ステイ・ウィズ・ミー















「ソルベ…………ソル……ゴホッゴホッ……ソルベごめん……ソルベちょっと…………こっち来て……ゴホゴホッ」

 苦しそうな声が遠くの方から聞こえてくる。

「……………………………………」

 ソファに寝そべってぼんやりと煙草をふかしていたソルベは、その声が聞こえているのかいないのか、目を細めて細く長く煙を吐き出した。
 やがてゆっくり、大きな象のように体を起こすと、一歩ずつのんびりと足を前へ交互に出して体を移動させる。その悠長な動作は、「歩く」なんていう言葉では早すぎるほどに緩慢だった。

 開けっ放しの扉を出て、隣の寝室へ足を向ける。

 寝室の大きなベッドにジェラートが寝ていた。比較的小柄な体格のジェラートが一人で寝るには大きすぎる。普段はソルベと一緒に寝てちょうどいいくらいの、キングサイズのベッドだ。

「ごめんねソルベ。今日は外で食べてきて」

 ゴホゴホ、と苦しそうに咳をして、喘ぐようにジェラートが言う。
 部屋の入り口に立ってベッドを眺めているソルベは、何も言わずに黙って見ている。咥えていた煙草をつまみ、小さくうなった。

「ん…………」

 その一音だけで、ソルベの真意は漏れなく伝わる。ジェラートは力なく首を横に振り、熱で赤くなった顔に苦笑いを浮かべた。

「うん、そう。こないだからの風邪、こじらせちゃっただけ」
「…………ん」
「うん、ごめんね。明日はちゃんとご飯作れると思うから。だから今日は……ゴホゴホッ!!」
 言い終わらないうちにまた強い咳がこみ上げてきて、ジェラートは苦しそうに掛け布団の端をつかんで肩を震わせた。



 ソルベの食事はいつもジェラートが作っている。
 食事だけではない。洗濯も、掃除も、買い物も、アジトへ行くために車を出すのも、すべてジェラートの仕事だ。
 とはいえ別にソルベにやらされているわけではなく、むしろジェラートの方から「全部オレにやらせて」と申し出てやっている。
 本人いわく、「誰かの役に立ってる、って実感があるのが嬉しいんだ」ということだ。

 一方のソルベはというと、こちらは完全なる無気力人間である。
 煙草を呑むか、酒を呑むか、ドラッグを呑むか。
 一日中ぼんやりと魚の死んだような目をしていて、糸の切れたあやつり人形のようにソファに崩れ落ちている。
 しゃべることすら億劫なようで、ジェラートに向けられるかすかなうなり声さえ上げるのも面倒くさい、といった顔をしている。

 働きたい男と、働きたくない男。

 つまりは、とても利害関係の一致した、幸福な関係というわけだ。



 普段ならそれで丸く収まっているのだが、先日からジェラートが風邪を引いている。
 昨日まで無理をして家事をこなしていたせいもあり、今日はとうとう起き上がることもできなくなってしまった。

「……………………ぉ」
「うん、ごめんね。好きなもの食べてきていいから。お財布預けるから、お金は好きに使ってね」
 そう言うと、ジェラートは枕の下から財布を取り出してソルベに渡した。普段はジェラートが必要なものをすべて買ってくるため、ソルベはジェラートと生活するようになってからこのかた、ほとんど自分で金を持ったことがない。

 無言で財布を受け取り、無造作に尻ポケットにねじ込むと、ソルベは黙って窓の外を見つめた。何か考えているらしい。

「ごめんねソルベ。……ゴホッ……明日はちゃんとご飯、作るからね」
「…………おぅ」
「本当にごめんね。ね、寝てれば治るから、そしたら明日はちゃんとご飯も作るし、煙草も買ってくるから」

 病気をしているジェラートの方が、やけに心配そうな声を上げる。健康なソルベの方はというと、いつものように無表情で、機嫌がいいのか悪いのかさえよく分からない。
 けれどジェラートの耳にだけははっきりと、ソルベの声が聞こえていた。

「…………ん……」
『ジェラートの野郎、風邪かよ。めんどくせえな。外まで食いに行くにしてもよぉー……何にするか、考えるのもめんどくせえ……』

「ごめんね、あの、ちょっと行ったところにある喫茶店のパニーノ、ソルベが前に……ゲホッ……好きだって言ってたの、あそこで買ったから……ゴホゴホ……」

「……あぁ……」
『あー、そういやそんなのあったか? パニーノ? いつ食ったっけ? ……忘れてンなァ。つうかコイツはそういう細けぇこといちいちよく覚えてるよなぁ……ま、そのパニーノでもいいか』

「うん、ランプレドット(牛の胃袋)の煮込みを挟んだ奴が、おいしいって言ってたよ……ゴホッゴホゴホゴホゴホッ!!!」

 ジェラートが激しく咳き込む。
 それを見下ろしていたソルベは小さく息を吐くと、回れ右をしてのんびりと(しかしソルベにしては珍しく早い歩調で)部屋を立ち去った。

「ソルベ……ごめんねぇ…………ちゃんと帰ってきてね…………」

 咳の息苦しさのせいで涙を浮かべながら、ジェラートは切ない声でそうつぶやいた。



 どういうわけだか、ジェラートには『ソルベがいつか逃げてしまうんじゃないか』という不安がつきまとっているらしい。
 だからソルベの機嫌を極力損ねないように、いつも過剰なほどに気を遣っている。
 暗殺チームの仲間からは「DV男とだめんず女」とか「ヒモと別れられない貢ぎ女」とかさんざんな言われ方をしているが、それがジェラートの幸せなのだからとやかく言われる筋合いはない。

(ああもう、何で風邪なんか引いちゃったんだろう……本当に馬鹿だなもう……)

 ソルベはずぼらで、無気力で、ジェラートがいないと生きていくこともままならないダメな人間だ。
 けれど、そういうソルベの役に立って働くことができない今の自分は、誰よりも何よりも存在価値のないもののようにジェラートには思われた。






 いつの間に眠っていたのだろう。
「…………………………ふぅ…………」
 高熱が出たとき特有の悪夢にうなされて、ぼんやりと目が覚める。外はまだ明るいから、さほど時間は経っていないらしい。

(今何時だろう……ソルベはどのくらい外出しているのかな……)

 時計を見ようと首を伸ばすが、少し離れた場所に置いてある小さな時計の針はここからでは読めない。あまり長い間ソルベが帰ってこないと不安になるが、だからといってどうすることもできない。……分かってはいるけれど、やっぱりソルベがどれだけの時間ここを離れていたのかだけでも知りたかった。

「………………ゴホッ……」

 動くと咳が出る。時計を見に行こうかどうしようか、とジェラートが布団の中で迷っていると、遠くのほうで板張りの床を踏む足音が聞こえた。

(あれ、ソルベ……帰ってる!)

 その足音は間違いなくソルベだ。遠くて「何を考えているのか」までは聞こえなかったが、間違いなくソルベの足音だと分かる。

(早いな。帰ってきてたんだ。よかった……よかったなあ…………)

 どこかをぶらつくのも面倒だったのだろうか。それとも行く当てがなくて帰ってきたのだろうか。
 いずれにしても、ソルベがそばにいてくれるだけで安心する。

(よかった……ソルベ帰ってきてくれた……)

 あまりに嬉しくて、目の端にじんわりと涙がにじむ。

 ジェラートが涙を流して喜んだり心配したりするほど、普段からソルベは放浪癖があるわけではない。むしろソルベは出不精で面倒くさがりだし、ジェラートが全部身の回りのことをしてくれるこのアパートが一番居心地がいいとさえ思っている。
 そのことはジェラートだってちゃんと「聞こえて」いるのだが、それでもなお、ジェラートはどうしても不安にさいなまれずにはいられないのだ。

 ソルベを失うという恐怖が、いつでも心の表面を覆っている。
 これはもう、一種の病気なのかもしれなかった。

「……………………ふふ……ゴホッ……」

 安心したらまたうとうとと眠くなってきた。ジェラートは穏やかな笑みを浮かべながら再び夢の中へ落ちていく。

 そのときだった。

 ドカ、ドカ、ドカ、と大きな足音が近づいてくる。
 ソルベのぶっきらぼうな足音だ。

「おい」

 ほとんど蹴り破らんばかりの勢いで寝室の扉を開け、ソルベがくぐもった声を上げた。煙草を咥えているせいもあり、発音がいつも以上に不明瞭だ。

「…………え?」

「メシ」

 右手に片手鍋、左手にスプーンを突っ込んだマグカップを持って、ソルベがドカドカと入ってくる。
 まだ夢うつつのジェラートは訳が分からない、といった顔で必死に目を開く。

「メシ」

 そう言いながら、ソルベがベッドサイドに置いてある小さなサイドテーブルを引き寄せた。その上にマグカップを置き、鍋を持ったままうどの大木のようにその場に立ち尽くす。

「……え? え?」

 ジェラートはまだ状況が理解できず、混乱しながらも、いつもの習慣でソルベの声に「心を」傾けた。
 ソルベはじっとジェラートを見下ろしたまま、三度目にまた同じことを言った。

「メシ」
『メシだ』

 「心で」聞いても、ソルベの声は同じだった。何も隠していない。そのままの意味だ、ということを理解するのに、ジェラートはずいぶんと時間がかかった。


 ……ジェラートのスタンド『レディオ・ヘッド』は、相手の心を読む能力がある。
 正確には、「生物が発する音から相手の真意を探り出す」という能力である。ソルベのうなり声や足音からでも、ジェラートはソルベが何を考えているのか、何を欲しているのか、機嫌がいいのか悪いのか、すべての感情を窺い知ることができる。
 この能力ゆえに、ジェラートは細やかな気配りでソルベの身の回りの世話をすることができ、従来面倒くさがりであったソルベはますます怠惰な生活を送るようになっていった。しゃべることすら面倒くさがって、近頃のソルベはうなることしかしない。

 そんなソルベが、珍しく言葉を発した。

 驚いたジェラートが身を起こすと、ソルベはその太腿の上あたりに無造作に鍋を置いた。布団があるから大丈夫とはいえ、いきなり熱そうな鍋を目の前に置かれてジェラートは小さく身をすくめる。
 鍋が安定したかどうかも確かめず、ソルベはさっさと手を離す。ジェラートは慌てて鍋の取っ手をつかみ、それが熱くなかったことに感謝した。

 ソルベはスプーンを突っ込んだコップをジェラートの目の前に突き出すと、ぶっきらぼうに言った。

「食え」

「あ……あ…………うん、食べる」

 頭が真っ白になって思考回路が追いつかない。とにかくソルベが「食え」と言っているのだから、食べればいいのだと判断した。

 コップからスプーンを取り、鍋に差し入れる。

「…………わあ」

 鍋の中身は、よく分からない何かの煮込み料理だった。ドイツ風でもあり、ロシア風でもあり、スペイン風のようでもある。とにかくスープが赤いのはトマトがベースになっているからで、あとはなんだか細かい野菜の煮崩れたものがたくさん入っている。かけらのようなパスタが全体にちりばめられているが、野菜の残りと混じり合って何がなんだか判然としない。あとはごろごろと一口大の塊が入っていて、それはどうやらジャガイモとソーセージを切ったものらしかった。

 ゆっくりとそれらを観察する暇もなく、ジェラートは鍋に直接スプーンを突っ込んで食べ始めた。

「……………………お、いし……っ」

 甘くもなく、しょっぱくもなく、ちょうどよく味付けされた優しい風味が口いっぱいに広がる。
 風邪のせいで味覚はだいぶ落ちているはずなのだが、それでも多種の野菜を煮込んだらしいこのスープの複雑な味はジェラートの舌の上で踊るように広がる。熱で食欲もなかったジェラートだが、自然な野菜の甘さと少しの塩味で整えられたスープはいくらでも食べられそうだった。
 見た目はあまり良くないが、素材の味とその引き出し方をよく熟知している、腕のいい料理人のセンスがそこに感じられた。

「すごい……おいしい……これすっごくおいしいよ……」

「そうか」

 夢中になって鍋を抱え込んでいるジェラートを無表情のまま見下ろして、ソルベは部屋を出て行く。

「あっ、ソルベどこ行くの!?」
 ヒステリーのように叫ぶジェラートの耳に、遠ざかるソルベの足音が『すぐ戻る』と告げる。それで安心して、ジェラートは再び野菜スープに取りかかった。

 言葉の通り(正確に言えば『足音の言う通り』だが)、ソルベはすぐに戻ってきた。ベッドの端に腰を下ろし、足を組んで、持ってきたりんごの皮をむき始める。つるつると赤い皮が一本の帯になり、つながったまま長く床へと伸びていく。

「りんご……」

「ああ」
『サ店に行こうかと思ったが、パニーノの具だの何だのチョイスして注文するのもめんどくせぇなと思って、市場行ってきた。自分で作る方がまだ楽だ。これもそこで買った』

「自分で作るのはめんどくさくないの?」

「ん……」
『めんどくせえに決まってんだろ。テメェがくたばってなけりゃ、こんなことするかよ』

「あっ、ごめんね。オレがご飯作れなかったからね。……でも、ソルベ」

 スプーンを咥えたまま、ジェラートが心底悲しそうに肩を落とす。

「ん?」
『なんだよ、オレの作ったモンに文句言う気か? マズくても全部食えよな』

「違うよ! こんな……こんなおいしいのソルベ作れるのに、オレの料理なんて全然下手だし……」

 うつむいて、ジェラートは顔を歪めた。
 いつも自分が作る料理はこんなにうまくない。こんなに上手に料理を作れるソルベが、あんなまずいものを毎日食べさせられて満足していただろうか? この素材の味を生かした野菜スープひとつ取っても、ジェラートの料理とは比べものにならなかった。

 泣きそうなジェラートを横目に見て、ソルベは興味なさそうに鼻から煙草の煙を吐いた。煙草の灰がホロリと床に落ちる。むき終わったリンゴの皮も床に落として、ソルベはリンゴをすり下ろし始めた。

「はー…………」
『うまいなら文句言わずに食え。オメーの料理がうまいかまずいかなんて、オレはこれっぽっちも興味がねえんだよ』

「そう……ごめんねソルベ。オレ、料理、下手で」

「ん」
『だから、オメーが料理下手とか、どうでもいいって言ってるだろうが。ごちゃごちゃ言わねーで、とっとと食え』

「うん……」

 ソルベの言葉には優しさのかけらもない。けれど、だからこそ、ジェラートは安心することができる。少なくともソルベの心には嘘がないし、優しさがないということはジェラートにとっては真実味のある感情のように思えるからだ。

 トマト味の野菜スープは、あっさりとしていて、深いコクがある。ぱらぱらと入っているパスタのおかげで腹持ちも良さそうだし、大きめのジャガイモとソーセージのおかげで満足感も得られた。

「ごちそうさま」

 空になった鍋から顔を上げて、ジェラートはうっすらと笑みを浮かべながらソルベの顔を覗き込む。
 そういえば「いただきます」も言わずに食べ始めてしまったな、ということに気づいたが、ソルベは一向に気にしていないようだった。

「ん」

 浅くうなずいて、ソルベはすり下ろしたりんごをマグカップに落とし込んだ。

「なあに、それ?」

「あー…………」
『風邪用のホットデザート。風邪に効くセージのハーブティーに、しょうがとはちみつ入れてある。そこにすりおろしたリンゴを入れた。デザート代わりに食っとけ。一発で治る』

「ハーブティー!? ソルベが!?」
 何となく似つかわしくない気がして、ジェラートは思わず頓狂な声を上げてしまった。

「あー……」
『まあな。オレの田舎じゃあ風邪にはハーブティーが定番だった。それに『リンゴが赤くなれば医者が青くなる』って言葉もある。合わせて食ったらすぐ治るだろ』

 相変わらずの無表情でソルベが差し出したマグカップを受け取ると、暖かい湯気がジェラートの顔をいっぱいに包み込んだ。

「ふわ……」

 熱すぎず、冷めすぎない。ちょうどいい温度の湯気は、ハーブのすがすがしさと、甘いはちみつ、さわやかなジンジャー、そして酸っぱいリンゴの香りをいっぱいに含んでジェラートの熱っぽい頬をふわふわとなでる。

 さっきまで野菜スープを飲んでいたスプーンをそのまま使って、今度はすり下ろしリンゴがたっぷり入ったハーブティーを食べる。

「あま……っ」

 甘く、酸っぱく、さわやかで、まったりとあたたかい。風邪の体にも優しく染み渡るようなそのデザートは、ジェラートの心までやんわりと包み込むようだ。
 そして、こんなにも暖かく優しい食べ物を「ソルベが」作ってくれた。その事実だけでもジェラートは幸せになれる。

「おう」
『さっさと食って、寝ろ。そんで明日はちゃんとメシ作ってくれ』

 短くなった煙草を指先でつまんで、ソルベは中を見上げながらふうー……と長く煙を吐き出した。








 ソルベの特製レシピが効いたのか、それとも看病の優しさゆえか。

 ジェラートの風邪は翌日にはすっかりと治っていたそうである。





【END】






急にたぎってソルジェラ書いちゃった! こないだブログにアップした「暗チの料理設定」で作ったソルベ設定がお気に入りで、電車の中でケータイでぷちぷち打ってみた。そしたら終わらなくて結局パソコンで書く羽目になった。
前からソルジェラはサイトにアップしておきたいとずーっと思っていたので、ようやくサイトにうちのソルジェラをお目見えすることができて嬉しいです♪ 前にソルジェラアンソロに参加させていただいたこともあり、知り合いにソルジェラーが多いので、読んでいただけたら嬉しいなぁ。

ソルジェラはスタンドから自由に考えられるのがイイんですよね! うちのジェラたんは『レディオ・ヘッド』です。サトリの化け物です。心が読めるので人から嫌われることが多いんですが、暗チのみんなは隠すことなんてほとんどない人たちばっかりなので(イルーゾォを除くw)、ジェラートがサトリでもあんまり気にしてないらしい。だからジェラートは暗チが大好きらしい。ソルベは『ファットボーイ・スリム』という物質圧縮能力ですが、その使い道はいずれまた。
 By明日狩り  2011/07/09