「 Are you an angel ? 」

『あなたは、天使なの?』



僕は人生で3度、そう言ったことがある。








1人は、僕の妻になった人。

1人は、僕のマスターだった人。

1人は、知らない街の知らない人。






……僕には、3人の天使がいた。
















天使が消えた街















 遠い星での、遠い日の話。
 マスターと一緒に、人を待っていた。
 その人物を捕まえれば任務は終わり。だけどそいつはなかなか現れない。
 知らない街で、何もしない時間を過ごして。

 僕がつい、マスターに触れたくなったのは仕方ないんじゃないかと思う。
 少しだけ、キスして、肌に触れて……。それくらい許されるんじゃないかと思う。
 それでもあなたは頑なに、「任務中は禁止」を繰り返す。

 バカじゃないのか、と僕は怒った。
 何年も続く戦争。途切れることのない任務。終わらない戦い。
 いったいいつになったら僕に許してくれるの?


「いいかアナキン、もっとナイトとしての自覚を持て。お前はいつだって……」
 こんなところでまで、僕にお説教をするつもりなのかと、僕はうんざりした。
「もうその話はいいでしょう。今は任務中だってあなたが言ったじゃないですか」
「だからだ。任務中にお前のその態度はないだろう」

 オビ=ワンときたら、小言が始まればもうノンストップだ。
 僕の気持ちを知りもしないで……いや、知らないのならまだいい。僕の気持ちを知っているくせに、そうやって綺麗事ではぐらかす。それが僕の気に入らないんだ。

「あなたを好きでいちゃ、いけないんですか」
「その話は今するべきじゃないし、お前のあからさまな態度は見過ごせない」
 腕組みをして偉そうに語るマスターの態度は、これっぽっちも現実的じゃないと思う。
 うるさいな、と僕は舌打ちした。


『僕があなたのことを好きなのは、あなたも認めてくれているでしょう。
 戦争ばっかりで、聖堂へも戻れないのに、この気持ちをどうしろっていうんですか?
 いつあなたの肌に触れればいいんですか?
 3年後? 10年後? 戦争が終わっても、あなたはどうせ僕に何も許さないんでしょう?』


 言えない言葉を飲み込んで、僕は黙り込んだ。
 マスター、僕は大人になりました。余計なことを言わないでいられるくらいには。
 でもマスター、ナイトになっても、大人になっても、あなたは僕を遠ざけてばかりだ。
 もっと僕を受け入れてほしいのに。

「いい加減にしてよ。僕だって生きてるんだよ」
「……何だその言い草は」
「触りたい! あんたにキスがしたいんだ!」
 ほんのわずかな愛情、それだけでいいのに。
 あなたは僕よりも、規則と倫理を尊重する。

「愚かなことを言うな! 現実をわきまえろ!」
 そう言うあなたに、そっくりそのまま同じ言葉を返してやりたい。
 綺麗なオビ=ワン。
 清潔なオビ=ワン。
 あなたには僕みたいな汚れた人間の気持ちなんか分からないんだろうと思ったら、僕は急に悲しくなった。

 涙が出るのを隠して、とっさに叫んだ。

「あんたは何だ! 天使かよ!」

 ドアを蹴破って、駆け出して。
 オビ=ワンを残して、僕は知らない街へ飛び出した。









 この街の通貨を持っていないから、僕はどこへも行けなかった。
 雨が降っていたけど、この惑星の雨は無害だと知っている。
 汚染レベルはそれほどじゃないけど、だからといってずぶぬれになるのは気持ちのいいものじゃなかった。

 水は好きだ。でも、雨は違う。
 僕の心を濡らして、バカにしているみたいにどんどん空から撃ちつける。
 振り払っても、振り払っても、それはあの人の小言のように僕に降り注ぐ。

「うるさいな……もう…………放っておいてよ……」

 僕はうんざりして、濡れるままに街を歩く。
 冷えていく体とは裏腹に、僕の気持ちはちっとも静まらない。ますます腹が立ってきた。

 石とレンガでできた街並み。
 ふと顔を上げると、そこには他と違う建物があった。
 個人の住まいでも、店でもない。知人も金も持たない僕が、この街で唯一入ることを許されるであろう入り口。

 僕は、ためらうことなくその大きな扉を開けた。


 それはいわゆる『教会』という建物だった。
 どんな人間でも、犯罪者ですら、その中に入れてくれるという。
 だったら僕が入っていったって、悪いこともないだろう。

 広い廊下、高い天井。
 まっすぐなその廊下を、何かに導かれるように進んでいく。
 辺りは本棚と宗教的な装飾品でいっぱいで、突き当たりは、壁と。



「ようこそ」



 ……思いがけない綺麗な笑顔。

「…………こんにちは」
「こんにちは。この街の人ではないようですね」
 その人は綺麗に微笑んで、読みかけた分厚い本を置いた。

「ええ、ここの人間じゃないけれど……」
「歓迎しますよ。何かお悩みでも?」
 均整の取れた顔と、体。きっちりウェーブのかかったブロンドヘアは、髪の先まで気品が行き届いているように輝いている。
 透き通るような高い声。すべてを見通した上で、それを受け入れてしまいそうな強い視線。
 男なのか、女なのか。僕と同じヒューマノイドのはずなのに、それさえよく分からなかった。

 似ているはずなどないのに、僕はなぜかマスターのことを思い出していた。

「悩みなら……いくらでもあります」
 そう、僕は悩みだらけだ。そして誰かにそれを分かってほしかった。
 ありきたりな規則だけで僕を縛ろうとするんじゃなくて。
「死ぬほど努力してるのに、これっぽっちも解決しそうにないんです」

 僕の目を真っ直ぐに見ながら、その人は完璧な表情でもう一度微笑んだ。
 花の蕾が開くような、完璧で無駄のない微笑。
「私でよかったら、お話を聞かせてもらえますか?」

 ああ、僕に必要なものは、これなんだと思う。
 僕の話を聞いてくれる人。
 僕の言い分を認めてくれる人。

 会ったばかりなのに、僕は直感していた。
 清冽なフォースを発する、美しい人。
 この人なら信用していい。


「あの…………」
 口を開きかけた僕を、不意に電子音がさえぎった。ポケットの中のコムリンクがイライラするほど大きな音で雰囲気をぶち壊しにする。

「アナキンです」
『ターゲットが現れた。信号を出すからお前も合流しろ』
「…………イエス、マスター」

 なんてタイミングが悪いんだろう。僕はため息をひとつ吐いて、顔を上げた。
「呼ばれてしまいました。僕、行かなくちゃ」
「そうですか。それは残念」
 少しだけ眉間にしわを寄せたその顔が、本当に残念そうに見えたから、それだけでもう僕は少し癒されていた。
 マスターも、これくらい優しげな顔で僕を叱ってくれたら良いのに。

 そうしたら、僕だってもう少しは利口なことが言えるだろう。

「また来てもいいですか?」
 この仕事が終わったら、少しでも話を聞いてもらいたいと思った。
 その人は、やっぱり完璧な微笑で、心からこう言ってくれた。
「もちろんですよ」

 
 僕はその笑顔に心から安心して、すぐさまコムリンクの信号を追った。

 急いで入り口に向かって走り出し、急に思いついて、一度だけ後ろを振り返って。
 ひと言だけ聞いた。

「あなたは、天使?」

 そのとき、一瞬だけ、あの人の表情が変わったように思う。
 急いでいたからよく覚えていないけど。
 あの人は、とても不思議な顔をしていた。


 仕事が終わったら本当に戻ってくるつもりで、
 だからあの人の名前も聞かなかった。





 任務はそのまま泥沼に陥り、僕とマスターは気がつけば宇宙に飛び出していた。
 そのまま戦争は続き、僕らは休む間もなく戦い、

 ……結局そのまま、その街に戻ることはなかった。



















 その後、一度だけ。
 僕はその街に戻ることがあった。
 それは何もかもが変わり果てた後。
 手足も強さも守るものもすべて失い、代わりに得た漆黒の鎧を身にまとって、からっぽの棺に憎しみの炎だけを燃やしていた。


 久しぶりに降りたった星。
 その薄暗い路地で、
 僕は背中に醜いこぶを持つ人間を見た。
 髪は根元からばっさりと切られ、ウェーブだかブロンドだかまるで分からない。
 細い体で不自由そうに歩いていた。

 ……僕の天使はどこにも見当たらなかった。







 僕が天使と呼んだ妻は、僕を裏切って死んだ。

 僕が天使と叫んだ師は、僕を殺して逃げた。

 そして再び降り立ったこの街でも、僕はあの天使に会うことはなかった。






 僕には3人の天使がいた。

 今はもう、どこにも天使はいない。












<<END>>







「コンスタンティン」とのコラボでした。
2006/06/29