成歩堂日記 9月

9月30日(月)

「成歩堂、神乃木さんの見舞いに行くことがあれば、一緒に行きたいのだが」
 事務所に、電話がかかってきた。
「ああ、とりあえずあさって、行く予定だけど?」
 水曜日は真宵ちゃんのアルバイトが休みなので、こっちに来てもらう約束をしている。「なるほどくんの事務所でトノサマンのビデオ見てればいいんでしょ?」と気軽に引き受けてくれたけど……うーん……複雑。
 バイトが休みの日まで来てもらうってのはひどいよな、実際。でも、事務所でお茶飲んで電話取ってくれればいいだけ、といえばそうだから、この際深く考えずに甘えさせてもらう。

「あさってか、分かった。………………」
「…………………………?」
「な、成歩堂……」
「何、どうしたの御剣」
 なぜか電話の向こうで言いにくそうにしている御剣に、僕は訳もなく嫌な予感がした。

「成歩堂、その……」
「何だよ、はっきり言えばいいのに」
「私も一緒に行って、いいのだろうか」
「え…………全然いいと思うけど」
 御剣、何を言いたいんだろう。

 僕と、ゴドーさんの関係について思うことがあるんだろうか。
 改めてそんなことを言われると、意識しちゃって顔が赤くなる。だいたい、わざわざ公言した覚えはないんだけど、みんな僕とゴドーさんのことをどこまで知ってるんだろう……。
9月29日(日)

 今日もお見舞い。
「ゴドーさん、あれやりましょうか」
「あれ……?」
「ほら、前にもやったでしょう」
 僕は、お見舞いに持ってきた花を一輪取って、ゴドーさんに差し出す。ゴドーさんの手を取ってそれに触らせると、「ああ」と思い出したらしい声を上げた。

「………………マリーゴールド」
「えーと…………そうかもしれませんね」
「クッ……相変わらずだな、まるほどう」
「ま、相変わらずですね」

 聞いては見るものの、さっぱり花の名前なんか覚えられない。
 それでもゴドーさんに、花をひとつずつ触らせて、花びらをつまむゴドーさんの顔を見る。

 この時間が、僕は本当に好きだ。
9月28日(土)

 花を持って、お見舞いに行く。
 ゴドーさんはやっぱりゴーグルを外して、ぼんやりと考え事でもするように宙を眺めていた。

「ゴドーさん」
「……まるほどうか」
 見えていない視線には慣れているはずなのに、こんな病室で白い色の目に見つめられると、少しドキッとする。いつもどおりのはずの呼び名も、何だか違和感があるみたいだ。

 まるほどう。思えばおかしな呼び方だ。初めて法廷でそう呼ばれて、異議を唱える前に呆れてしまった。
「ねえ、ゴドーさん。僕たちが会ってからちょうど一年くらいですよね」
「…………そうか、そうだな」
「変ですね。僕ら、一年前はこんなことなんて考えなかったのに」
「ああ、特にオレは、な」
「……………………」

 こっそりと、ゴドーさんのパジャマの襟元を直してあげるフリをして、唇を重ねる。

 ねえ、一年前には、こんなこと考えもしなかったですよね。
9月27日(金)

「神乃木さんが、また入院したそうだな」
 一人で留守番してたら(……って僕の事務所なんだから、留守番じゃないんだけど……ついそう言ってしまう自分がちょっぴり悲しい)、昼過ぎに御剣が来た。最近連絡も取ってなかったけど、急に訪ねて来るから驚く。

「御剣……耳が早いね」
「情報を制するものは、世界を制するのだよ、成歩堂。……しかし、心配だな」
「うん……今回はたいしたことじゃない、って言ってるけどね」
「前回もそういって、結局長引いたではないか」
「そうだけど……」

 あんまり考えたくないし、考えてもしょうがない。僕にできるのは、ただ待つだけなんだよ。

 僕が黙っていると、物分かりのいい親友はすぐに僕の気持ちを察してくれた。眉間にしわを寄せて、ム、とうなる。
「スマナイ。出すぎたことを言った」
「ううん、ありがとう。こうして顔見せてくれるだけでも、嬉しいよ」
「いや……病院の方へも、落ち着いたら顔を出すつもりだ。宜しく伝えてくれたまえ」
 神乃木さんのこととなると、みんな何だか反応が早い。真宵ちゃんも昨日電話くれたし、イトノコさんも電話くれたし、みんなどこで聞きつけたんだろう?

 もし僕が入院したら、みんなこんなに心配してくれるのかな……なんてバカなことを考えてしまう。それから、すぐにちゃんと思い出す。
 みんな心配してくれたじゃないか。2月に僕が川へ落ちて、ひどい風邪を引いたときに。
 御剣なんか、海の向こうからジェット機までチャーターして。
9月26日(木)

 どうしても一緒に行きたかったんで、朝の2時間だけ真宵ちゃんに来てもらって、事務所を抜け出した。

「ゴドーさん、大丈夫ですか」
「クッ、病人じゃねえんだ。心配しすぎだぜ?」
「病人だから心配してるんですよ」

 毎日だってお見舞いに来てやる。
 何だか戦いを挑むような気持ちで、僕はゴドーさんを病院に送っていく。

 本当に、戦いみたいなもんだ。
 僕からゴドーさんを奪っていくものに対する、僕のための戦い。
9月25日(水)

 昨日はゴドーさんのマンションに泊まって、入院の準備とかをいろいろした。
 ほんの1週間、それもこれといって悪いところが見つかったってワケでもないのに。
 僕はやけに緊張していた。入院、という言葉は僕を必要以上に怯えさせる。

「お疲れさんだぜ。まるほどう」
 必要なものをカバンに詰め終わって、ようやく一息ついた僕を、ゴドーさんがそっと抱きしめる。
 そのまま僕らはベッドで抱き合って眠った。

 ずっと頭を撫でていてくれるゴドーさんに、僕は甘やかされてるなぁとずっと思ってて。
 これは僕のためのお礼代わりなんだと思ってて。

 でも、僕を離そうとしないゴドーさんの頑なな手に、ようやく気付いた。

(ああ、ゴドーさんも不安なんですね)
 気付かなくって、ごめんなさい。

 僕はゴドーさんに抱きついて、頭を撫でてあげた。
9月24日(火)

「入院しろ、だとよ」
 ゴドーさんはだるそうにソファに座って、そう言った。
「そうですか……」
「1週間程度ですむそうだ。……心配はいらねえ。体力低下、だとさ」
「そうですか……」

 僕はただ、ひたすらに悔しかった。
 ゴドーさんに無理させてるのは僕だ。もっと生活にも仕事にも、気を使えればこんな風にならないですむはずなのに。

 自分の幸せのためとか、仕事の役に立つとか、そういうことにゴドーさんを、消費、してる。

 そう思ったら、謝罪の言葉さえ出てこなかった。

「1週間、イイコでお留守番するんだぜ、まるほどう」
「………………はい」
「よしよし、イイコだ」
 そう言って僕の固い髪を撫でてくれるゴドーさんに、僕はごめんなさいって、言えなかった。
9月23日(月)

 ゴドーさんは、予定はなかったんだけど今日は病院へ。
 真宵ちゃんは「そろそろダイガクセーさんが減ってきてるけど、やっぱり忙しいんだよね」と言いながら、ヤハリの店へ。

 1人でゴドーブレンドをすすりながら事務所にいる僕は、まるで迷子預かり所のコドモみたいだ。
9月22日(日)

 ゴドーさん、夏バテかなぁ。あんまり食欲がなくて、今日もコーヒーばっかり飲んでる。
「ほんと、体によくないですよ」
「クッ……オトコにはひとつ、コレって決めたモンがあればいいのさ」
「カッコつけたって、ダメです」

 僕はゴドーさんの空っぽのコーヒーマグに、なみなみと野菜ジュースを注いだ。
「コーヒー1杯を飲み干したら、野菜ジュース1杯を注ぐ。そいつが僕のルール、です」
「…………クッ、やるじゃねえかコネコちゃん」
「絶対に飲ませます」

 有無を言わさぬ口調でごり押ししたら、やけにおとなしく野菜ジュースを飲んでくれた。珍しいなぁ。
9月21日(土)

 昨日からゴドーさんの体調がよくない。
「ラーメンの食べすぎですか?」
「かわいいお嬢ちゃんが身銭を切ってオゴッてくれたラーメンで壊れるような、情けない体じゃないつもりだぜ」
「まあ……みそラーメンで壊れるくらいなら、先にコーヒーで壊れてるでしょうからね」

 ぐったりしているゴドーさんを見ていると、5月の入院のことを思い出す。あれからまだ半年も経っていないんだ……。
9月20日(金)

「なるほどくーん! お給料もらったんだよ!」
 真宵ちゃんが白い封筒を振りかざしながら事務所に飛び込んできた。
「へぇ……初バイト代、ってワケか」
「そう! 真宵ちゃんだってちゃーんと稼いでるわけだよ」
「クッ……イイ女はいつだって、自立心旺盛なもんだぜ」
「わあ、神乃木さんに誉められたよなるほどくん!」

 嬉しそうな真宵ちゃんに、今まで給料らしいものをちっとも払ってあげられなかった自分が恥ずかしかった。

「じゃ、今日は初給料記念日! な、なんと、真宵様がみそラーメンをおごっちゃうんだから!」
「えええっ、す、すごいな……」
「言っちゃったな? 甘えちゃうぜ?」
 そんなことを言っていると、入り口からさらに参入者が現れた。

「おっ、オレがあげた給料、早速使っちゃおうってわけか! いいじゃんいいじゃん、そういうの好きだぜ!」
「ム……私はオゴられるわけには行かないが…………食事だけはご一緒してもいいだろうか」
 矢張に、御剣。週末だし、食事に誘いに来てくれたところなんだろう。ちょうどよかった。

「むむむ…………。よし、こうなったら腹くくっちゃうよ! みんなみんな、アタシのおごり!」
「いやいやいや、大の男がぞろぞろと女の子にオゴられるわけにはいかないよ」
「いいのいいの。真宵ちゃんの記念すべき日をみんなでお祝いしてよ!」

 で、結局僕とゴドーさん、矢張、御剣と、イイ年した男が4人そろって、真宵ちゃんにみそラーメンをおごってもらうことになってしまった。もちろん、後日何かでお返ししようと4人でこっそり相談はしたわけだけど。
9月19日(木)

 今日はちょっと相談ごとが舞い込んできて、お客さんの相手をしたりしているうちに少し遅くなってしまった。
「スーパーもしまっちゃいましたね……どうしましょうか?」
「ファミレスでいいんじゃねえか?」

 昨日は豪華にレストランだったけど、今日はファミレス。なんだかおかしな感じだけど。

 でも、ゴドーさんが何か食べるのを見ているときは、それがレストランの牛ロースステーキでもファミレスの上海ビーフンでも、同じなわけで。
 無駄口を叩かないで黙々とご飯を食べるゴドーさんを見るのはダイスキだな。
9月18日(水)

 昼間、暇つぶしにインターネットを見ていたゴドーさんが、どっかのレストランの割引券を見つけた。
「たまにはどうだい、まるほどう?」
「うわ、ゴドーさん……ナンパ男みたいですね」
「クッ……デキるオトコは恋人の扱いだってちゃんとデキるものなのさ」

 確かに、嬉しかったのは本当で。

 夜は早めに事務所を締めて、ゴドーさんと2人でレストランへ。

 別に誰が見たってただの2人連れなんだけど。それでも僕はすごく嬉しくて、楽しかった。
9月16日(月)

 ちょっと裁判所へ調べものに行って、帰ってきたら人の話し声がする。
(珍しいな……お客さんかな……?)
 ドアを開けようとしたら、同時に向こうから開けられてしまって、危うくぶつかるところだった。
「あっ、すみません……」
 その中年の女性は、僕の顔を見ると微妙な、曖昧な愛想笑いを浮かべてそそくさと階段を下りていく。

「ただいま。今の誰ですか、ゴドーさん?」
 事務所へ入っていくと、ゴドーさんは一人でコーヒーを飲んでいた。さっきの人に出したのか、手をつけていないらしいコーヒーも机に置かれている。
「ああ、おかえり。悪いな所長、客を逃しちゃったぜ」
「はあ……。何でですか?」
 資料を机の上に置いて、僕は何気なく尋ねた。

「オレのコイツが怖かったらしいぜ」
 ゴドーさんはソファに座ったまま、自分のゴーグルをこつこつと指先で叩いた。僕からは背中しか見えないけれど、ゴドーさんはどんな顔をしていたんだろうと思う。

 客は、僕の帰りを待つと言ったそうだ。けれどゴドーさんと差し向かいで雑談をしているうちに、表情がどんどん硬くなっていって、急に帰ると言い出したという。あのおばさんは話している最中ずっと、ゴドーさんのゴーグルをじろじろ見ていたそうだ。

 僕はこんなに腹が立ったことは久しぶりだ。何もできなくて、何も言えなくて、僕は腹立たしさを紛らわすこともできずにコーヒーを立て続けに5杯も飲み干してしまった。
9月14日(土)

 暑くもなく寒くもなく。
 やることもなく。
 晴れてもいないし雨も降らない。

 そんな曖昧な日を、曖昧なままに過ごせないのはどうしてなんだろう。

「じゃあ…………アンタが許せないのは、誰だい?」
 僕はうつむいて、ずっと考えていた。
 僕は自分ではこだわりなんて持ってないつもりなんだけど、人からよく「許せないものが多いよね、なるほどくんは」と言われることがある。自分で思うよりもずっと、根が深いらしい。

 僕の許せないもの。案外、まだ、心の中でわだかまっているのかもしれない。
9月13日(金)

 事務所で、真宵ちゃんが給湯室に消えた瞬間を見計らって。
「んっ……!」
 いきなり乱暴に頭をつかまれて、キスされた。

 熱っぽい唇から、苦いコーヒーキャンディを押し込まれて。
「…………クッ」
 ゴドーさんの舌の上で溶けていた、それは本当のゴドーブレンド。

「…………ひどいです」
「嬉しいって、カオに書いてあるぜ?」

 僕はキャンディを舐めながら、少しだけゴドーさんを睨んでやった。
「ずるい」
9月12日(木)

「なあ、まるほどう」
「何ですか」

「そばにいてくれよ」

 そんなことを言うゴドーさんは珍しくて、僕は本当に嬉しくて。

 ずーっとぎゅーっと、してあげた。まだ残暑も厳しい部屋に、クーラーもつけないで。
 生々しい体温を、生きてる体を、ゴドーさんに押し付けて。
「そこまでするこたぁねえだろう」
 と、ゴドーさんが呆れて文句を言っても。

 僕はずーっとぎゅーっとしていた。
9月11日(水)

「ま、マヨイちゃん……」
「なぁに、なるほどくん?」
「あのさ、その、たとえばの話だけど」
「うんうん?」
「矢張とマコちゃんの不幸かける不幸が大吉になるんだったらね、その、不純かける不純ってのは……何になると思う?」
「フジュン? ムジュンじゃなくて?」
「そう、その、不純…………や、別にたいしたことじゃないんだけど……」

 真宵ちゃんはうーん、と考えてこう言った。
「不純はどこまでいっても不純なんじゃないかなぁ?」

 おっしゃるとおりです。
9月10日(火)

「…………って、真宵ちゃんが言うんですよ」
 昨日は病院へ行っていたゴドーさんに、真宵ちゃんの『矢張のヒミツ』を話してみた。

「どん底かける不幸で、特大ラッキーか。クッ……お嬢ちゃんらしい発想だぜ」
「面白いこといいますよね。でもそんなふうにいくものなのかなぁ…………?」
 ものすごく論理的だけど、何となく信じられない気がする。

 そうしたらゴドーさんはクッと笑ってコーヒーカップを突き出した。
「いいんじゃねえか、好きだぜそういうの」
「はぁ……そうですか」
「アンタ、不純かける不純が何になるのか、今度お嬢ちゃんに聞くと良いぜ」
 そしてコーヒーを一息に飲み干す。

 ……は、恥ずかしい。それってだいぶ前に僕が言った言葉じゃないか〜!
9月9日(月)

「わかった!」
 今日は事務所を手伝いに来てくれた真宵ちゃんが、開口一番そう言った。

「何が?」
「ヤッパリさんのヒミツ!」
「ひ、ヒミツ?」

 真宵ちゃんは胸を張って、こんなことを言う。
「どうしてヤッパリさんのアクセサリーがラッキーアイテムになっちゃってるのか、アタシもおかしいと思ったわけ」
「ほんとだよ」
「きっとね、マコちゃんのおかげだとおもうな、アタシ」
「……マコちゃん?」
 不幸のフルコースとも呼ばれたマコちゃんが、どうして?

「えっとね、ヤッパリさんの不幸と、マコちゃんの不幸で、マイナスかけるマイナスで、ななんと特大大吉に変化してしまったのだと思うんだよね! ゼッタイそうじゃない?」
「……………………えええええええ」

 あんまりとっぴな発想だけど、他に思いつかない。言われてみれば、そうとしか説明がつかないじゃないか。
9月8日(日)

 ゴドーさんを置いて、僕は真宵ちゃんの様子を見に出かけた。

 一人にしてあげたかったのは本当で。
 でも、そばにいられない気がしたのも本当で。
 ……相変わらず、2つの僕に挟まれる僕は、不純だ。

 今日もヤハリの店は大繁盛だ。日曜日ということもあって、かなりの人が店の回りに集まっている。真宵ちゃんと、マコちゃんが一生懸命、説明をしたり選んであげたりしている。
「矢張」
「おう、ナルホドー!」
 ちょっとだけヤハリに出てきてもらって、真宵ちゃんのこととか店のこととか、少し話した。

「マコちゃんが来てから、やたらと売れるようになったんだぜ。それも幸運が訪れるって言われ始めてさ。マヨイちゃんにも手伝ってもらって、助かってるぜ!」
「幸運…………ねぇ……」
「オマエだって最近、どうよ? シヤワセじゃねえの? マヨイちゃんがそう言ってたぜ?」
「え…………真宵ちゃんが?」
「オレがそれを作ってやったおかげだな、ゼッタイに! カンシャしろよナルホド〜」
 そう言われて見つめる左手に、もう習慣になってしまったヤハリのシルバーリングがはまっている。

 これのおかげだとは思えないけど、でも、僕はきっと幸せだろう。
9月7日(土)

 ゴドーさんに本を読んであげながら、僕もゴドーさんも本なんてちっとも読んでやしなかった。

 多分、きっと、同じことを考えている。

 そして、きっと、それは望まれていないことなんだろうと思いながらも。
 僕らは思い出し、そして胸を痛めずにはいられないのだった。


『生きている人間は、幸せになる権利があるの。生きている者同士で、幸せになりなさい』
 その昔、千尋さんが僕に言った言葉だった。
9月6日(金)

 昨日は臨時休業で、みんなと一緒に千尋さんのお墓参りに行った。僕、真宵ちゃん、春美ちゃん、ゴドーさん、それに御剣と矢張とマコちゃんまで来てくれた。

「みなさん、今日は姉のためにありがとうございます」
 真宵ちゃんが改まってそんなふうにおじぎをしたから、みんなちょっとびっくりした。
「いや、私も彼女とは浅からぬ縁があるからな」、と御剣。
「オレだって裁判のとき、助けてもらっちゃたのくっきりしっかりはっきり、覚えてるぜ!」、と矢張。
「自分は綾里弁護士の大ファンだったッス! 法廷マニアッスから!」、とマコちゃん。

 みんな、千尋さんが大好きだった。

 ゴドーさんは終始黙りっきりだったけど。
 そんなみんなを見て、ほっとしたような嬉しそうな顔をした。

 そんなゴドーさんを見た僕は、鼻の奥がつんとして本当に泣きそうだった。
9月4日(水)

 神乃木さんの論文は、こっそり本棚の一番下に入れておいた。

 多分、ゴドーさんは見たくないと思う。ゴドーさんは神乃木荘龍だった頃のことは否定したりしないけど、こういうものを見るのはきっと辛いんじゃないかな、と思う。……僕なら、きっと辛い。
 熱い理想に燃えていた若い自分は、何ひとつ守ることもできずに、ただ粋がっているだけだった…………なんて……そんなふうに自分を思うことがあったら、それはとても辛いことだ。

 神乃木さんは充分、やったんだと思う。だからもう余計な痛みは負わなくてもいい。
9月3日(火)

 ゴドーさんは病院へ、真宵ちゃんはアルバイト。
 何だか久しぶりに1人で事務所にいる気がする。手持ち無沙汰で、普段あんまり触ることのない本棚なんかを見ていた。

 そうしたら、昔のジュリストの束が出てきた。揃いはちゃんとしまってあるけど、欠番があったのを思い出す。その欠番がまとめて出てきたらしい。
「…………序審法廷制度(仮)批判…………神乃木、荘龍…………?」
 目次には、どれも神乃木荘龍の名前があった。僕は一番新しいジュリストの論文を読んでみる。

『最長5日で審理を強制終了とする、いわゆる序審法廷制度案の無謀については、各方面で非難の声が上がっている。この程度の非難は当然、予想済みというところだろう。それでもなおこのような制度を施行しなければならないほど犯罪の数が増加している、ということだ。しかし、犯罪の数が増えたためにその裁きを簡略化するというのは論理的、倫理的に認められないと私は考える。………………』

 そこには力強い、怒りが込められていた。当事はまだ序審法廷も5日の限度を想定していたが、現状はさらに短縮化され、3日になってしまっている。そんな法曹界を、ゴドー検事はどんな思いで戦っていたのだろう。

 ゴドーさんの、神乃木さんの、弁護士としての熱い魂が込められている。少しずつ読んでみようと思う。
9月2日(月)

 真宵ちゃんが、今日から矢張のところでアルバイトだ。

 …………朝からそわそわし続ける僕を見かねて、ゴドーさんがクッと笑った。
「オイ、檻の中のハリネズミみてぇにウロチョロするな」
「ご、ごめんなさい……」
「心配なら見に行って来い。自分の目で、しっかりと真実を、な」

 それで僕はゴドーさんの好意に甘えて、事務所の留守番をお願いしたのだった。

 矢張の店は洋服やカバンや靴の店が並ぶストリートにあった。まるで電話ボックスを2つ並べたような小さな店を見たとき、僕は驚いてしばらく近寄れなかった。
 ……アイツの店が大人気だということに対する驚き。
 ……それから、平日だというのに女の子がわんさか詰め掛けていて、本当に近寄れなかったのだ。

「あっ、なるほどくんいらっしゃーい!」
「なるほどさん! お久しぶりッス!」
「いよう、ナルホドー! 真宵ちゃんに弁当でも届けにきたのか?」
 明るく出迎えてくれた3人は忙しく接客をしていた。

 な、なんでこんなに人気があるんだ!? 「事件の陰にやっぱりヤハリ」が作った、呪いのアイテムだぞ?
9月1日(日)

「ゴドーさん、今日御剣の誕生日なんですよ。だから……」
「じゃ、コーヒー持っていくとするか」
「…………御剣は紅茶の方が好きだと思うけど」
 昨日メールで、行くと約束しておいた。ゴドーさんのことは言ってないけど、迷惑は掛けないだろう。……多分。

 御剣のマンションのチャイムを鳴らしたのは、昼の11時くらい。どこかへ食べに行こうか、って昨日言ったんだけど、家でゆっくりする方がいいって言うから、ランチを僕が作ると約束をした。
 生クリーム、ほうれん草とサーモン。フェットチーネのサーモンパスタにする。サラダもスモークサーモンのシーザーサラダ。最近はゴドーさんの分も作ってるから、少し料理の腕が上がったんじゃないかと思う。

 出迎えてくれた御剣は、二人で現れた僕らを見てちょっと驚いていた。
「わざわざ……その…………ご苦労だったな…………神乃木さんまで」
「迷惑だった? ごめん、突然二人で」
「いや、その……………………あ、ありがとう……」
 御剣は自分のために、とか、記念日のお祝いに、とかいうことにひどく照れるらしい。……今までそういうことと縁がなかったからだ、って言ってた。可哀想な奴。
 最後の方は消えかけてたけど、ちゃんと聞こえたよ、御剣。

 僕がパスタを作っている間、ゴドーさんはデザートの桃を剥いてヨーグルトピーチを作る。そして御剣は、紅茶を淹れる。
「うム、レピシエの夏限定紅茶セットか。実はまだ飲んでいなかったのだ」
 僕とゴドーさんからのバースデープレゼントは、紅茶とクッキーの詰め合わせ。ゴドーさんは自分じゃ紅茶を飲まないくせに、いいお店はちゃんと知ってて、そこで「赤い紅茶の王子様のために、買って行こうぜ」ということになった。
「さくらんぼか。珍しいな。しかしこのアジアというブレンドも気になる」
 御剣はいくつも入っている丸い缶を、いろいろ取り出しては嬉しそうに見ている。御剣を喜ばせることって僕には難しいことなのに、ゴドーさんには簡単にできちゃうんだなぁ。……なんか、複雑。

 ご飯を食べて、デザートを食べて、紅茶を飲んで。クッキーも開けて。
 こんな日でもゴドーさんはコーヒーを手放さないけど、それでも「せっかくだから、味見してはいかがだろうか」と言われて差し出された紅茶のカップはちゃんと飲み干していた。
 いろいろと話は尽きなかった。たまに出る辛い思い出だって、こんな風に明るい席だったら話せてしまう。日曜日の夏の光が入るマンションのリビングで、僕らは紅茶を片手に楽しい一日を過ごした。