「急に誘って悪かったな、成歩堂」
「ううん、全然。いつも暇してるしさ」
 場所はいつもの飲み屋。何事もなかったように、当たり前の親友みたいな顔をして、御剣の前に座る。

 最近、気がかりなことが多い。
 御剣はやたらと、ゴドーさんのことばかり気にしている。
 それに、御剣がやけにきれいな顔をしているような気がする。

 ……全部僕の思い込みかもしれない。ゴドーさんを取られるなんて、まさかと思うけど。
 でも、考えれば考えるほど、深みにはまっていくみたいで。

『飲みに行かないか』という御剣の誘いを、僕は断らなかった。


「そうか」
 そう言って微笑む御剣の顔を見ながら、僕は何度も何度も同じことを考えている。

 やっぱり、御剣はきれいな顔をしている。

 外国に行って、少し変わったと思う。いや、少しどころじゃない。全然変わった。
 特に、「黒い検事」と言われていたあの頃……僕がまだ本当に新米だった頃の御剣とはまったく変わった。そりゃああれから3年も経ってるんだし、僕にだっていろいろあった。御剣が変わらないわけがない。
 でも、今見る御剣は、本当に違っていると思う。

「何だ?」
 僕があんまりじっと見ているから、御剣が気付いて苦笑する。
 その顔が優しくて、柔らかくて、…………驚くほどきれいだ。

「御剣」
「ん?」
 御剣も僕も、1杯目はとりあえずビール。だけど御剣は、2杯目からは冷酒と決まっている。透明な液体を、氷のような色のグラスから少しずつ飲む。そういう御剣を見ているだけで何だか優雅な気持ちにさせられる。

「御剣さ、変わったよね」
「そうか?」
 突然そんなことを言っても、少しも驚かずに聞き流される。いや、聞き流してるんじゃなくて、緩やかに受け止めている。こんな風に僕の話を受け止めてくれる御剣なんて、本当に、初めてのことだ。

 僕は中生を飲み干して、息を吐いた。
「やっぱり、変わったよ」
「この前も君はそう言っていたな」
「え? …………覚えてない。ヤッパリがいたとき?」
「いや、その前日だ」

 御剣と2人で飲んだときか。
 この頃、めちゃくちゃな飲み方ばかりしてて、大抵その日の記憶がなくなってる。
 いろいろ、忘れたいことが多い……んだよな。お酒に逃げてもしょうがない、ってことは分かってるんだけど。
 あの時の記憶も、ほとんどないんだよなぁ……。

 冷や汗をかく僕を見て、「困った奴だな」と言いたげに御剣が苦笑する。頬杖をついて、ちょっと上目遣いに僕を見る視線が、いたずらっこみたいでカワイイ。……くそっ。

「君はしきりに私を変わった、と言っていた。……そうかも知れない」
「そうだよ。絶対に変わった。……表情とか、その…………なんて言うか…………」

 前よりカワイクなった、とは言えず、僕は酔った頭で言葉を探した。最近僕はお酒に弱くなってるんじゃないか?
「丸くなった、と君は言っていたな」
「ああ、そうそう。それだそれ。御剣、丸くなったよ」
「君にそう言われて、ずっと考えていたのだよ。私はそんな風だろうか、と」
「そんなだよ。何か、ギスギスしなくなったっていうか……」

 御剣は頬杖をついたまま、少し考えるように視線を逸らした。
 僕は4杯目の生中に口をつける。

 ふっ、と御剣が口を開く。


「神乃木さんの」

「え?」

 御剣の意外な言葉に、僕はもう少しでむせるところだった。ビールをちゃんと胃に飲み下して、御剣の顔を見る。
 
「神乃木さんの法廷から、ではないだろうか……」
「何が」
「私が変わったのが、だ」
「…………そうかな。そうかも……どうだろう…………」
 そう言われれば、そうかもしれない。でも御剣はずっと外国にいたから、いつから変わったかなんてよく分からない。

 思考回路のぐらついてきた僕とは対照的に、御剣はしっかりした目で僕を見る。

「君と共に、神乃木さんの事件を担当しただろう」
「ああ、うん…………」
 てっきり味方してくれると思っていた御剣が、いきなりゴドーさんを死刑にするとか言い出してものすごい驚いた。結果的にはそれがゴドーさんにとって最良の道を開いてくれたわけだけど。

「あれから、ずっと私が日本にいるのは、なぜだと思う?」
「え? ……………………さあ」
 そういえば、そうだ。
 御剣は検事という職業のあり方を、自分の人生を考え直すために、外国を回っている。それが、今年2月の帰国以来、ずっと日本の検事局で仕事をしている。また外国へ行く様子もない。

「…………なんでだよ、御剣」
「それが、おそらく…………分かったのだよ」
「分かったって?」
 僕は前のめりになって、御剣を見つめた。
 やけに興奮しているのは、アルコールのせいだ。

 そんな僕を気にすることもなく、御剣は冷酒を舐めて小さく息を吐いた。
 色白の頬が、赤く染まっている。

 ひどく嫌な予感がする。
 まさか、と思っても、こんなときには余計な妄想が止まらない。

 御剣の口から「神乃木」の名前が出るたびに、僕の寿命は1年ずつ縮まっていくみたいだ。


 ますますぐらついてきた僕の頭の中を知っているのかどうか。
 御剣は淡々と語り続けた。

「神乃木さんのおかげで、見つかったようなのだよ」
「何が」
「……どうした成歩堂。何をそんなに興奮している?」
「してないよ。いいから。ゴドーさんがどうしたの」
「うム…………」

 氷色のグラスを見つめて、御剣はフッと笑った。

「こんな近くに、あったとはな」
「何が」
「私にとって検事とは何か。それを探してずいぶん歩き回ったよ。数々の国を回り、あらゆる言語で争われる法廷を見てきた。それでもどこか納得がいかなかったのだろうな。それが…………久しぶりに日本の法廷に立ってみれば、1度で見つかってしまう」
「…………………………」
「まさに『青い鳥』の物語のようだ。真実は、身近なところにあるものなのだな」
「…………で、結局、何が見つかったんだよ」

 ゴドーさんのおかげで。
 幸せでも見つけたって?

 僕は半分くらい残っていたジョッキのビールを一息に空けて、大声で追加を注文した。
 だいぶ酔ってる。
 でもそういう僕に目もくれないで静かに飲んでるあたり、御剣もかなり酔ってる。

 独り言みたいに、御剣は言う。

「神乃木さんのおかげで、見つけられたような気がする」
「だから…………」

「検事としての私、だ」

「……………………?」

 ちょっと驚いて、ちょっと安心して。
 僕は頬杖をついた腕をずるずると滑らせた。

 ゴドーさんのことじゃないのか、御剣?

「検事が罪を暴き、弁護士がそれを弁護する。それが法廷だ」
「うん」
「検事は常に人を疑い、罪を憎み、暴き出そうとする。何だかそれが汚い仕事のような気がしてな」
「やり方によるだろ。普通にしてればそれは……」
「それは君が弁護士だからだ。検事はどうしても、キラワレ者になりがちだからな」

 フッと笑う御剣に何も言えず、僕は黙って5杯目のビールを手に取った。

「けれど、私は検事だ」
「うん」
「そのことに誇りを持てるようになったのは…………神乃木さんの裁判を務めたときだった」
「…………………………」
「私があの人を追い詰めれば追い詰めるほど、糾弾すれば糾弾するほど、あの人は嬉しそうな顔をした。あの人が犯した罪がいかに重いかということを、言葉を尽くして叫んだとき、あの人は確かに笑っていた」
「………………………………」

 そうだろうと思う。
 あの時僕はあんまり必死で、ゴドーさんのことを見ていなかった。でも、あの時のゴドーさんはきっとそういう顔をしていたんだろうと思う。

 自分の罪を許せない。
 ゴドーさんはそう言っていた。

『本当なら死刑になってもいい。いや、オレは死ぬべきなんだ。……でもな、最強の弁護士と天才検事が命がけで叩き出した判決に、異議なんて言えるわけねぇだろう?』
 そう言って、ゴドーさんは執行猶予を受け入れてくれた。自分を許そうとしてくれた。

 御剣の顔を見ると、きっと同じことを考えているんだろう。少し悲しそうな顔で、でもやっぱり口元から笑みは消えなかった。

「神乃木さんがしたことをきちんと清算させたかった。そして、私は確かにその役目を果たせたのだと思う」
「間違いなく、だね」
「そうか……ありがとう、成歩堂」

 御剣は嬉しそうに笑った。
 ああ、この顔なんだ、と思う。
 最近御剣が見せるようになった、きれいな顔。

 なんて言うんだろう。
 しっかりとして。
 柔らかくて。
 自信に満ちた。

 そういう顔。

 それで、きれいなのか。

 僕はぼんやりとそんなことを考えていた。


 御剣は笑って、言う。
 きれいな顔で。




「私は生まれて初めて、検事として人を救ったのだ」





「………………そうか」

 僕もつられて、にっこり笑う。

 弁護士は人を信じる仕事だ。時に裏切られ、痛い思いをすることだってある。
 でも、もし人を疑うのが仕事だったら、きっとそれとは別の痛みを負うことになるんだろう。
 疑い続ける仕事…………。僕には、辛くてできそうもない。


「前に1度帰国したときも、私はただ人を裁くことしか頭になかった。悪事を裁くことが正義なのだと信じて、あの……カミヤキリオという女性にひどいことをしたこともあった」
「ああ……でも彼女は君に感謝してたよ。本当の自分を取り戻せたって」
 オートロの裁判で、半ば脅迫するようにキリオさんの秘密をこじ開けたのは、御剣だった。あの時どうしてもキリオさんの証言が必要だったとはいえ、「死ぬなら勝手に死ねばいい」と冷たく言い放った御剣は、確かにまだ昔の面影を引きずっていた。

 でも、神乃木さんのときは違う。
 御剣は、最初から神乃木さんを救うつもりで、「神乃木荘龍に死刑を」と叫んだんだ。

 罪を罪として暴き出すのは、同じかもしれない。
 でも、神乃木さんの時、御剣はまったく違う御剣だったんだ。

 人を救うために、検事席に立った。
 人を救うために、罪を暴いた。

「…………だから、神乃木さんには感謝しているのだ」
 御剣はそう言うと、うまそうに冷酒を飲み干した。
「そうか」
 そういうことだったんだ。いろいろと納得した。

 御剣がやけにゴドーさんに気を使うわけも。
 なんだかまぶしいくらいきれいに見えるわけも。

 僕は御剣のグラスにお酒を注いでやりながら、こっそりと笑った。

 御剣がゴドーさんのことスキかもしれないなんて。
 馬鹿みたいなこと、考えてた。

「じゃあ、御剣検事に乾杯!」
「ム…………受け取っておこう」

 冗談っぽく突きつけたビールジョッキに、小さな冷酒のグラスをこつんと当てて、御剣は笑った。


 やっぱり、きれいな顔だと思う。

 でも、それでいいと思う。

「御剣、きれいな顔してるね」
 感想を素直に口にすると、御剣はムッとした顔をする。

「バカなことを言うな。…………それで前回も大変な思いをしたのだぞ」
「えええっ? な、なにが?」
「酔っ払った君がクダを巻いて、私がきれいだとかなんだとか、からんできたのだ」
「うええ……ご、ごめん。覚えてない……」
「べろべろに酔っていたからな、無理もないだろう。しかし私に『ゴドーさんを取るなよ』とワケの分からん文句をいい続けていたのは、間違いなく君だ」
「ご、ゴメンナサイ…………」

 そんなことを言ったのか、僕は。
 御剣がきれいだからって、ゴドーさんを取るなって…………?
 酔っ払いもたいがいにしろ、だな。

 小さくなる僕を余裕の笑みで見下して、御剣は優雅な手つきで冷酒を飲む。

 そういう御剣を見つめていると、僕もだんだん分かってくる。




 僕は御剣が好きだ。

 でも、だからってどうこうしたいわけじゃなくて。

 こんな風にそばにいて、きれいな顔で笑っていてくれたら、それでいいんだと思う。

 今夜、そう思えるようになった。

 見ているだけで嬉しくなれる君は、確かに僕の中で特別だ。

 でも、そこで止められる。

 今度は、苦しくないよ。


 御剣は、僕の親友なんだ。




「御剣」
「何だろうか」
「ずっと友達でいてよ」
「ム…………断る理由もないな」
「うん」
「成歩堂」
「何」
「ずいぶん酔っているようだな」
「かもね…………でも」
「でも?」

 僕は机の上に頭を乗せて、へらへらと笑った。

「今夜話したことは、明日もちゃんと覚えてるよ」


 忘れないように、ちゃんと覚えていよう。

 御剣のこと。



 御剣は、僕の親友だ。





<END>











成歩堂日記のサブストーリーでした。単品でも読めるようにちょっと無理やりアレンジしてみたんですが……。一応、ゴドナル前提のお話です。さらにはふられナルミツも前提なんだけど……複雑な心境のなるほどくんです。御剣がやたらとゴドー・神乃木のことを気にしているので、ゴドーさんを取られるんじゃないかと不安に思う反面、最近きれいな御剣にちょっと心揺らいじゃうそんな不謹慎ななるほどくんです。なるほどくんはゴドーさんも御剣も、あとちいちゃんことあやめさんも、ダイスキなのでちょっと困った子です。自分でも困ってるみたいです。
御剣のいう「神乃木さんの裁判」はSS「裁量」で書いたアレです。どうもあのネタが好きみたいで……何度もしぶとく使っちゃいますね。でも神乃木裁判はぜひああであってほしい!と思います。
by 明日狩り 2004/10/15