成歩堂日記 3月

3月31日(月)

 もうちょっとで桜が咲くみたいだ。昨日はまだ、ほんとうに、あともうちょっとというところだった。

「来週は、ちょっと遠出して本格的に桜見に行きましょうか」
「ああ、そうだな」

「…………来年も」
「ん?」
「来年も、行きましょうね」
「気の早い話だな。……ああ、いいぜ」
「必ずですよ」
「必ずだぜ」

 僕らは、もう約束するのも当たり前のようになっている。
 僕らの進む道が目の前に続いている。もうすぐ桜の咲く道が、来年へも再来年へもずっと続いている。

 僕を繋いでいてくれる手も、ここにある。だから、もう迷わない。
 僕の足跡をここに刻んでいく必要も、もうないんだ。

 だから、今日で日記は終わりにする。
 だけど、明日も僕らは生きていく。
3月27日(木)

 仕事が入ってきて、ぼちぼち忙しい。このところ、コンスタントに仕事があってけっこうやること多いんだよなぁ。
 ゴドーさんが秘書じゃないけど、僕のスケジュールとかやけに把握してて、
「例の仕事は今日までに書類提出だろう?」
 なんて言ってくれるから、すごい助かる。

 ゴドー……神乃木さんみたいなすごい弁護士を秘書に使うなんて、もったいないと思うけど。
 当人はちっとも気にしてないみたいで、コーヒーを飲みながら僕にああだこうだと指図するのがキライじゃないらしい。

 外もだいぶ、あったかくなってきたな。
3月23日(日)

 めっちゃあったかい。

「ほら、桜のつぼみがちょっと開いてます」
「もうすぐ、だな」

 一緒に散歩に行って、そんなのんきな会話を交わす。
 一年前、僕らはこんなじゃなかった。ぼろぼろになった日々を取り繕うために生きていた。それが今じゃどうだ?

 桜待つ、散歩道。
 来週も見に来ましょう、ゴドーさん。
3月22日(土)

 ソファにねっころがって、雑誌かなんか読んで。
 ゴドーブレンドが出てくるのを待っている。

「ああ…………」

 幸せなんだな、と思う。
 安らぎなんだな、と思う。

 最近、日記に書くことがなくなってきたと思う。毎日が、日常になっている。
 当たり前の幸せが続いている。
3月19日(水)

 御剣にメールを送ってみた。
 どこに引っ越したのかもよく分からないし、メールの方が確実だろうと思う。

 いろいろ、書きたいことを考えていた。
 いざ、文章にしようとすると、まとまらないもんだな。

 結局、まともに読めるものじゃなくなっちゃったんで、送るのは止めた。
3月17日(月)

 御剣から、手紙が来た。

『連絡をしようと思ったのだが、事務所も留守だし、電話もつながらない。
 ちょうどよかったのかもしれない。手紙の方が、言いやすい。

 日本に戻ってきてから1年が経つ。今回の帰国は得るものがたくさんあったように思う。
 けれど、私にはまだやり残したこと、やるべきことがたくさんある。
 君がこの手紙を読んでいる頃、私は海の向こうにいるはずだ』


 わざわざ知らせてくれたこと。それだけで充分だった。
「見送れなかったな」
「……でも、これでよかったのかもしれないです」
「会えば別れが辛くなる……か?」
「やだなあ、そんなワガママ言いませんよ。子供じゃないんだから」
 変なことを言うゴドーさんに笑って見せる。

 いいんだ、これで。
3月16日(日)

 不思議な世界を見ているようだった。

 何度も行ったことのある倉院の里は、儀式のためにいろいろと見たことのないような衣装、道具、決まりごとにあふれていた。その中で、ずっと遠目にしか見ることのできなかった春美ちゃんが、本当に小さく、本当に立派に見えた。

「すごいものですね」
「…………立派だな、お嬢ちゃん」
 後ろに控えて、ずっと春美ちゃんを見守っている真宵ちゃんの姿も見えた。後で聞いた話だけど、真宵ちゃんが正式に家元の座を降りて、その代わりに春美ちゃんの後見人としてそばについていてあげることに決まったそうだ。

 真宵ちゃんと春美ちゃん、これからはずっと一緒に、力をあわせて倉院を守っていくのだという。

「望みどおりの結果になったな、お嬢ちゃんたち」
「ええ、本当に良かった…………」
 この里を巡って、家元の座を巡って、悲しい事件が起こった。それでもこうして理想的な結末を迎えられたのは、ひとえに真宵ちゃんと春美ちゃんの前向きな努力のおかげだ。
3月11日(火)

 今まで、土日以外はほとんど閉めたことがない。千尋さんから受け継いだ、この事務所を。

「行ってきます」
 誰もいない事務所の鍵を閉めて、僕とゴドーさんは駅へと向かう。

 電車に乗って1時間。久しく行くことのなかった、あの里へと。
3月10日(月)

 手紙が来た。
 消印は、倉院。……真宵ちゃんからだと思ったら、違った。知らない、けれど同じ綾里という苗字の人からだ。

 春美ちゃんが、家元になる。その儀式へ、来賓として特別に招待してくれるらしい。
 宛先は、僕と、神乃木さん。

「……立ち会おうぜ、まるほどう」
「ええ、そうですね…………」
 僕らは、そこで見てこなければならない。何かが終わり、何かが始まるそのときを。
3月8日(土)

 ゴドーさん、案外元気です。

 元気すぎますっ!
3月7日(金)

 真宵ちゃんのこと、千尋さんのこと。
 春美ちゃんのこと、舞子さんのこと。
 それから神乃木というかつての男のこと、ゴドーという現在の男のこと。

 僕はどれだけ役に立てたのだろうと思う。たとえ真宵ちゃんの無罪を証明し、ゴドーさんの罪を清算させたとしても、返ってこなかったものがたくさんありすぎる。千尋さんも、舞子さんも、神乃木という人の未来にあるはずだった人生も。

 ……昔の僕なら、精いっぱいやったと胸を張って言ったかもしれない。でも自分にできることを精いっぱいやっても、人を救うことができないときがあるんだとアイツに教えられた。嫌と言うほど。
 だから、僕はぼんやり迷っている。
 僕が、本当に役に立てる方法を。
3月4日(火)

「ナルホドーーーーーーーーーー!」
 と、突然うるさいのが事務所に飛び込んできた。

「……矢張。どうしたんだいったい」
「真宵ちゃんが……真宵ちゃんが死んじまうーーーーーーーッ!!」
「ええっ!? うそだろ、まさか……!?」

 ……などと騒いでいると、電話が鳴った。
『あ、もしもし。なるほどくん?』
「真宵ちゃん!? どこにいるんだ! 今、ヤハリの奴が来て大騒ぎしてるぞ」
『え? 私ちゃんと書き置き残してきたはずなのに。ヘンだな?』
「なんて書いたんだい」
『うんとね、「霊媒師・綾里真宵は死を選ぶ」って書いて、置いてきた』
「ダメだよ! そういうアレはしゃれになってないから!!」
 何考えてるんだ、ほんとに。

『あ、でもしばらく里に帰らなきゃならなくなったんで、そっちを留守にするのは本当なんだ』
「倉院の里に…………?」
『うん、あのねあのね、はみちゃんがとうとう家元になるんだよ! それであたしはそのお手伝いをさせてもらうんだ』
「…………そう、なんだ」

 何だか、複雑な気分だった。本来なら真宵ちゃんがなるはずの家元なのに、いろいろな事件に巻き込まれたせいで真宵ちゃんはその資格を失ってしまった。
 真宵ちゃんは何も悪くないのに。……そう思うとやりきれない。
『でもあたし、これでよかったと思うんだ。あたしよりはみちゃんのほうがしっかりしてるし、霊力も強いし。……それに、キミ子おばさまの悲願だしね』

 真宵ちゃんは、受話器の向こうで笑ってそう言う。自分を殺そうと企んだおばのことを、こんなふうに思いやることができるのはキミくらいだよ、と思う。

 どうしてキミはそんなに強いんだろう。本当に、言葉にならないくらい…………。
3月3日(月)

「ひなまつりやろーーーーーーーー!」
 と、突然賑やかなのが事務所に飛び込んできた。

「真宵ちゃん!? それに春美ちゃんも、久しぶり……」
「神乃木さん退院おめでとうございますっ!」
「ワタクシ、ご挨拶が遅れまして申し訳ないのですが……おめでとうございます!」
 2人の女の子に囲まれて、ゴドーさんはいつものようにクッと笑った。

「ありがとよ、お嬢ちゃんたち。……アンタたちが入ってくるだけで、この事務所にも春が来た気がするぜ」
「今日はみんなで、ひなまつりパーティと神乃木さんの快気祝いやろうと思って!」
「ワタクシと真宵様で、いろいろ用意してきたのですよ!」

 そんなわけで、夕方早めに事務所を終わりにして、ひなまつりパーティをやることになった。途中から矢張とマコちゃん、イトノコさん、それに御剣、といつものメンバーが集まってかなり賑やかだった。

 それで、帰りに。
「じゃ、またね」
「おやすみなさい」
 そう言いながら、みんなバラバラに自分の家へと向かう。僕とゴドーさんは同じほうへ歩いていく。それがちょっと恥ずかしかった。
3月1日(土)

 もう3月なのに北風が吹いてちょっと寒い。これで雨雲が来たら雪でも降りそうだ。

「ゴドーさんの手、いつも冷たいですね」
「それがなんのためだか、アンタ知ってるか?」
「……ゴドーさんの血行が悪いんじゃないんですか?」

 そしたらゴドーさん、クッと笑ってこう言う。
「アンタにあっためてもらうために、冷えてるんだぜ」

 ああああもうっ。誰かこの人の言動をどうにかしてくれぇ。