ペッシと1/6のリゾット

















「ペッシ! 戻れ!!」
「け、けど……ッ!」
「早く!!!」

 リーダーの低くて重たい叫び声がオレの心を突き動かす。でもオレの体は恐怖にすくんで動かない。
 頭では逃げなきゃ、って分かってるのに、体が言うことを聞かない。

 逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ!

 その瞬間、だった。

「うおおおおおおお!」

 敵が鈍く光るナイフを振りかざし、オレめがけて振り下ろした。


「ひっ!」

 オレは逃げることも、立ち向かうこともできずに、ただその刃を見ていることしかできない。


 ……ドスッ!

「ぎゃああああああーっ!」

 高い建物に挟まれた薄暗い路地裏に、絶叫がこだまする。

 オレと、敵が、同時に悲鳴を上げていた。

「ぐああああ……あ……あ……」

 血まみれになった敵が、恐ろしい形相でこっちを睨み付けている。そのままよろよろとバランスを崩し、後ろにひっくり返ると、それきり動かなくなった。

「ひ……あ……あ……」

 オレは地面に尻餅をついたまま、もう声も出ない。膝ががくがく震えて、足腰が立たなかった。



「…………大丈夫……か…?」

 リーダーが首を曲げて、オレを見下ろす。オレは怖くて怖くて、うなずくことしかできなかった。

「……そうか」

 リーダーはそう言うと、ゆっくり地面に片膝をついた。石畳の上に真っ黒な染みが点々と落ちる。オレに背を向けたまま、リーダーは肩を上下させて呼吸を整えていた。

 オレからはリーダーの前側が見えない。だけど、さっきのが夢じゃないなら。

 リーダーの胸にはさっきのやつが降り下ろしたナイフが突き刺さってる。



 ほんの数十秒前の、あの瞬間。腰が抜けて逃げることすらできなかったオレの目の前に、とっさにリーダーが立ち塞がった。その直後、敵の攻撃とリーダーの反撃はほとんど同時で。

「リ、リ……リーダ……」

 まだ足腰が立たない。なんて情けねえんだ、オレってやつは。

 背中を丸めて、リーダーが小さな呻き声を上げる。

「ぐ…………ッ……」

「リーダー!だ、大丈夫ですかい!?」

 オレはガクガクする足でメチャクチャに地面を蹴りつけ、這うようにしてリーダーに近づいた。

「あっ……」

 覗き込むと、やっぱりその胸にはナイフが突き刺さっている。おろおろするだけのオレに向かって、リーダーは痛みを飲み込むようなくぐもった声で命じた。

「アジトに、電話を。車を呼べ」

「は、はいっ」

 オレはがさがさとポケットを探った。だけどどこにも携帯電話がない。ジャケットの左右、ズボンのポケット、……入ってない。

「あれっ? あれっ?」

「…………これを……使え」

 見かねたリーダーが、自分の懐から携帯電話を出して差し出す。血の付いた携帯電話は気を抜くと滑り落ちそうで、オレはボタンを押すと慌ててそいつを耳に押し当てた。ぬるり、と生温かい血の感触に、思わず鳥肌が立つ。

「…………あ、あの、ペッシです」
『……? ペッシ?』
「……あ、兄貴? あの……」
『リゾットがケガでもしたか。動けねぇのか?』
「えっ? ……そ、そう、そうなんだよ兄貴ィ!」
『分かった。車を出す。ラチェン通りだな?』
「あ、うん。そうです」
『三分でそこ行くからリゾット隠して待ってろ』
「お願いします」

 電話に出た兄貴は、オレが何も言わないのに全部分かってくれた。オレの慌てぶりとか、リーダーの携帯電話からオレが掛けてたって事情を考えて、何が起きたかをだいたい察したんだろう。今夜の任務の場所も知ってる。さすがは兄貴、スゲーや。

「リーダー、兄貴が来てくれるって…………あ、あれ?」

 オレが電話を切って顔を上げると、目の前には誰もいなかった。足下に広がっていた血だまりもきれいさっぱりなくなり、それどころか転がっていたはずの敵の死体も消え失せて、路地裏は何事もなかったかのように静まりかえっている。オレは驚いて息を呑んだ。

「あっ、あ…………え?」

「…………ペッシ、ここだ」

「ひっ! あ、ああ、リーダー」

 すぐ足下で声がしたんで、オレは驚いて飛び上がった。そうだ、リーダーは姿を隠すことができるんだった。そのことをうっかり忘れてた。

「迎えが来るまで……身を隠す……」

「は、はい」

 それきり、リーダーは衣擦れの音すら立てずにひっそりと「風景」の中に溶け込んじまった。本当は死体と、大ケガしたリーダーがそこにいる。いるはずなのに、オレは今ひとりぼっちで迎えを待っている。

「……早く、早く来てくれよ兄貴ィ…………」

 傷ついたリーダーがすぐそばにいるってのに、手当てすることもできない。オレが下手くそな応急処置をするくらいなら、リーダーは姿を消して迎えを待った方がずっと「安全」だって判断したんだろう。実際、その通りだ。

(オレってほんと、役立たずだな…………グスッ……)

 あの強いリーダーが、まさか真正面から敵の攻撃を受けるだなんて。そんなところは見たことがねぇ。そんなことをさせたのは、オレがまぬけだからだ。オレがぼんやりしてたからだ。
 大ケガを負わせても、手当もできない。させてもらえない。胸にナイフが刺さったままのリーダーをどうすることもできずに、オレはただひたすら迎えの車が来るのを待つしかない。兄貴にマンモーニと叱られてもしょうがねえ。

(もっと、早く、一刻も早く、強くならねぇと…………)

 そうでなきゃ、オレはいつかこの人を殺しちまうかもしれない。リーダーだけじゃない。兄貴も、暗殺チームの仲間のことも、オレのせいで殺しちまうかもしれない。

「早く……早く…………」

 オレは思わずそう口走っていた。

 早く、迎えに来て。

 早く、強くなりたい。



【END】







一番弱くて、多分年下で、人殺しもしたことがないペッシ。一番格上のリーダーで、人殺しをするためにこの世界に自ら足を踏み入れたリゾット。対称的で、でも暗殺チームとして繋がっている。というより、暗殺チームを挟んで両極にいる。お互いに一番思うところがあり、そしてお互いに一番遠いと思っている。そんな感じ。
 By明日狩り  2012/11/15