9月のちひの日記

9月30日(木)

 ちひがセンパイの右手をぎゅっとしてると、センパイはずっとおしごとができません。
「……………………こまりました」
 どうしたらいいんだろう?

「そうだ!」
 ちひはセンパイのゆびわを外して、左手のひとさし指につけかえてあげました。

「どうしたんだい?」
「こっちだったら、ちひがぎゅってしててもじゃまじゃないかも!」
「…………クッ、コネコちゃん。アンタもいろいろ、かんがえてるんだな」

 はなしちゃいけない、センパイの手。

 こっちがわなら、めいわくじゃないかな?
9月29日(水)

 じむしょに行くときも、先輩は手をずっとむねに当てて行きます。なぜならば、センパイのポケットに入っているちひが、ずっとぎゅっとしてるからです!

「クッ……あまえんぼうなコネコちゃんだぜ」
「あまえんぼうでも、べんごしになれますか?」
「さあ……だいじょうぶなんじゃねえか?」
「ちひひっ。ならいいです」

 はなしちゃいけない、センパイの手。

 ぎゅっとしてるとあったかい!
9月28日(火)

 神乃木センパイは、ずーっとちひに手をかしてくれます。
「コネコちゃん、こうするのが好きなのかい?」
「んーと、好きです。ちひひっ」
 センパイのひとさし指にしがみついたままで、ちひはわらうのです。わらったら、センパイもわらうから!

 そしたら、センパイはちひにこういいました。
「じゃあ、このゆびわはアンタにやるぜ」
「ええ? でも、ちひにはおっきすぎるし、それにセンパイのほうがおにあいなのです」
「クッ……うまいコーヒーは、好きなカップでのむ。そいつがオレのルールだ」
「………………?」
 ちひには、いみがわかりませんでした。そしたら、センパイはおしえてくれました。

「アンタが好きなところに、コイツをいつもおいておけばいいのさ」
「好きなところ……?」
「オレの右手のひとさし指、いつでもアンタにかしてやるぜ。…………アンタのゆびわの、おきばしょとしてな」

 つまり、つまり…………?
 あ、わかった!

 神乃木センパイの右手のひとさし指は、ちひがずーっとかりることになりました。ちひのです! ちひーっvv
9月27日(月)

 今日もお仕事です。ちひは神乃木センパイのつくえの上で、しずかにパソコンをしています。パソコンなら、ちょっとずつやればあんまりつかれないのです。

 ちひがあんまり元気じゃないから、かな。生倉センパイも神乃木センパイも星影センセイも、少しおちつかないみたい。

 パソコンを見たら、こうかん日記のおへんじがきていました。
『コネコちゃんのことを一番知らねぇのは誰だ?
コネコちゃんのことを一番知っているヤツは誰だ?』
 ……ちひのことは、ちひが一番分からない。ちひのことを、一番知っているのは…………?

 かおを上げてみたら、おしごとをしている神乃木センパイのかおがありました。

「ちひー…………神乃木センパイ」
「ん、どうしたコネコちゃん?」
 みおろしてくれるセンパイの目は、黒くてきれいでどきどきします。

「ちひっ」
「……………………クッ」
 センパイの右手のゆびわをつかまえて、ぎゅってしました。ずっとずっとぎゅってしてたら、あったかくてきもちがいいです。
 おしごとのじゃまになるって思ったけど、センパイは何も言わなかったです。
 ちひがぎゅってするままに、さわらせててくれました。

 こうかん日記に、おへんじ書いとこう!
9月26日(日) 記録者:生倉雪夫

 神乃木からのメールを読み終わって、私はすぐさま奴に電話を掛けた。

「メールを見たよ」
「意味が分かるか?……生倉センパイ」
 神妙な声で私に頼る神乃木を少しくらいはからかってやっても良かったのだが、ほかでもないちひ君のことだ。あまりいじめるのはやめておく。

「残念ながら、意味は分からない。ただの夢かもしれないし、何かの記憶かもしれない」
「記憶…………?」
「神乃木、我々はそろそろ本気で考えなければならない時期に来たのではないかな」
「……………………………………」
 電話の向こうで沈黙する神乃木の気持ちは、よく分かる。しかし、きっとそうなのだ。

「我々はもう、逃げられないのだよ…………おそらくな」
「………………そうだろうぜ」
「うむ。……ちひ君とはいったい『何者』なのか? それを、考えなければ」
「ああ、分かってる……」

 我々は、分かっていた。
 それを考えなければならないと。

 そして、ぼんやりと、しかしなぜか確実に予感していた。


 それを知ったとき、我々はちひ君を失うのではないかということを。
9月25日(土) 記録者:神乃木荘龍

 ちひが、妙な日記を書き始めた。
「アンタ……いつの間にこんなに漢字を覚えたんだい?」
「……………………気をつけてください。時計……」
「時計?」

 ちひはぼんやりした顔で、小さなパソコン端末のキーを叩いている。いつもなら絶対に見せてくれねぇのに、後ろでオレが覗いていても気にしないで。
 おい、アンタ、いつの間にこんなに難しい言葉を覚えたんだい?

 ディスプレイにはえらくシビアな単語が連ねられていた。

 そのうち、疲れたと言ってちひは眠ってしまう。
 オレはその日記のデータをバックアップして、ちひのパソコンから削除した。



ちひ、アンタ何書いてるんだ?→→→→
9月24日(金) 記録者:神乃木荘龍

 ちひの様子がおかしい。
「怖い夢を見る」と言って、夜中に何度も起きちまう。それも決まって同じ夢、誰かに襲われて殺される夢を見ているらしい。

「大丈夫だ、コネコちゃん。オレが守ってやるぜ」
 そう言って頭を撫でてやれば、すぐにおとなしく寝ちまう。が、またしばらくすれば怖い夢にうなされ始める。

「時計に襲われる」と何度も訴えるのは、多分、頭をぶつけたときのショックが大きかったんだろう。

 もう二度と、ちひから目を離さないと心に誓う。
 早く忘れられると良いんだがな……。
9月23日(木)

 神乃木センパイ、コーヒーにだけは気をつけてください。
9月22日(水)

 どうしても思い出せなくて、ちひは神乃木センパイにきいてみることにしました。
「センパイ」
「なんだい?」
「ちひの、本当の名前って何でしたっけ?」

 そしたらセンパイはすっごくおどろいたかおをして、クッてわらった。

「ちひ、じゃあねえのかい? はつみみだぜ」
「ちひ〜………………。そうですよね、ちひは、ちひです」

 おかしなこと、きいちゃった。
9月21日(火)

 ちひは神乃木センパイのつくえの上に、ちひの家をおいてもらって、そこでずっとねています。
 ねむってなくても、横になってぼんやりとかんがえています。

 センパイの声をききながら、ゆめのことをかんがえています。
9月20日(月)

 ずっと見ていた、ゆめのことをかんがえてます。
 ねている間、ずっと同じゆめを見ていたような気がするのです。

 しらないばしょのはずなのに、あそこはほうりつじむしょだって、ちひにはわかります。ちひはだれかを待っていました。
 そうしたら、こわい人が来て。ちひを追いかけてきて。なにか重そうなものをふり上げて。
 それでちひは、ガツン!…………となぐられて、あとはわかんなくなって。

 そのゆめをなんどもなんども、見てた気がするのです。

 なんじゅっかいめかになぐられそうになったとき、どこかで神乃木センパイが「ちひ!」とよんだので、ちひは初めて、それがゆめだって分かりました。
 ゆめからさめなきゃ、って思って、がんばって目を開けたら、やっぱり神乃木センパイがいました。
9月19日(日)

「センパイ、ご…………」
「ご?」
「インターネットの人が、センパイにおへんじしてくれましたよ」
「へぇ…………。おやくにもたてませんで、とでも言っといてくれ」
「どうしてインターネットの人は、センパイだってわかったんだろう」
「さぁな……」
「ちひはセンパイがKだなんてかいたことないのになぁ…………あ、センパイ」
「なんだい?」
「ちひのかわりにおへんじしてくれて、ありがとうございました。インターネットの人、ちひと日記つづけてくれるって言ってくれました」
「そうかい。そいつぁよかったな」
「ちひひっ」

 ゴドーさんはちひとこうかんにっきをしてくれるみたいです。まっててくれてたみたいです。よかった!

 ちひはずうっとしんぱいしてたのです。神乃木センパイにも、生倉センパイにも、星影センセイにも、会ってすぐに「元気です」って言えるけど、インターネットの人にはすぐには言えないから。
 きっとしんぱいしてくれてたと思う。日記にもそうかいてありました。ちひはとってもうれしいです。それで、すっごくもうしわけないのです。
9月18日(土)

 少しおきられるようになりました。
 きのう、たいいんをして、神乃木センパイのおうちにかえりました。

「ただいま」
「おかえりコネコちゃん。まちくたびれちゃったぜ」
 ちひをだっこした神乃木センパイは、ニッコリわらってそう言いました。

 明日はインターネットをつないで、ゴドーさんにこうかんにっきをかくこと!
9月16日(木) 記録者:生倉雪夫

 ちひ君が目覚めてから、事務所の空気ががらりと変わったのが、目に見えて分かる。もちろんちひ君はまだ病院にいるし(動物病院にいるというのが……人として口惜しくもあり……また少々萌えでもあるのだが……)、私も星影先生もまだ一度しか見舞いに行けてないのだが、それでも確実に空気が変わっている。

 ちひ君がいないだけでまるで違ってしまう空気。事務所にいないだけでなく、命さえ危ぶまれた先週1週間。その間、私たちは私たちの心の中に確実に住み着いてしまったちひ君という存在を、思い知らされたわけだ。

 早く元気になって、帰ってきて欲しい。神乃木の話ではもうだいぶ回復しているとのことだ。
「事務所に行って、仕事がしたいって毎日言ってるぜ」
 神乃木の伝言に、かわいらしいちひ君の笑顔を思い出して心が和む。……こんな写真だけでは満足できない。早く、本物のちひ君に会いたいと思う。
9月14日(火) 記録者:神乃木荘龍

 医者の奴、ここぞとばかりに人のことを使いやがる。
「ほら、神乃木さん。ちょっと薬局でこれとこれとこれを……」
「買ってくりゃいいんだな。人使いの荒いお医者センセイだぜ」
「文句を言うなら、ちひちゃんにキャットフードを食べさせるはめになるよ? ここにはそれしかないんだが、いいのかな?」
「クッ、分かってるさ。アンタにゃ感謝してるぜ。めいっぱい、な」
 今なら何を言われたって余裕で笑い飛ばせるくらい、オレは機嫌がいい。

 ちひのために、赤ん坊の離乳食や栄養剤を買ってくる。
「ちひ〜……おいしいです、神乃木センパイ……」
 離乳食なんてうまいわけがない。びんに入っているペースト状の雑炊だか何だかを、それでもちひは文句も言わずに食べている。俺の差し出すスプーンから、ひと口ずつ。

 生き物が生きてる、ってコトに、こんなに感謝する日が来るなんて、な。

「センパイ……お願いがあるのです」
「どうした?」
「あの、ちひの代わりにお返事しておいてほしいのです……ちひ〜……」

 絶対、絶対他のところは見ない、と固く約束をさせられて、オレはちひの小さなパソコン端末を立ち上げた。
「クッ……目覚めたお姫様の心に間違いなく住んでいる、アンタは誰なんだい?」
 まだ身動きできないちひが心配する、パソコンの向こう側の「ソイツ」。感謝すべきか、ムカついていいのか、オレは苦いコーヒーを飲みながらずっと悩んでいる。

9月13日(月) 記録者:神乃木荘龍

 事務所を抜け出して、今日3回目の見舞いに行ったときだった。
「おおっ、神乃木さん、ちひちゃんが……」
「ちひが!?」
 血相を変える医者に、体中の血が引いていくのが分かった。

「どけ!」
 もう、理性も余裕もなんにも残っちゃいなかった。ただ、夢中で診療室へと駆け込めば。



「ちひ…………」

 白いガーゼを体に掛けたちひが、確かに俺を見上げて、そう言った。

「ちひ…………神乃木センパイ……」


 ちひの声は、俺が覚えていたよりずっと可愛かった。
9月12日(日) 記録者:生倉雪夫

 ちひ君は相変わらず、昏睡状態だそうだ。
 神乃木が一日に何度か、携帯電話へメールをよこしてくる。

『ちひはまだだ』
『どうしたらいいんだろうな』
『やっぱり獣医じゃ、限界があるんだろうか』
『人間の医者じゃ、見てくれねえし……何かいい考えはないか、先輩……』

 奴の焦燥感が痛いほど伝わってくる。私に何かを頼むことなどよっぽどのことがない限りありえない、生意気な神乃木が、ともすれば私にすがろうと弱音を吐く。珍しいものを見られても、こんな状況では嬉しくもないのだが。

 私にもどうすることもできないのだ。ちひ君の回復を祈ることしか、できないでいる。
9月10日(金) 記録者:神乃木荘龍

 あれきり、ちひが目を覚まさない。

 先週の日曜日、9月5日の夜だった。夜、9時頃だったと思う。
「ちひっ…………!」
 サイドテーブルの上でちひが、小さく声を上げた。そして何かの割れる音。
「おいおい、何やってるんだい? いたずらコネコちゃん」
 ちひがオレの腕時計で遊んでいたのは知っていた。おおかた、時計の重さに耐えかねてひっくり返したんだろう、とオレは思う。

「ちひ? 大丈夫か」
 声をかけるが、返事がない。
「ちひ、ちひ? おい、どうした!?」
 見ると、ちひはサイドテーブルの片隅でぐったりと座り込んでいた。花瓶にもたれてがっくりと首を垂れている。脇に置いてあった小さなガラス製のベッドランプが割れている。時計でも当てたんだろうか。

「ちひ、ちひ!」
 返事がない。ちひは頭から血を流していた。死んだのか、と頭が真っ暗になる。何も考えられなくなっていた。

 それでも救急病院の一覧を探す思考回路だけはかろうじて残っていたらしく、オレは急いでちひを病院へ運んだ。
 もちろん、ちひの大きさじゃまともに相手してもらえない。ねばったが、どうしてもだめだと言われる。
 どうしようもなくて、オレは次に動物病院の扉を叩いた。無理やりドアを開けさせ、ちひを差し出す。

 獣医の方がよっぽど親切だ。何だかわからねぇちひを、とにかく診てくれた。
「少しけがをしてますね。小さいし、良く分からないが、致命傷ではないと思いますよ。心音もしっかりしている」
 小さなちひに聴診器を当てて、じっと様子を見てくれる獣医に、俺は心底感謝した。

 そして、「この子は動物病院じゃ可哀想な気がするね。何だか良く分からないが」と言いながら、獣医はちひを預かってくれた。一番小さな動物用の点滴を注意深く使ってくれたり、薬をつけてくれたり、「分からない」を連呼しながらもどうにか治療らしきことをしてくれた。
 ただ見ているしかできないオレには、本当にありがたかった。

 あれから一週間。なぜかちひは目を覚まさない。星影のジィサンもぼん倉先輩も心配して、オレの仕事を引き受けてくれた。オレはまともに仕事もせずに、一日に数回、事務所を抜け出してはちひの様子を見に行っている。
9月4日(土)

「海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
「うー、ちっと天気わるいな……」
「いいのです! 海なのです海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

 お空ははれたりくもったりですが、とうとう海にいきました。

 海は思ったほど大きくなかったです。でもどこまでもずーーーーーっと続いてるんだと思うと、大きいです。すごい!
 水着も着ました。うきわも使いました。お昼はラーメンとカレーとおでんでした。カキ氷も食べました。

 生倉センパイはずうっとビデオとカメラばっかりだったので、さいごには神乃木センパイにおこられて水をかけられてました。
「神乃木! かっカメラがこわれる!」
「ははは……せっかくの海なのに、水をあびなきゃウソだぜ!」

 けっきょく、生倉センパイのカメラはちょっとこわれちゃったみたい。あーあ。ちひっ。

 今日はとってもとっても楽しかったのです! ちひはとっても疲れてしまいました。今日は早くねます。
9月3日(金)

「ちひ〜〜〜〜〜〜。土ようびは雨ですか?」
「いや…………何とも言えねえな。土ようびなら大丈夫じゃねえか?」

 うー、ちひは天気よほうにはりつきっぱなしです。海、いきたいのーー!
9月2日(木)

 わお! かわいいお店でぬいぐるみのキーホルダーを売ってました。ネコさんがうきわにのっているぬいぐるみで、そのうきわはちひにぴったりのサイズなのです。

「ちょうどいいんじゃねえか?……ほんらいのもくてきとはえらくかけはなれてるがな、クッ」
「ちひ〜。ちひもうきわ、つかえるですvv」

 キーホルダーを買ってもらいました。ネコさんにごめんなさいをして、うきわをちょっとかります。
 海からかえったら、またかえすからね。
9月1日(水)

 決まりました! 海はどようびです! こんどこそぜったいに行くーーーーーーーー!
 ちひーーーーーーー!