「泣くのは、すべてが終わったときだ」
 神乃木荘龍は、かつてそう言った。
 そして今、まさにその時が訪れようとしている。

 しかし、「すべてが終わる」ということなど、本当にあるのだろうか。
 人は繰り返し、歴史は続く。
 本当の終わりが来たときに、人は泣くことなどできはしない。ただ、静かに横たわるだけだ。永久に、沈黙を守って。

 人が泣くとき。

 それは、終わりとともに始まりを意味している。














THE DAY AFTER.......















 ゴドーはコーヒーカップを手に、控え室の窓辺に立っていた。いつものカップは手に良くなじみ、何事もなかったかのように静かに褐色の液体をたたえている。
 法廷を共に戦ってきた、いわば戦友だ。
「それも今日で終わり、か」
 間もなく準備が整い、迎えが来るだろう。逮捕状という名の恋人が追いかけてくるその足音を、ゴドーは黙って聞いていた。
 束の間の休息、最後の自由な時だった。

 ゴドーを捕らえようとしている罪の名は、殺人。
 一人の少女を救うためとはいえ、人を一人殺した事実は変わらない。その上、死体に細工を施して偽装工作までしたのだ。もはや言い逃れはできない。
 ……もっとも、今さら逃げかくれするつもりはさらさらないのだが。

「これでジ・エンドか……クッ」
 深いコーヒーの香りに満たされて、ゴドーは自嘲した。
 思えば、こうなることを初めから望んで、今日まで生きてきたような気がする。あの日、あの朝から。

 白い病室で目覚めると、この世に守るべきものは何もなくなっていた。何もできないまま、見守ることすら許されず、すべては終わっていた。何をやっても「いまさら」でしかない手遅れの人生に何の価値があるだろう?

 だから、成歩堂を追った。

 奴を追い詰め、ねじ伏せることで、せめて自分が無力でないことを証明しようとした。何もできなかった自分の不甲斐なさから目を逸らすために、罪のない純粋な人々まで巻き添えにした。
「ひでぇ話、だぜ……」
 真宵の母親を殺し、その罪をあやめに着せようとした。もしかしたら幼い春美かもしれないと分かっていながら、その背中に刀を突き立てた。女子供を巻き込んで、いったい何をしようとしていたのか。

「……………………だから、あんたがいたんだ。なぁ……」
 途中で気付いていた。
 か弱く純粋な、協力者たち。それを踏みにじって真宵一人を助けることの、ムジュンに。
 けれどゴドーはやめられなかった。まるで自分自身を騙すように、ただひたすら体だけを動かしていた。死体を移動させ、殺人現場の雪を捨てた。血が飛び散ったと思える範囲の雪をすべて掻き捨てながら、ゴドーの頭の中は雪のように真っ白だった。

 思えばあのときから、自分は期待していたのだ。
 そんな自分を止めてくれる、止めることのできる、唯一の存在に。



「成歩堂、龍一……」



 初めて見たときから、こみ上げる敵意が抑えられなかった。迫力も気迫にも欠け、隙だらけで、なぜこれが弁護士として仕事を続けていられるのか納得がいかなかった。

 もし、成歩堂でなかったら。
 もし、自分だったなら。

 千尋を救えただろう、と。


 そう思ったのも仕方ないことかもしれない。

 けれど戦いを重ねるうち、ゴドーは次第に理解していった。成歩堂龍一という弁護士の、実力のありかを。
 依頼人を信じ、ささいな証拠品まで、最後の証言まで、喰らいついていく根性は、誰にも真似のできない成歩堂の武器だ。
 その力は弱いかもしれない。けれど持てる力のすべてを使い切る才能がある。

 けれどゴドーは成歩堂を理解していきながら、同時に否定を続けた。
 成歩堂を認めてしまえば、自分の弱さを受け入れなければならなくなる。
 千尋が死んだのは成歩堂が弱かったからだと、ゴドーは信じ続けていなければならなかった。

「その思い込みが、すでに弱ぇ証拠なんだと……今なら分かるがな……」
 千尋を失った痛み。
 取り戻すことのできない現実。
 やり場のない怒りを向ける先は、成歩堂しかなかった。

 ゴドーはどこまでも行かなければならなかった。そして弱い者たちを犠牲にする自分さえ、止められなくなっていた。





 控え室の重い扉が乾いた音を立てて開いた。

「お前がお迎えときたか………………まるほどう……?」
 扉を開けたのは、予想に反して警官ではなかった。背後に警官を従え、先頭に立っているのは弁護士・成歩堂だ。


「ゴドー検事……」
「そんな顔、するんじゃねぇよ。悪は裁かれる。それがルールだぜ……」
「でも、僕は……真宵ちゃんは……」
 成歩堂は崩れ落ちそうな表情で、入り口に立ちつくしている。
 まるで、後ろに控える警官たちを中へ入れまいと立ちふさがっているかのようだ。

「クッ……それじゃ俺が出て行けねぇ……」
「でも、でも……」
「そこをどいてくれ、まるほどうよ……」
 カップを傾け、最後の一滴を飲み干す。少し冷めたコーヒーの苦味に、鼻の奥がかすかに痛んだ。

 思い残すことはもう何もない。
 ゴドーは立ち尽くす成歩堂をどかして、警官の前に進み出た。

 すれ違う瞬間、二人の視線が交差する。
 何かを叫びだしそうな成歩堂の視線を制して、ゴドーはクッと喉で笑った。
 

「成歩堂……あんたには……本当に世話になった……」
「ゴドー……さん……」
 成歩堂が依頼人に感謝されるところは何度も見たことがあった。弁護士として、一人の男として、成歩堂はそれだけの仕事ができる実力がある。
 今なら、それが良く分かった。

「俺のムジュンを暴いてくれて本当に……良かったぜ……」
「……………………」

 こうやって成歩堂は、いくつもの人生を救うのだろう。
 今、救われた一人として。

 ゴドーは成歩堂に惜しみない感謝と賛辞を捧げた。




「アンタは最高の弁護士だぜ」



 ゴーグルの奥から零れ落ちた熱い一滴を、成歩堂は確かに見ていた。






















 長い空白の時間から目覚めて。

 長い白昼夢からも醒めて。

 今、ゴドー……神乃木荘龍……は、ようやく始めることができる。


 新しい、人生の続きを。





<END>





うう……かっこ悪いSSで初めましてこんにちは。次からはもっと感情的なやつを書きたいです。最近文章書いてなかったのが良く判って痛恨の一作目となってしまいました。しかし逆裁、1から好きだったんですが、初めて書くのがゴドーSSになるとは思いもよりませんでしたよ。あっはっは。   by明日狩り   2004/2/16