!?』
 イトノコさんが大慌てで電話をかけてきた。
「違うよ、ちょっと早いけど夏休みをもらうことにしたんだ。仕事の予約もないしね」
『ああ、アンタに仕事の予定があるわけないッスからねぇ。事務所が閉まってるから、心配したッスよ?』

 僕のイメージって、こうなんだなぁ。とほほ……。
8月1日(木)

 今日は事務所に「夏期休業」の貼り紙をしてきて、あとはゴドーさんと部屋でごろごろしてた。

 ゴドーさんはいつも、ものすごく口の細くて長い、特殊な園芸用品みたいなやかんでコーヒーを入れる。沸騰したお湯に水を入れて温度調節、それから雨だれみたいな水滴を垂らして豆を膨らませ、高く細く静かにお湯を注いでいく。
 その作業をぼんやり見ているだけで、時間が過ぎる。コーヒーの苦味や渋みとは全然違う、まったりした薄味の時間。

「うまいコーヒーの淹れ方、アンタも覚えるかい?」
 ゴドーさんは、僕がコーヒーに興味がないって分かってて、いつもそう言う。
「おいしい時間の作り方なら、今見てますから」
 ゴドーさんとこうして過ごす時間は、僕にとって、まるでぬるい玉露の味みたいだ。