ちひを見守る人々


7月13日

「う〜む」
 生倉は事務所のパソコンに向かって、難しい顔をしている。
 頬杖を付いた姿勢で斜めに画面を見ながら、いらだたしげにマウスをクリックした。

「…………どうしたものか」
 パソコンの画面には、たくさんの写真が開かれている。ちひ、ちひ、ちひの笑顔……。どれもこれもかわいいちひのベストショットである。
 マグカップにしがみつくちひ。
 カフェオレを飲んで幸せそうなちひ。
 居眠りしてよだれをたらしているちひ(残念ながらあまり近くに寄って取れなかった)。
 ふりかえったときの絶妙なタイミングを激写した一枚。
 さらにはコスプレ、浴衣姿など、生倉が望む写真がこれでもかというくらい大量に、画面に映し出されていた。

 …………が。
「いや、ダメだ……」
 生倉の表情は暗い。眉間にしわを寄せ、あからさまに機嫌が悪い。

 そこへちひがちょこちょこと寄ってきた。ちひの実質的な監視役である、目障りな神乃木は接客中らしい。暇をもてあましたちひが生倉のところへ遊びに来てくれたのだ。
 普段の生倉ならば、ここぞとばかりに写真を撮ったり自分を売り込んだり、機嫌をとったりするところなのだが、今日に限っては眉間のしわが依然として刻まれている。

「生倉センパイ、あのね、ちひみたいに小さい人がこないだ……」
「うん、うん。ちひくん、わるいがあとにしてくれないか」
 珍しく生倉に袖にされて、ちひは少しばかりショックだったらしい。すごすごと退散していった。
 そんなちひの様子にも目をくれず、生倉はほとんど睨み付けんばかりに画面を凝視している。



 ……絶対に、公開させてもらうからな!(憤)

 頭の中に、声が響く。もうこの件については何度も話し合い、断り続けてきた。が、生倉自身も決して本心から嫌がっているというわけではない。
「しかしなぁ……こういうことは諸刃の剣だからな……」

 画面の中で屈託なく笑う、ちひ。
 その写真をサイトで公開しよう、と言われ続けている。



「僕の作ったコスプレを着たちーちゃんを、サイトで世界に発信するぞ! ぷち萌えな同胞たちに夢を! 希望を! 本当にラピュタはあったんだ!(爆)」
 太ったメガネの男は、汗を飛ばしながら熱く語った。生倉の友人であり、フィギュアの造形からドールの縫製まで何でもやる男。
 名を、宇在拓也という。

「どうしてちーちゃんを独り占めできようか、いや、できない(反語)!」
「しかし、宇在……。騒ぎになれば、それこそちひくんを独り占めにはできなくなるぞ?」
 生倉は腕を組んで、苦言を呈した。生倉とて、「これが私の職場にいます」といってちひの写真を世界中に見せびらかしたいのはやまやまである。
 しかし、リスクが大きい。
(神乃木もいるしな……)
 何かちょっとでも揉め事になろうものなら、あのクソ生意気な後輩がただでは済まさないだろう。

「じゃ、せめてCG合成ですとかなんとか言って、せめてうpするだけでも……(汗)」
「いや! それでは意味がない! ちひくんは小さいところに価値があり、小さいことを隠してしまっては意味がない!」
「そこは譲らないのね……(藁)」
「当たり前だ。愚かなことを言うな。小さいちひくんを見せびらかしてこそだろう?」
「じゃ、やろうか同志タワリシチ! 生倉大人(ターレン)!」
 盛り上がる宇在に、生倉は一喝する。
「だから、そうはいかないだろうと言っているのだ! ……困ったな」
「お堅いなぁ……。あの服を作ってるのは、僕なんだぞう(怒)」

(しまった、言い過ぎた)
 理屈の通じる相手ではないということをつい失念していた。
「ま、まあ……いずれちゃんとした舞台を整えてだな。軽々しく発表して使い捨てして良い素材ではないからな、ちひくんは」
「……うーん、確かにね。あれほどの逸材は二度とないからねえ(萌)」



 そんなことを、先月のワンフェスの後で話し合ったばかりなのだ。
「発表したい……しかし……私だけのちひくんでいてほしい……」

 ちひの「生倉センパイvv」という声は、今だからこそ聞けるものなのかもしれない。そんな気がする。
 もしちひが有名になってしまったら、彼女に差し向けられる誘惑の数は果てしない。いつまでもしょぼくれた弁護士事務所などでぼんやりしてはいないだろう。
(なぜかな、そんな気がしてならない……)
 ちひが美人だからかもしれない。

「裏切りは女のアクセサリー、移り気は美人の香水……だからな」
 知ったようなことをつぶやいて、生倉はため息を吐いた。

(ああ、ちひくん……ちひくん……いつまでも私だけのものでいて欲しい……でも……めっちゃ自慢して見せびらかしてうらやましがらせたい……っ!!)
「ちひくんっ!」
 たまらず叫び声を上げてしまった。
「ちひっ!? 呼びましたか生倉センパイ?」
 どこにいたものやら、次の瞬間ちひが机の上に出現していた。

「おわっ」
「ちひひっ。生倉センパイ、コーヒーですかお茶ですかそれともおしごとですか?」
「……あ、いや、その…………」
「ちひ?」
 ちひは何かを頼まれるつもりらしい。元気いっぱいの目で生倉を見上げている。

(ああ、やっぱりしばらくは私だけのものでいてほしい……くうぅっ!!)
「さっきの話、途中だったね。よかったら聞かせてくれるかな?」
 心の中の萌えをおくびにも出さず、生倉は「頼れる先輩ヅラ」でちひに語りかけた。

「ちひのお話聞いてくれるんですか? あのですね、昨日お買い物に行って……」
「うんうん」

 机の上で一生懸命「お話」をする小さな生き物に耳を傾けながら。
 やっぱりこのまま自分だけのものにしておきたい、と思う生倉センパイなのでした。











 追記。

「それで、その小さい人は何だかおっきなサングラスみたいなのをかけててですね……」
「ほほう、それは……」
 ちひとの楽しい語らいの時間を楽しんでいた生倉の背後に、不吉な影が忍び寄る。

「ちひ」
「あっ、神乃木センパイ! お仕事終わりました?」
「ああ、悪いがちひ、コーヒー淹れてくれねえか」
「はいっ! コーヒーはちひの仕事ですっ」

 話の途中にも関わらず、ちひはいそいそと駆け出していってしまった。
(ああっちひく〜ん…………っ!)
 心の中だけで叫び声を上げ、生倉は小さなため息を吐いた。

「生倉センパイ」
「何かね、神乃木君」
「アンタ、妙なこと考えてるんじゃねえだろうな?」
 上背のある神乃木に見下ろされ、生倉は眉間にしわを寄せた。が、威厳のある顔で睨み返してやる。

「妙なこと、とはまた、妙なことを言うね」
「オトコのカン、って奴さ」
「弁護士なら、証拠品で勝負したまえ」
 そう言いながら、何気なくマウスを動かしてパソコンをシャットダウンする。ちひの写真は生倉がログインしないと閲覧できないようになっているので、神乃木にも手が出せない。

「クッ……何もねえなら、そいつが一番だがな」
「そうだな」

 二人の間に激しい火花が散る。

 かくして、今日も生倉と神乃木の溝は深くなるばかりなのであった。





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