4月のちひの日記

4月28日(木) 記録者:綾里千尋

 思い出せないことが、ずっと引っかかっている。

「記憶障害が少し出ているみたいだねぇー。まあ、生活に支障が出るほどじゃないから、あんまり考え込まないでゆっくりしたらいいよぉー」

 先生がそう言ってくれる。
 でも、私は気になって仕方がないの。

 何か、大切物を落としてしまった気がする。
4月26日(火) 記録者:綾里千尋

 体力もだいぶ回復してきた。
 自分が、3年間も寝たきりだったなんて、信じられない……。

 まだ私が回復したことは、誰にも知られていない。里を出てきたとき、連絡先は真宵にしか教えていなかったし、その真宵も今は里を出てどこかで働いているらしい。私が希望しない限り、どこへも私のことは知られることはない。

 私がやりたかったこと。私の目標。
 お母さんのこと。
 それは…………私が眠っている間に、ある弁護士によって解決されたのだそうだ。

 私のこれからの目標。
 生きる目的……。

 何かを思い出そうとしているのに、それは、手を伸ばすと逃げてしまう。
 私は目覚めてからずっと、この気持ちを味わい続けている。

 自分の影で影ふみをしているような、追いつきそうで追いつけない、大切なものを探して。
4月21日(木) 記録者:神乃木荘龍

 去年の今頃は、何をしてただろう。

 去年の4月24日に、ちひから初めてのメールが来ている。それから、何度もちひとはメールをやりとりした。

 メールボックスの中にだけいる、ちひの言葉。
 このやるせない気持ち、どう整理すりゃいいんだい?
4月18日(月) 記録者:?????

「先生、先生! ……早く来てください!
 綾里さんが…………綾里さんが……!」
4月16日(土) 記録者:生倉雪夫

 そろそろ、ちひ君のいない生活になれてきた。
 目で、あの小さな影を探すこともない。

 こういう別れには、慣れている。
 ああいう小さな奇跡は、ある日突然、我々の目の前から消えてしまうものなのだ。
 いつも、最終回はそうと決まっているのだから。
??月??日 記録者:????

 ……眠いです。

 なんだか、すごく眠いのです…………。

 でも、おきなきゃ。おきなきゃ。

 おきて行かなきゃ…………。


 べんごしに、なるために。
(同日・5) 記録者:生倉雪夫

 私と神乃木は医師に話を聞き、無言のまま帰ってきた。
 探し物は見つかったはずなのに、探し当てた喜びはほとんど感じられない。

「神乃木」
「ん…………」
「これからどうする?」
「さぁ………………」

 綾里千尋という、ちひ君によく似たその女性を、見つけたところでどうだというのだろう?

 それを見つければ、何かが得られると勝手に期待していたのだ。結局、何にもなりはしなかったのだが。
 そのうえ、私たちは「探す」という目的さえ失ってしまった。探し出した道は、袋小路だったのだ。
(同日・4) 記録者:神乃木荘龍

 見た目は普通の女性なのに、顔はちひに違いなかった。安らかに眠るその寝顔は、クッキーの缶の中で寝ていたちひとこれっぽっちも変わらない。

「ちひ…………」

 お前、まだ眠いのか。
『お仕事にいかなきゃいけないのです……でも、ねむいです……ねむねむ……』
 そう言いながらまた寝てしまう、ちひ。
 あんまり眠りすぎたら、目玉が溶けちゃうぜ?

「神乃木」
 生倉先輩も、腑に落ちないような複雑な表情でじっと「千尋」を見下ろしている。

「これは、どういうファンタジーなんだろうか?」
「……さぁな」
 本当に、どういうことなんだろうな?
(同日・3) 記録者:神乃木荘龍

 綾里、と書かれたプレートに目を奪われながら、その病室へと入る。

「…………………………」
 そこには、長髪美人が静かに横たわっていた。
 白いベッドに黒い髪をゆるやかになびかせて、無機質な医療器具に囲まれた眠り姫は、起きる気配をみせない。

 そして。

 忘れるはずもない。


「ちひ…………」

 その寝顔は、間違いない。

 ちひ。そのものだった…………。
(同日・2) 記録者:神乃木荘龍

 堀田クリニックへ行き、綾里千尋との面会を申し出た。。

「ここに綾里千尋、という女性がいるとうかがいました。面会させていただけませんか」
「え? でも、綾里さんは……」
「何か?」

 受付の看護婦は困り顔で、おずおずと言った。

「綾里さんはもう、5年も寝たきりで、意識がまだ戻らないのですが……」
「……なんだって?」

 聞けば、5年前の事件で意識不明になったきり、目覚めないのだという。

「……またここで、行き止まりか?」
「神乃木、とにかく会ってみようじゃないか。その、千尋君とやらに……」
 絶望しかけたオレの背中を、生倉先輩が軽く押す。その先輩ヅラも今日ばっかりはちょっと頼もしく見えた。
4月5日(火) 記録者:神乃木荘龍

 星影のセンセイも許可をくれた。勤務中にも関わらず、オレたちは事務所を出る。

 オレと、生倉センパイ。
 二人でその病院へと向かった。

『堀田クリニック』

 綾里千尋、という女がいるという、その場所へ。
4月4日(月) 記録者:生倉雪夫

 ここ数日、私たちは真剣に調査を続けている。仕事の合間に、暇さえあれば資料を漁る、漁る、漁る。
 少しでも休むと、たちまち不安になってしまうのだ。
 止まれば倒れる独楽か何かのように、私と神乃木は、紙をめくり続けている。

 そして、私の指先が、それを捉えた。

「これだ」

 とうとう、見つけた。

 綾里千尋の、居場所を。