| 2月14日 午後5時27分 地方裁判所 第2控え室 |
裁判がようやく終わり、僕はゴドーさんを支えながら控え室へと入っていった。長かったような短かったような……。控え室の時計を見て、僕は初めて今何時なのかを知った。 「大丈夫ですか?」 「ああ、すまねえな……まるほどう」 ゴドーさんは青白い顔でにやりと不敵に笑うと、松葉杖に体を預けながらゆっくりとソファに倒れこんだ。それで僕もようやく、ほっとひと息をつく。 「まるほどう、って呼び方、まだ変わんないんですね」 「ああ、男は簡単に信念を変えちゃいけねえ。そいつがオレのルールだぜ」 「信念なんですか……」 苦笑しつつ、ゴドーさんの向かい側に腰を下ろした。 ゴドー。 今はもう神乃木荘龍だ。 かつて検事として僕のことを追い続けていたこの人は、4日前の裁判でとんでもない事実を人々の目の前に晒した。彼流に言うなら、闇色のコーヒーをぶちまけて、コーヒーカップのそこに沈んだ真実を暴き出した……というところだろうか。 寒い山中、修行寺の殺人事件。 その真犯人が、検事ゴドーだったということを。 その正体は、かつて弁護士だった神乃木荘龍だということを。 その事件の裁判が、さっき終わった。どうしてもと半ば頼み込むような形で、僕が弁護を務めた。 「クッ…………」 ゴドーさんは何を考えているんだろう。黙ったまま、そのゴーグルの赤い光を宙にさ迷わせている。 奥の院に40時間も閉じ込められ、そのまま翌日には検事席に立っていた。その無理が祟り、元々強くなかった体はさらにぼろぼろになってしまった。 目も良く見えず、大きな体も1人では支えられない。松葉杖をつきながら、誰かに肩を貸してもらってやっと歩けるといった状態だ。 ゴドーさんに下された判決は、懲役3年、執行猶予5年。 弁護側の主張がほぼ9割方通って、情状酌量が認められた。事件のあらましを知る傍聴席からの同情の声と、何よりも情に厚い裁判長がゴドーさんの事情を知っていたことで、僕の弁護もだいぶ助けられた気がする。 執行猶予。つまり、刑務所には入らなくてもいい、ということだ。 それなのに、何だかゴドーさんはさっきからずっと浮かない顔をしている。……気がする。 ゴーグルの向こうに隠された表情はいつもわかりにくい。でも裁判が終わってからずっと、ゴドーさんはこの調子だ。黙って、上の空で。 何か、考えているようだった。 僕は今日の裁判のことを思い出した。 検事席に立ったのは、御剣。 御剣が担当だと聞かされたとき、僕は最初すごくありがたかった。御剣ならゴドーさんの事情を……悲しい理由を……知っているし、味方になってくれるだろうと思っていた。 でも、検事席に立った御剣は、残酷なくらいいつもと同じだった。 「検事側は、被告に死刑を求刑する」 「な、何だってえええぇぇぇ!!!」 思わず大声で叫んでいた。そんな僕の動揺を蔑むかのように、御剣は両手を軽く広げ、頭を左右に振る。……いつものポーズで。 「被告はあらかじめ綾里キミ子の計画を知っていた。にも関わらず、然るべき機関に通報する義務を怠り、最悪の事態を招いたのだ。その責任はすべて被告にある」 「み、御剣………………異議あり!!」 夢中だった。 「しかし被告は計画を阻止するために全力を注ぎました。最悪の事態、と検事側は言いましたが、被害者にとっての最悪とは娘、真宵の死であり、そういう意味では今回の事件は最悪とは言いがたい!」 自分でも何を言ってるか分からなかったけど、とにかくゴドーさんを助けたかった。 突然親友の姿が、敵に変わる。 にやりと笑う御剣の顔は、黒い噂の絶えなかったあの頃と同じだった。 (どうして……どうして御剣……。ゴドーさんを裏切るのか? 僕を……裏切るのか……?) 分からなかった。 御剣が何を考えているのか。 (ゴドーさんを死刑にする? 本気で思っているのか? 容疑者はすべて有罪にする、そんなやり方はもう捨てたはずじゃなかったのか……御剣……!) 嘘だと言って欲しかった。 でも、御剣は本気だ。 「弁護側はどうやら、傍聴席や裁判長の憐憫の情にすがって、みっともなく情状酌量を手に入れるつもりらしい。……しかし私はそうはいかないのだよ」 バン、と机を叩き、僕をにらみつける。 厳しい視線だ。 (御剣……どうして……) 迷い続ける僕に、容赦なく突きつけられる糾弾。 御剣は本気だった。 だから僕らは本気で、まるで憎しみ合う敵同士のように、戦った。 「異議あり! 被害者にはいざというときに命を賭ける覚悟がありました。それを被告はあらかじめ聞いています!」 「異議あり! それはあくまでも被告の証言であり、信頼性が低い。おまけに殺害時の被害者は霊媒中、すなわち心神喪失状態にあった!」 これほどまでに手ごわい御剣なんて、今まで相手にしただろうか。そんな風に思えるくらい、今日の御剣は厳しかった。 コンコン。 ノックの音ではっと我に返る。僕は顔を上げ、 「どうぞ」 と、答えた。 「神乃木氏は……こちらだろうか」 「み……御剣…………っ!」 扉を開けて入ってきたのは、他ならぬ今日の相手、御剣だった。 「お前……今日はいったい…………」 うまく言葉にならなくて立ち尽くす僕をちらりと見て、御剣はゴドーさんに向き合う。 「神乃木さん、お体は大丈夫だろうか」 「ああ、見た目よりはずっと元気だぜ。ありがとよ」 ぐったりとソファにもたれたまま、軽く手を振って見せる。 僕は控え室を訪れた御剣のことも、その御剣が開口一番ゴドーさんの体を気遣うのも、理解できなかった。ただ呆然として2人のことを眺めている。 御剣はうなずくと、何か言いたげにじっとゴドーさんを見つめている。……真剣な時の御剣は、見つめるというより、睨みつけると言った方が正しい。でも本人は睨んでいるつもりはないのだろう。 何か言い出すのかと思ったら、フッと視線をそらした。 「そうか……では私はこれで」 「待ちな」 「待った!」 ゴドーさんと僕が叫んだのは同時だった。お互い目を見合わせ、僕が先に口を開く。 「御剣! 今日の君はいったい……どうしたんだ?」 「何がだ」 「何って……すごかったぞ、今日のお前のやり方……」 うまく言葉の選べない僕に、御剣はまたフッと笑う。 「それは褒め言葉として受け取って良いのだな?」 「違うだろう!」 ここがいつもの弁護席だったら、机を叩いているところだ。叩くものが何もないので、僕は力いっぱいこぶしを握り締めた。 「違うだろう……御剣……。お前、なんであんな……」 何て言ったら、この気持ちが伝わるんだろう。 裏切られたような、腑に落ちないような、でもどこかで御剣を信じている、ぐちゃぐちゃの気持ちは、ひと言では表せない。 「あんな、なんだい? まるほどう」 言葉に詰まる僕に声をかけたのは、御剣ではなく、ゴドーさんだった。少しあごを上げて笑うゴドーさんのいつものふてぶてしい表情に、僕は戸惑う。 「あ、あんな……」 「あんな、手抜きのない完璧な立証のことかい?」 「そう、ですけど……」 完璧な立証。確かにそうだ。 御剣が出してきた証拠も、証言も、完璧だった。ゴドーさんが犯した罪の輪郭をくっきりと浮かび上がらせ、舞子殺害という犯罪の形を世間に知らしめた。 「なぜアンタが憤る? 御剣のボウヤは完璧だった。完璧な仕事を全力でしてくれた。感謝こそすれ、そんなヒステリックな失恋女みてぇに詰問する筋合いは、ねえぜ!」 びしっと人差し指を突き出され、その迫力に気おされる。ゴドーさんにまで責められて、いったい僕は何なんだろうとちょっと悲しくなった。 「…………………………」 黙りこくった僕を横目に、ゴドーさんは小さく息を吐いた。 「なぁ、御剣のボウヤ」 「ボウヤは失敬だ。訂正していただきたい」 「クッ……御剣検事さんよ。アンタ、オレに何か言うことはねえかい?」 「…………………………」 そのひと言で、御剣も黙る。視線をそらして少し考えてから、御剣は言った。 「言うことは、ない。聞きたかったことは、今聞いたからな」 「へぇ。聞きたかったこと、ねえ?」 「うム」 「聞きたいことだけ聞いていくのは、うまいコーヒーの最初の1口だけ飲んでいくのと一緒だぜ? せっかくだ。全部飲み干していきな、検事さんよ」 ゴドーさんの言いたいことは分からないけど、僕も御剣の言葉が聞きたかった。このままじゃ、本当にすべては闇の中に沈んだままだという気がした。 長い時間が過ぎた。 多分何十秒という時間だっただろうと思う。でも、身動きひとつしないで言葉を待っている僕たちには、ずいぶん長い時間のように感じられた。 御剣が、意外なことに僕のほうを見た。 「成歩堂、お前の話を先に聞こう」 「えっ……」 突然言われて、僕は呆然とする。何も考えていなかった。 「私にずいぶん言いたいことがあったようだ。それを先に聞く」 「え……でも……」 言えと言われれば、いつでも言える。 『どうして御剣は、ゴドーさんの味方をしてくれなかったんだ?』 でも今は、その言葉があんまり場違いな気がしていた。なぜだかは分からないけれど。 法廷での嫌味な御剣検事の姿はもうここにはない。今目の前で僕の話を聞こう、と言っているのは、まっすぐで真面目な御剣怜侍だ。 御剣が親友の目で僕を見ているので、さっきまで胸にわだかまっていたものが嘘のように思えた。 今度は僕が黙り込む番だった。 『どうして御剣は、ゴドーさんの味方をしてくれなかったんだ?』 その疑問自体が、ムジュンしているような気がする。 だって目の前にいる御剣は、裁判の後にわざわざゴドーさんの体調を気遣って見に来てくれる奴だ。 弁護側の主張がほぼ通った裁判の直後なのに、悔しい様子も怒った様子もなく、淡々と検事席を離れた御剣。 御剣は、敵だったんだろうか。 「成歩堂、言いたいことがあるなら言いたまえ」 御剣に促されて、僕は無理やり言葉を紡いだ。 「御剣…………僕は君を、信じるよ」 「う、ム……」 眉間にしわを寄せて、困った顔をしている。その表情がいかにも御剣らしかったので、僕はやっぱり御剣を信じようと思った。 根拠もないのに都合のいいことかもしれないけれど。 「そうか」 御剣はそれで決心がついたらしかった。ゴドーさんに向き合い、まっすぐに言う。 「では私も言わせてもらう。 神乃木荘龍、今日の判決は正しく下された。私はそう考えている。 あなたがどう思おうが勝手だが、あの判決に疑問の余地はない。 ……それを覚えておいて頂きたいのだ」 一瞬の沈黙。 そして、ゴドーさんがクッと笑った。 「ご親切に、ありがとうよ。……覚えておくぜ、しっかりと、な」 嫌味のない、素直な声だった。仮面の向こうからでも気持ちが伝わってくる。 「うム。それだけだ。……では私はこれで失礼する」 御剣は軽く一礼すると、後も見ずに部屋を去った。 「まるほどう」 御剣が消えた扉を眺めて、ゴドーさんがつぶやくように言った。 「アンタはどう思う?……今日の裁判について」 「そうですね……」 僕としては満足のいく結果だった。ゴドーさんの罪は、法的な手段で償うものではないと思っているし、服役するだけの体力だって多分ないだろう。 でも、今聞かれているのは、きっとそんなことじゃない。 黙っている僕の代わりに、ゴドーさんが口を開く。 「御剣のボウヤも、アンタも、刀の切っ先みてえに鋭くて……まさに真剣勝負、って奴だった」 御剣が刃を向けてきたから、僕もまたそうせざるを得なかった。 「適当で、いいじゃねえか。オレが殺したってことに変わりはねぇ」 犯人も、事情も、何もかも明らかなのに、僕と御剣は激しく戦った。 「それなのにアンタたちは、何のためにあんな熱い戦いを見せてくれた?」 ゴドーさんの視線が僕に向けられる。 「オレは死刑になって当然の、クズだ」 「なっ………………」 思いもかけない言葉の鋭さに、胸を突かれる。反論しようとする僕を片手で制して、ゴドーさんはまた、クッと笑った。 「……そう思っていた。でもな、アンタたちは今日、立証しちまったんだ。 オレが、どれだけの重さの罪を犯したのか、ってことをな」 「罪の、重さ……」 「本当ならそいつはいつだって、自分自身で決めるもんだ。だがな、ここは日本で、日本の法律ってモンに守られてる。オレの罪の重さも、法律って名の天秤にかけて、重さを量られなきゃいけねぇ」 その天秤を見守り、不正がないように、真実の重さが量られるようにするのが、僕らの役目だと思う。 「オレはオレに、死刑を宣告してやる。もしこの罪を裁くのがオレだったら、そうしてやるさ。 だが、弁護士、検事、そして裁判長。傍聴人が見守る中で、オレに下された判決は、どうだ?」 懲役3年、執行猶予5年。 それが、ゴドー・神乃木荘龍に下された罪の重さだった。 御剣の言うとおり、それは、間違いのない重さと僕も思う。 「公正だと、思いますよ」 「ああ、そうだ。容赦ない検事さんと手落ちのない弁護士さんが、あんだけ真剣につばぜり合いをして出した結果だから、な。 あの激烈な法廷の後じゃ、オレ自身の独りよがりな判決なんざ、出がらしのコーヒーみてぇなモンだ」 そう言って、ゴドーさんは、笑った。 肩の力を抜いて、少しだけ、困ったように。 「アンタたちのおかげ、だぜ。……ありがとうよ」 生半可な同情は、真剣に生きている人のプライドを傷つける。 御剣はそれを知っていたんだろう。 大切な人を失い、その心の虚ろを埋めるために長い煩悶を繰り返してきた。 そんな御剣だから、ゴドーさんを、神乃木荘龍を救う方法を知っていたんだ。 「僕は……まだまだだなぁ……」 まだまだ、まるほどうと呼ばれても仕方ないのかもしれない。 でも、過程はどうあれ。 ゴドーさんは僕らが出した結論を、受け入れてくれたのだと思う。 受け入れて、執行猶予5年を、過ごすのだと思う。 自分を責めるかもしれない。後悔するかもしれない。 それでも執行猶予5年という判決の重さを、正しく受け止めて。 「助けたいな」 僕は、そう思っていた。 いろんな重さを1人で背負おうとするこの人を、その重すぎる運命を、僕は助けたいと思っていた。 神乃木荘龍という人のそばにいたいと。 そのとき僕ははっきりと、自覚した。 <END> |
| 3その後の神乃木・ゴドー・荘龍の判決に関しては、諸説ありますね。見たところ、服役した後成歩堂事務所に……っていうのが多いのかなぁ。うちの神乃木さんは体も弱いし、何より情状酌量の余地が大いにあると思うので(初犯だし)、執行猶予という設定にしました。ゴドーさんはねー。チヒロを失って生きる目的もなくなって、でもまるほどうに執着するうちに新しい目的を見つけちゃうといいと思う。そんで、変に自分を責めずにまるほどうに救われるといいと思う。正直、ゴドーさんのしたことはあんまり賢いとは思えないし、もっと他にやり方があったとは思う。でも、ああいうようにしかできなかったのだし、それなら十分、なんじゃないかな。うまく言えないけど。 神乃木裁判の様子はちゃんと書きたいんですが、ひとまずこんな感じ、というのをアウトライン気味に書いてみました。まるほどうはいろいろな感情から、ゴドーさんのそばにいてあげたいと思ってます。それはまだ、恋じゃないけど。それはこれからのお楽しみ。……ゴドーさんはどうなんだろうなぁ……。 By明日狩り 2004/5/4 |