成歩堂日記 3月

3月31日(日)

 久しぶりにひとりきりで1日を過ごした。

 ってゆうか、ずっと寝てたんだけど。ぼんやりしてようと思えば、いくらでも時間は浪費できるもんだな。
3月30日(土)

 土日は基本的に事務所は休みだ。心置きなく寝坊していたら、ケータイが鳴った。
「お寝坊な奴だ。寝てるくらいなら俺に付き合うことだな、まるほどう?」

 ……休日までゴドーさんと一緒にいることになった。一緒にいたい、なんて昨日は思ったけど、いざ会えるとなると……複雑な思いだ。

 正直、僕はまだゴドーさんとどう付き合ったらいいか分からないでいる。千尋さんのこと、事務所のこと、ちいちゃんのこと……。僕とゴドーさんとの間には、重すぎるものがたくさんあって、手を付けられない。

 ゴドーさんはといえば、そんなことまったく気にしていないのか、初めて会ったときから今日までずっと変わらない。……変わらないように見える。変わったのは、仮面の置くからあの深い敵意を感じなくなったことだけだ。いや、それも僕の思い込みだとしたら……?

「おい、まるほどう。どうした?」
「え、あ、いえ。何でもないです」
「クッ、休日のデートに俺が相手じゃ、不満かい?」
「いえいえ、そうじゃないですよ」
「迷惑なら、やめとくぜ……まるほどう……?」
 ランチを食べたオープンカフェの軒下で、レンガ道に似合うゴドーさんの服と、そんな風景に似合わないゴーグル。僕の思い込みかもしれないけど、ゴドーさんのゴーグルの向こうはやっぱり、少しさびしそうだった。
3月29日(金)

 今日はゴドーさんは来なかった。病院の検診だと言っていた。前にそんなことを聞いた覚えがあるけれど、まだ行かなきゃならないものだとは知らなかった。そしてこの先も、ずーっと、病院通いはやめられないのだそうだ。
「ポンコツの体だからな。不甲斐ねえ」
 憎々しげにそう吐き捨てたゴドーさんのマスクの向こうに、久しぶりに暗い感情を見た。

「でも、僕はあなたに会えてよかった」

 精一杯の言葉だったけど、ゴドーさんには届いただろうか。

 今日が週末だから、あと3日、ゴドーさんには会えない。別に会っても何を話すわけじゃないけど、何だかゴドーさんと一緒にいないと不安になる。あの人は、ちょっと目を離したらすぐにいなくなってしまうような気がするんだ。
3月28日(木)

 事務所には千尋さんが残した資料やファイル、書籍なんかがたくさんあって、僕はなんとなくそれをそのままに残している。1人で運営するには広いくらいの事務所だし、それをどこかへ移さなきゃならない必要性が今のところ、ない。……それを処分しちゃうと、代わりに置くものがなくてがらんとしてしまうという理由もあるけど。

 いつもはソファに寝そべって新聞とか雑誌とかを読んでいるゴドーさんが、今日はその千尋さんの残したものを広げていた。
「………………チヒロ……」
 ページをめくりながらぼんやりとそうつぶやいたことに、本人は気づいているのだろうか。それとも、聞き逃さなかった僕だけが知っているのだろうか。
3月27日(水)

 聞きたいことは2つある。

 ひとつは、あの夜のこと。あの夜、いったい何が起こったのか。何が夢で、何が現実だったのか。
 もうひとつは、千尋さんのこと。千尋さんとゴドーさんの関係について、詳しい事情を知らない。

 ひとつめの疑問は、怖くて聞けない。あれが現実だったら、僕らは今までのような顔をして、毎日を過ごすことなんてできなくなる。少なくとも僕は、できなくなるだろう。
 ふたつめの疑問は、なぜか聞けない。千尋さんとゴドー……神乃木さんが恋人同士だったとしても、僕は別にかまわない。でもそれを事実と知ってしまったら、何かを失くしてしまいそうな、そんな気がする。

 そういえば神乃木さんの弁護士バッヂって、見たことがないな。
3月26日(火)

「ねえ、ゴドーさん」
「なんだい、まるほどう」
「…………今年の桜は、どうでしょうねぇ」
「さあな、開きかけたところにこんなに雨が降るから、どうしていいか桜も迷うってもんだ」
「そうですね」

 当たり障りのない会話、というよりもはや社交辞令、内容のなさにもほどがあるという感じだ。それでも僕はそれ以上のことは切り出せないし、ゴドーさんもそれ以上のことは答えない。
 こんなに毎日一緒に過ごしているのに、僕らはあんまり遠すぎる。

 僕はいったい何を、やってるんだろう。
3月25日(月)

 あれから毎日、ゴドーさんはきっちり9時から5時まで事務所にいる。来てくださいと言ったのは確かに僕だけど、律儀だなと思った。
「ちゃんと来てくれるんですね、給料も出ないのに」
「クッ。俺もアンタも、コーヒーを注ぐカップがここにしかねえ、ってことさ」
「はぁ……(分かったような、分からないような)」

 居場所はここにしかない、って言いたいんだろうか。

 この、千尋さんが残してくれた事務所に。
3月22日(金)

 今日もゴドーさんとコーヒーを飲んで過ごした。
「新聞読んで、うまいコーヒー飲んで……。クッ、優雅だなァまるほどう?」
「ま、まあそうですね。……嬉しくないですけど」

 僕らは暇に飽かして毎日いろいろな話をする。

 でも、肝心な話は何もしていない気がする。あの夜のことを、聞けないでいるからだ。
※3月21日に成歩堂君とゴドーさんに50の質問に答えてもらいました。回答はこちら
3月21日(木)

 今日は真宵ちゃんと春美ちゃんが遊びに来てくれた。真宵ちゃんはやはり、家元になるための本格的な修行が始まるらしい。
 家元の直系である真宵ちゃん、霊力の強い春美ちゃん。どちらが次の家元になるかで倉院の里ではだいぶもめたらしい。それが結局、真宵ちゃんが家元になる、ということになりそうだという。

「そうなったら本当に、1年くらいはこっちに来れなくなりそうなんだ」
「そうなんだ……」
 真宵ちゃんがそばにいてくれることで、僕がどれだけ元気付けられていることか。
 ゴドーさんともどう接していいのか正直まだ分からないし、本当はずっとそばにいて欲しいんだけど……そういうわけにもいかないな。

「ですから、今はできるだけこちらに遊びに来させていただいているのです」
 それから春美ちゃんは僕と真宵ちゃんの仲を裂く運命のいたずらについて、熱っぽく語ってくれた。……いや、僕は真宵ちゃんにそういう感情を持ってるわけじゃないんだけど……うーん……。

「お嬢ちゃんが来ると元気だな、まるほどう」
「そ、そうですか」
 やっぱりゴドーさんには見透かされている。
3月20日(水)

 今日も客が来ない。真宵ちゃんとなら暇でもぜんぜん平気だったけど(いや、家賃が払えなくなるのは困るけど)、ゴドーさんの前だとさすがの僕でも体裁の悪さを感じざるを得ない。
 千尋さんが残した事務所がさびれてる、その原因が僕っていうのはやっぱり気を使うよ。
「暇だな、まるほどう」
 ……僕が気を使おうがなんだろうが、ゴドーさんは平気でそんなことを口にするけど。

「すみません、暇で」
「ま、仕方ねえよな。アンタが所長じゃ」
 ゴドーさんはいつものにやにや笑いでそう言う。仮面の向こうからは機嫌のよさそうな視線が僕を見ている……と思う。

 ゴドーさんはどうやら、今のこの成歩堂法律事務所の状況を大して気にしていないらしい。
3月19日(火)
 今日は真宵ちゃんとはみちゃんが、ゴドーさんのお祝いだといって来てくれた。
「神乃木さん、これからなるほどくんをよろしくお願いしますね!」
「……僕がよろしくされるのか」
「だってなるほどくんなんかよりよっぽど頼りがいあるって!」
 胸を張る真宵ちゃんの元気な声を聞いていると、僕も元気になってくる。やっぱり真宵ちゃんはすごい。いろいろな意味で。

「ようこそ成歩堂法律事務所へ! 神乃木さん!」
 自称・副所長(たまに影の所長と言い張っているが)の真宵ちゃんが言ったその「ようこそ」を聞いたとき、彼が本当にこの事務所の一員になったんだという実感が湧いた。

「もうゴドーけんじさんではないのですよね……。そこで、なんとお呼びすればよいか、ワタクシたち、考えてきたのですよ!」
「わざわざありがてえな。で、なんて呼ぶつもりだい、お嬢ちゃん?」
「えへへ、それが私たちからの、プレゼントなんだよ!」

 真宵ちゃんとはみちゃが差し出したのは、小さな箱だ。
「これ、私たちからの歓迎の、プレゼントです!」
「へえ、こりゃあ……」

 それは『名刺』だった。パソコンのプリンターで出した綺麗な名刺が、20枚ほど収まっている。(誰に作ってもらったんだろう?)

「俺の、ここでの名刺か。ありがとよ……と、ん?」
「ふっふっふ、そこが自信作なんだよー」
「この、真ん中のが、かい?」
「そうなのですよー」
 見せてもらうと、そこにはこう書いてあった。

 『成歩堂法律事務所 相談役 神乃木・G・荘龍』

「真宵ちゃん……Gって何だい?」
「そりゃあゴドーのGに決まってるじゃない」
 真宵ちゃんとはみちゃんは顔を見合わせて、「ねー」と満足そうに笑い合った。

 そして真宵ちゃんは言った。
 神乃木荘龍も、ゴドーも、どちらの名前も選べなかったのだと。
 だから『神乃木・G・荘龍』なのだそうだ。

「クッ……ありがとよ。そうだな、どっちも俺自身、だからな」
「そうですよね! このほうがかっこいいし!」
 ……真宵ちゃん、僕の名前をロバート・B・ナルホドーにしようとしたことがあったな。まだあきらめてなかったのか、ミドルネーム付けるの。

 でも、真宵ちゃんたちの考えは、素直で暖かい。その純粋な発想は今の僕には……まぶしすぎるくらいだ。

 真宵ちゃんたちのおかげで今日は楽しかった。ゴドーさんも僕一人を相手しているよりは楽しいだろう。真宵ちゃん……ずっとここにいればいいのにな。
3月18日(月)

 昨日は事務所も休みだったけど、今日からはちゃんと「開店」(真宵ちゃんがそう言うので、僕もそう言うのが習慣になってしまった)している。ゴドーさんも成歩堂法律事務所の一員として、初めて出勤ということになる。

 給料が出てるわけでもないし、そもそもゴドーさんは執行猶予中の身だ。検事局を辞め、当然弁護士の資格も失っている。公的には今のゴドーさんは『ただ事務所でコーヒーを飲んでいる人』に過ぎないわけだが、僕は彼を「事務所の一員」だと思っている。……給料も払ってないのにそんな風に思うのは、やっぱりだめかな?

「いや、俺は好きでここにいさせてもらってるんだ。一員……悪くねえ響きだぜ」
「そ、そうですか」

 まあ、いつもどおり客はひとりも来なくて、結局ゴドーさんとコーヒー飲んで過ごしただけだったけど。
3月17日(日)

 あれから1ヶ月。早いものだと思う。僕らの仕事はいつもめまぐるしいけど、1ヶ月がこんなに早く過ぎることもそうないことかも知れない。
 こんなものを書こうと思ったのも、あんまりいろいろがめまぐるしかったせいで、僕自身が混乱しそうになったから……ということもある。ゆっくり日記でも書いて、自分自身を整理したい。

 とにかく、今日という日は覚えておかなきゃならないだろう。

 神乃木さん……ゴドーさん……彼がこの事務所に来た日だ。