3月のちひの日記

3月31日(木) 記録者:神乃木荘龍

 オレも、生倉先輩も、暇さえあれば例の作業を続けている。
 事件年鑑の中に、ちひのカケラが残ってやしないかと。

 そして。

「…………これは」

 それは、殺人事件の枠から外れていた。
 それは、あくまでも「殺人未遂」事件に分類され、探しにくいところに、ひっそりと潜んでいた。

 綾里千尋。女性弁護士。
 殺害未遂。

 未遂。……まだ、生きている?
3月27日(日) 記録者:神乃木荘龍

 ちひが残したもの。
 ぬいぐるみ、洋服、文房具、パソコン。……そういえばちひは交換日記をしてたな。そっちにも念のため、連絡を入れておかなきゃならねえか……。

 俺のベッドの横に置いてある、「ちひのいえ」。
 まるいクッキーの缶の中で、ちひはいつも寝ていた。からっぽのクッキー缶よりも、俺はもっとからっぽな気分だ。

 ちひ。
 そもそも、アンタみたいな不思議な生き物がここにいて、笑ってた……それ自体が何かの夢だったのかもしれねぇ。
3月25日(金) 記録者:生倉雪夫

「お疲れ」
「…………お疲れ様でした」

 虚ろな顔をしている神乃木は、一人きりの家へ帰るのだ。

 嫌いな奴とはいえ、悲しみは同じだ。

「……飲みに行くか?」
 私から誘ったことなど、初めてだ。神乃木もいささか驚いた顔で、けれど素直に頷いた。

 小さなちひ君を失って。
 大のオトコが二人で涙酒。……情けないとも思わないがね。
3月23日(水) 記録者:星影宇宙之介

 事務所がずーっと、終わらない葬式のようになっとる。

 小さな物音ひとつ立てても、皆がはっと振り向く。そこにおるはずのない、あの小さな影を目で追ってしまうのぢゃろう。

 そこにいないことが、不思議に思えてくるほど。
 あの存在感は、わしらの中にしっかりと根付いておる。

『ちひっ』

 なぜ、その声が聞こえないのぢゃろう。
3月22日(火) 記録者:生倉雪夫

「ちひが、寒い寒いって言うんだ。だから、手に乗せてあっためて…………どうやってあっためてやったらいいか考えていたら…………ふわ、って手の中が軽くなった」

「それで、手の中から消えていた? 落としたんじゃないのか?」

「そんなわけねえだろう!!!」

 分かっている。
 神乃木の言葉は、おそらく現実なのだろう。

 ちひ君は、神乃木の手の中からふわりと消えてしまったのだろう。
 夢のように。
3月21日(月) 記録者:生倉雪夫

 神乃木が、事務所に入ってきて、言った。

「ちひが、消えちまった……」
3月19日(土) 記録者:生倉雪夫

 今回ばかりは、神乃木の指摘を無視するわけには行かなくなった。
『電子データのほうはごっそり、削除されてやがる。ごく一部の紙媒体にだけ、痕跡が残ってることがある』
 女性弁護士が殺害された事件。なぜだか、あまり記憶にない。同じ業界のニンゲンが殺されたとなれば、記憶にも残りそうなものなのだが。

 奴が見せた事件年鑑のコピーを、一日中眺めていた。
 そこから浮かび上がってくる何か、を、捕まえようとしたが。

 ちひ君の笑顔と重ならない。
3月17日(木)

 あんまりおなかすかないです。
 ごはんより、ねるほうがいいです……ねむねむ……ちひー。
3月16日(水)

 今日はおうちでねていました。おしごとに行こうと思ったのに、ねむくてねむくて、ぜんぜんだめだったのです……。
 はみがきしながら、立ったまんまでねむっちゃったのです。

「しゅんみんあかつきをおぼえず、だな」
「ちひ……それなんですか?」
「春にはだれでもねむいってことさ」

 そういうセンパイもねむそうです。なぁんだ、みんなそうなんだ。

 でも、立ったままねるのってちょっとスゴイ……。自分にびっくり。
3月14日(月)

 ちひは知ってます! だってずっと前から、お店に「ホワイトデー」っていうかんばんが出ていたからです。
 ちひはインターネットで「ホワイトデー」をしらべました。そしたら、バレンタインデーの反対なのです。

 つまり、ちひがおかしをもらえる日! すごくいい!

「コネコちゃん、受け取ってくれるかい?」
「ちひっvvv ありがとうございます神乃木センパイv」
「ちひ君、私からもお返しだよ」
「生倉センパイの箱は大きいですねえっ!!」
「わしからも、おくらせてもらうぞい」
「うわあっ星影先生のはもっともっと大きいのです!」

 神乃木センパイは、コネコのチョコがたくさん入ってるのをくれました。コネコの大行進です!
 生倉センパイは、新しいお洋服! ピンクのうすい長そでです。これって「春物」ってやつ?
 星影センセイは、ちひサイズの机といすのせっとをくれました。それに小さなぶんぼうぐと、でんわのもけいがついてます。……これって、みんなが使ってる机とおそろいなのですっ。

「…………ちひぃ」
「どうした、ちひ。気に入らねぇのか?」
「いえいえいえっ。たくさんもらいすぎて…………ぼーぜんです」

 うれしいのがいっぱいありすぎると、こまっちゃいます。
3月13日(日)

 神乃木センパイは、今日もおしごとでじむしょに行くのだそうです。
 ちひはねむかったから、おうちにいておるすばんしてました。

 だれもいないおうちに、ひとり。
 でも、「ちひのいえ」は神乃木センパイのベッドのそばにあって、かたつむりさんが入ってくるしんぱいもありません。
 ぬいぐるみさんもたくさん、いっしょです。

 ちひはぜんぜんさびしくないのです。うれしいなぁ。ちひっ。
3月12日(土) 記録者:神乃木荘龍

「クッ…………」
 1歩前進したと思ったと思ったのも束の間だった。その事件の詳細はどこをあたっても載ってねぇ。関連記事をたどっていこうとすると、必ずどこかで途切れていやがる。

 …………どういうわけだ?
3月11日(金) 記録者:神乃木荘龍

 データ検索の日々に頭が疲れたオレは、パソコンの画面を離れて、書庫の事件年鑑をめくり続けていた。
 分厚い本をデスクに広げ、手で1ページずつめくる。パソコンの方がずっと効率が良いことは分かっちゃいたが、あそこにはどうにも「真実」ってやつが見えない気がした。

 そして、オレの勘は間違ってなかったかもしれねぇ。

「………………こりゃあ」

 記録によれば、今から3年前の9月5日。その事件は起こっていた。
 鈍器による一撃で、即死。
 被害者は、女性弁護士。


 その名は、「千尋」といった………………。
3月10日(木)

 もうすぐ桜のきせつです!

 1年前は「桜」だって漢字で書けませんでした。
 今はたくさんの漢字が書けます。ポケット六法はむずかしいけど、ちひはせいちょうしてるから、きっとべんごしにだってなれるのです。ちひっv
3月8日(火)

 くしゃみとまらない! かふんしょうだ!

「……ちひ、香水つけすぎじゃねえか?」

 神乃木センパイの香水、くしゃみのもとなり! ちひっ!
3月7日(月)

「コーヒー豆チョコレートたべるかい?」
「豆たべていいのですか?」
「ああ、けっこううまいぜ」

 見た目は、チョコボールみたいです。でもカリッてたべたら!!!

「ちひゃっ! にがっ!」
「そうか? チョコレートだからあまいとおもうんだけどな」
「コーヒー豆はにがいです! だからコーヒーもにがいのです! コーヒーはどうやったってにがいのですー!」

 チョコレートの中にコーヒー豆入れたって、にがいのですー! ちひっ!!
3月4日(金) 記録者:神乃木荘龍

 夜、独りで検索画面をスクロールしている。殺人、殺人、殺人…………人が殺された痛ましい過去の記録が、簡潔な言葉になって下から上へと流れていく。

 そうしていると、めくるめく殺人事件の波に思考が溺れていく自分に、ふと気づく。

「……こんなんじゃいけねえ、な」
 何か間違っている、という気がしていた。
3月3日(木)

 今日はひなまつり、です!

「ちひは女の子だからな。ひな人形をやるぜ」
「いやいや! ちひ君には私がひな人形を用意した!」
 とつぜん、センパイたちがケンカをはじめてしまいました。せっかくのひなまつりなのに、ケンカしないの!

 神乃木センパイも、生倉センパイも、ちひと同じくらいの大きさのお人形さんが2つならんでるのをくれました。どっちもちがうきもので、ちがうかおをしているので、ちひはどっちもうれしいですvv

 ちひもいつか、こんなふうにおよめさんになるのかなぁ〜?
3月1日(火)

 さんがつ、さんがつ。

 さんがつは、そつぎょうしきとか。

 なんとなく、おしまいのかんじがするのです。

 じむしょも、「年度末」というので、いそがしくなるそうです。