猫とコタツ






 その日、ギアッチョがアジトへ行くと、リビングが劇的に様変わりしていた。
「……なんじゃこりゃあ」
 ダッフルコートを脱ぎながらリビングへ足を踏み入れようとすると、壁に何やら怪しげな飾り付けをしている最中のメローネに止められた。

「待ってギアッチョ! 土足厳禁だよ!」
「あぁ? 何だ?」
「エート……これこれ。これを見て」
 メローネは何やらうねうねと黒い線がのたくる紙を広げて見せた。日本のひらがなで『ここではきものをおぬぎください』と書いてある。
「何だよそれ」
「ニホンの文字だよ。ヒラガナって言うらしい」
「読めるかよ。何て書いてあるんだ?」
 顔をしかめるギアッチョに、メローネは満面のニヤニヤ笑いを浮かべながら嬉しそうに答えた。
「これが面白いんだ! ここに書いてあるニホンゴは意味が二通りあって、『靴を脱げ』と『服を脱げ』と、その両方の意味を持つらしい」
「何だそりゃあ。全然意味が違うじゃねーか。それなのに何で一言で二通りの意味になるんだ?」
「さー。何でだろうね」
「言葉ってのはよォー。意味がひとつしかねーから相手に伝わるんだぜ。それが二通りも三通りもあったら、何が何だか分かんなくなるだろーが! ナメてんのかこのオレをッ! クソックソッ」
 言葉の意味に敏感なギアッチョが腹立たしそうに吐き捨てる。だがメローネは細かい事は気にしないたちだ。
「どっちでもいいじゃないか。ほら、ギアッチョ。服と靴を脱ぐんだ」
「バカかオメー。こんな真冬に何でアジトで素っ裸にならなきゃいけねーんだよ」
「だってニホンの習慣なんだもの。仕方がないじゃないか」
「だから何で急にニホンなんだよ」
 そう言ってギアッチョはリビングを見渡した。

 アジトの広いリビングは、ソファセットやテーブルがあったはずなのだがどこかへ撤去されてしまっている。床にも一面に草の織物が敷き詰められ、壁には薄い灰色のぼんやりした絵画が掛けられて、紙で巻いた間接照明が床に置かれている。全体的に薄暗い。
「これね、タタミっていうんだ。この絵はスイボクガっていうらしい」
「どうでもいいぜ。中入れろよ」
「ダメだよ。靴と服を脱がないと入れない決まりになってるんだ」
 そう言って通せんぼをするメローネの胸倉を軽くつかみ上げ、ギアッチョは不機嫌な顔を近づけた。
「バカか。寒いから中入れろ」
「日本の文化を尊重すべき。ギアッチョは服と靴を脱ぐべき」
「ウゼーなオメーは本当によォー。……チッ」
 こうと決めたら人の話を聞かないのがメローネだ。メローネのルールに逆らっても時間の無駄だし、何一つ良い事はない。ギアッチョは仕方なく、足首まであるハイカットスニーカーの紐をほどき始めた。
「クソッ……スニーカーはいちいち脱ぐのめんどくさいんだぜ。……ていうか何で急にニホンにかぶれてんだテメーはよー」
 乱暴に靴紐を緩めながら、ギアッチョがぶつくさ文句を言う。

 メローネは元々、けっこうディープな東洋(オリエンタル)マニアだ。インドや中国などの怪しげな東洋文化を好み、ヨガだとかお香だとかいったものを日常にも取り入れている。そういう習性は前から知っていたが、日本風(ジャポネーゼ)というのは初めてのことでギアッチョも少々勝手が分からない。
「ギアッチョがあんまり寒い寒い言うから、オレが全知識を総動員して、今年のイタリアの冬を暖かく過ごしやすいものにしてあげようとしたんじゃないか」
「その結果がこれかよ」
「日本は暖房器具が発達してるんだ。エコでヘルシーでぬくぬくなのが日本だよ」
「ヘルシー関係ねえだろうが。しっかし本当かねぇ」
 ギアッチョは呆れて小さくため息を吐いた。ようやく紐の解けたスニーカーから足を抜き、タタミの上に乗ってみる。
「さあ、次は服を脱いで」
「オカシーだろうがよ。日本風ってのは靴を脱ぐもんだってのは知ってるけどよォー。服を脱ぐ習慣なんて聞いたことないぜ」
「ちえっ。知ってたか。ベリッシモがっかりだ」
「誰が騙されるか。だいたい服脱いだら寒くて死ぬぜ」
「それもそうか。ぬかったな」
「アホだろオメー」

 文句を言いながらも、ギアッチョは初めて見るタタミにそれなりに興味を引かれている。
「ふーん。ま、たまにはこういうのもおもしれーかもなぁ」
「そうだよ。心機一転、気分転換、今年は新しい一年にするんだぞという気持ちでね。一年の始まりは楽しくなくちゃあいけない。そうだろ?」
「ニューイヤーはとっくに過ぎてんだろうが。ま、オメーの理屈は分かるけどよォ」
 そう言いながらギアッチョは靴を脱いだ足先を小刻みに動かした。室内温度がいつもより低い。というか、かなり低い。
「妙に寒くねーか?」
 ギアッチョがぶるっと体を震わせてそう言うと、メローネが胸を張って答えた。

「ここでギアッチョに、ディ・モールト残念なお知らせがあります。実はこのアジトの暖房装置(テルモシフォーネ)が壊れました」
「な……何だってええええぇぇェェェェェェ?」

 寒がりのギアッチョが愕然とした表情で悲鳴を上げる。
 イタリアの暖房は、その多くがテルモシフォーネと呼ばれるセントラル・ヒーティングになっている。全館に張り巡らされた配管に温水を通すことで全ての部屋を温めるのだが、なにしろ集中暖房なので地下にあるボイラーがイカレれば一発でアウトだ。
「元々ボロいアパートだったからねェ。修理にはまとまったお金がいるらしいんで、今リゾットが見積もり取ってるところ」
「そ……それでいつ暖房が直るんだ?」
「さぁ?」
「さぁってお前……仮にもギャングの暗殺者のアジトに、暖房すら入ってねーとかありえねーだろうがよオォ!」
「だってオレタチ貧乏だもん」
 あっさりとそう言い放つメローネに、ギアッチョはがっくりと肩を落とした。
「クソぉ……貧乏なんか大嫌いだぜ……」
「まぁまぁ、たかが暖房でそう落ち込むなよ。だからオレがこうして、暖房装置(テルモシフォーネ)の代わりを工夫してやってるんじゃないか。日本の省エネ暖房でこの危機を乗り切ろう! さあ、これへどうぞ!」

 メローネが指差したのは、布団の掛けられたローテーブルだった。以前はL字型にソファが並べられていた場所だが、ソファは撤去されている。テーブルも前に置いてあったものとは違うようだ。

「これ何だ?」
「コタツっていうんだよ。こうやってね、中に入る。そうするとスゴク暖かい」
 メローネが布団をめくり上げ、中に足を入れて座る。それを見てギアッチョはフンと冷笑した。
「ダセェ。なんだそりゃ。全然あったかそうには見えねーぜ」
「そんなことナイヨー。ベリッシモ暖かいんだよこれ」
「嘘吐け。そんなんがあったかいわけねーだろうがよォー」
「ほんとダヨー。スッゴクぬくぬくなんだぜ」

 メローネは手足を布団の中に入れ、背中を丸めて小さく縮こまっている。その様子はとてもじゃないが暖かそうには見えない。ギアッチョはメローネの傍らにしゃがむと、胡散臭そうに顔を覗き込んだ。
「オメーなぁ、よく考えてみろよ? 床に座ったら下から来る冷えにやられちまうだろーが。それによォー、こんな足しか入れられねーようなモンであったまるわけないぜ。頭も肩も背中もガラ空きだしよォー」
「文句言うなら、君も入ってみたらいい。コタツはディ・モールト具合がいいんだぞ」
「あのなぁ、布団があったけーのは分かる。すげー分かる。けどそれをテーブルに組み合わせようっつーのは、子供以下の発想だぜ? どう考えても企画倒れだぜ?」
「ケド、これ中にヒーターが入ってるんだよ。だからベリッシモ暖かい」
「だからってこれだけ体中、外に出てたら全ッ然意味ねーだろうがよォー。オレは認めねーからな」
「だったらギアッチョは入らなくていい。あーぬくぬくー。『ホワイト・アルバム』の中はきっとこんな感じだろうなぁ」
「多分全然違うぜ」
「あったかーい」
 もぞもぞと体を動かして、メローネはほぅ、と気の抜けたようなため息を吐いた。その緩みきった幸せそうな表情に、ギアッチョは眉根を寄せる。

「……クソッ。オレは騙されねーぞ」
 コタツのそばで腕組みして座り込んだまま、幸せそうな顔でとろけ始めているメローネの顔色を窺う。
(……本当にあったかいのかぁ? とてもそうは見えねーんだけどよー)
 こんなテーブルに布団を被せたようなチャチな代物でそんなに暖が取れるとは到底考えられなかった。おまけに中に入れているのは手足だけだ。体のほとんどが外に出ている状態で、絶対に暖かいはずがない。
「ぬくぬくだにゃー」
 メローネの心底ほっとした表情を見ていると、ひょっとしたら……という気もする。けれどそれに騙されてまんまとこんな物に入り、カタツムリのようなマヌケな姿を晒して笑い者になるのは癪だ。
 どうせ全部メローネの罠に違いない。さっきだって「服を脱げ」とか何とか騙そうとしてきたんだし、そう簡単に信用するわけにはいかない。
(クソッ……何かムカつくぜ)
 メローネの満足げな表情も、本心からなのかそれとも演技なのか、何とも判断がつかない。ギアッチョは決め手に欠けるままじっと腕組みして考え込んでいた。

 そのとき、誰かがリビングのドアを開けた。
「ただいまー……ってうわっ。なんじゃこりゃ」
「あ、イルーゾォおかえりー」
「メローネ、お前の仕業かよ。ナニコレ」
 イルーゾォは裾の長いロングのダウンジャケットを脱ぎ、自然な動作でスッと靴を脱ぐとリビングに上がってきた。
「ワオ、イルーゾォは知ってるんだ?」
「何が」
「ここでは靴を脱いでください。あと服も脱いでください。ホラここに書いてあるだろう?」
 メローネが指さしたひらがなの注意書きを見て、イルーゾォは鼻で笑った。
「バカか。タタミは靴を脱ぐだけでいいんだ。これは靴と服を読み間違えて素っ裸になった奴がいたっていう、ジャポネーゼ定番のジョークだよ」
「へぇ、そうなのか。知らなかった」
「そんなことも知らないのかよ。それでよく東洋マニアを標榜してるよなお前」
「イルたんは日本のアニメ大好きだもんねぇ」
 まったりした口調でメローネが言う。イルーゾォはいわゆるオタク趣味を持っているのだが、特に日本のアニメが好きだった。
「ウルセー。オタクってゆーなぁ。ジャパン・アニメは世界に誇る芸術作品なんだからなっ」
「スゴク良くできてるもんねぇ。オレもジブリとかは好きだよ」
 丸めた背中をさらに小さくして、メローネはコタツの上に顎を乗せたまま半分寝ているような顔でつぶやいた。そのそばにツツツーッと寄って行くと、イルーゾォは物珍しそうな表情でコタツを眺める。

「へえぇ。アニメとかマンガではよく見るけど、本物のコタツって初めて見たな」
「イルたんも入る? ベリッシモぬくいよ」
「んじゃ、遠慮なく」
 最初からそのつもりだったのだろう。イルーゾォはためらうことなくコタツに足を突っ込んだ。
「うお、あったかい」
「でしょ〜?」
「こ……これは想像以上にぬくぬくだなあ。すげーイイ。思ってたより全然あったかいし」
「でしょ〜?」
 間延びした声でそう言いながら、メローネは片目を開けてギアッチョのほうをちらっと見た。その意味ありげな視線を受けて、ギアッチョはムッとした表情でこれを突っぱねる。

「オレは入らねーぞ」
「あれぇ、ギアッチョ何で入らないのぉ? ギアッチョ寒がりじゃん?」
 両手もコタツの中に入れて、イルーゾォがふわふわと浮いた声を出す。同じように柔らかく餅のようになったメローネがこれに答えた。
「ギアッチョは、コタツがぬくぬくだって信用してくれないんだ」
「へぇ〜。もったいない。人生の半分は損してるな。バカじゃないのか。こんなにぬくぬくなのにな」
「ねぇ」
「ねぇ」
 コタツの天板に顎を乗せた二人は、顔を見合わせてうなずきあう。
「クソッ、ウルセーな。オレはぜってー入らねーからな」
「意地張っちゃってー」
 イルーゾォのニヤニヤと意地悪な笑みが癇に障る。やり場のないイライラを持て余したギアッチョはプイと顔をそむけ、ふとすぐそばにある丸い陶器の置物に気がついた。

「ん? なんだこれ」
「あー、それも日本の暖房器具だよ。コタツには敵わないけどにゃー」
「へー、ちゃんと普通に暖かそうなのがあるんじゃねーか」
 それは赤く燃える炭を入れた、火鉢だった。暖房の効いていない室内に耐えかねたギアッチョは、火鉢に近づいてすかさず手をかざしてみる。
「あちっ」
「気をつけてにゃー。見た目よりずっと熱いからにゃー」
「メローネ、そのしゃべり方やめねーと超低温でブチ割るぜ」
「やーん」
 メローネを牽制してみても、寒いことには変わりない。火鉢とやらに手を近づけてみても、指先がチリチリと焼けるばかりで全身の冷えはどうにもならないようだ。
「あークソ寒ィ!」
「だからこっち来てコタツ入ればいいのににゃー」
「意地張っても損するだけなのにゃー」
「コタツぬくぬくにゃー」
「にゃー」
 メローネとイルーゾォが調子に乗ってにゃーにゃー言うのを睨みつけて、ギアッチョは寒さとイライラで手足の指先を小刻みに動かした。
「クソックソッ……」
 冷気を操るスタンド使いのギアッチョは、その能力とはうらはらに寒いのが大嫌いだ。寒いとどんどん機嫌が悪くなっていく。

 部屋を見渡すと、ソルベとジェラートが隅のほうで肩を寄せ合っている。いつも定席にしているソファは撤去されてしまっているのだが、袖のついた布団のようなものを片袖ずつ通して二人羽織り状態で畳の上に座っている。雑誌を開いて、これまたいつもと同じようにクロスワードパズルに興じているようだ。
「あれはカイマキって言うんだって。本当は寝るときに使うものらしいんだけど、二人で掛けてたらあったかいからって」
「あいつらはいつもくっついてるから何でもいいんだろうぜ。あークソ、寒ぃ……」
 一人で火鉢に当たっているギアッチョは、ちっとも暖まることができない。だが、そんなギアッチョのイライラが爆発する寸前に、また誰かがリビングのドアを開けた。

「ただいまー。うおっ寒いっ!」
「兄貴ィ、リビングが様変わりしてますぜ?」
「あれ、アジトの暖房壊れてんのか? しょーがねーなあ」
 プロシュート、ペッシ、ホルマジオの三人だ。買い物に出ていたらしく、それぞれが荷物を抱えている。
「おかえりー。靴を脱いでゆっくりしていってね!」
 メローネがコタツの中から手を振る。
「何なんだよこりゃあよー」
「日本の冬を再現してみたんだにゃー」
「へぇ、日本風か。またおかしなことを始めたもんだなオメーは。ほんっとしょーがねーよなあぁ」
 壁にかかった掛け軸をしげしげと眺めながらホルマジオが苦笑する。
 プロシュートはあからさまに嫌そうな顔で、端整な眉根を寄せた。
「何だよこの薄暗い部屋は。誰に断ってこんなことしてんだァ?」
 文句は言うが、別にプロシュートは日本が嫌いだとかリビングのレイアウトにこだわりがあったというわけではない。この男はただ単に勝手なことをされるのが大嫌いなだけだ。

 メローネはコタツに頭を乗せたまま飄々とこれを受け流す。
「リゾットが良いって言ったんだよ。暖房が壊れたから、オレなりに対策をしていいかって尋ねたら、良いと言った」
「その結果がこれかよ」
「そんなことより、頼んだもの買ってきてくれたかにゃー?」
「何が「にゃ?」だよ。買ってきたぜ。野菜がやたら多かったけど、こりゃ何作るつもりだ?」
 プロシュートが首をかしげる。今日の食事当番はメローネで、買い物ついでに食材を頼まれていたのだ。
「せっかくだからあったかい日本の伝統料理を作るよ。ナベモノっていうんだ」

「そうかよ。……それにしてもォよー、さっきからオメーが入ってる、そりゃあ何だ。王様のアイデアか? 布団の霊に取り憑かれたテーブルの化け物か? それとも新手のスタンドか?」
 プロシュートはメローネが入っている、見たこともない家具を指さして尋ねた。
「これはねー、日本の伝統的な暖房器具でコタツって言うんだ」
「ふーん。あったかいのか?」
「ディ・モールト暖かい」
「OK。このオレを騙したらグレイトフル・デッドな」
 そう言うと、プロシュートは言われたとおりに靴を脱いでさっとコタツの中に入ってきた。

「さすがプロシュート兄貴、即断即決ですにゃー」
「お、本当だ。マジにぬくい」
 さっそく両手まで中に入れて、プロシュートは背中を丸めた。
「でしょ?」
「おう。マジにおそれいった。……おいペッシ、こっち来い。なかなかいいぞコレ」
「本当ですかい?」
 半信半疑で様子を窺っていたペッシが、兄貴の言うことならばと飛んできて同じように足を入れる。
「ほ、本当だ。すごいっすね兄貴ィ!」
「ほんとになー。まあ、オレくらいになると本当はコタツくらい知ってたわけなんだけどなぁー」
「マジですかい?」
「オレが知らねーことなんかないんだぜペッシペッシペッシよぉー」
「やっぱり兄貴はすげーやっ!」
「まーなー」
 淡々と言うプロシュートに、イルーゾォが眉をひそめる。
「カッコつけてんじゃねーよ、嘘つき」

「嘘じゃあねーよ。オレ日本行ったことあるもん」
 じんわりと手足を包む暖かさに心を奪われながら、プロシュートの口調が次第にふわふわしてくる。イルーゾォはますます挑発的な態度でそんなプロシュートに食って掛かった。
「へー、ならいつだよ。いつ何の目的で行ったんだよ?」
「んーとなァ……あれはいつだったかなァ……」
「ほら、嘘じゃん。バーカ」
「ええーとぉ……。そうだ。戦時中に、日独伊三国軍事同盟っつーのがあってよォー。同盟国として、ヒットラーユーゲントの代表かなんかで行ったんだ」
「……ゼッテー嘘じゃん」
「いやいや、行ったってば……多分………………んー」
 古い記憶をたどって、プロシュートは静かに目を閉じる。そのまましばらく何かを思い出そうとしていたが、やがてコタツに頭を乗せたまま小さな寝息を立て始めた。

「……何こいつ。ばかなの? 死ぬの? 主にプロシュートが死ぬよ?」
 イルーゾォが呆れてため息と毒を吐く。同じようにコタツに顎を乗せてうとうとしかけていたメローネが、億劫そうに手を伸ばしてプロシュートの頭を小突いた。
「おニーサン、寝ちゃだめだよー」
「ん……だって、あったけーんだもんよー……」
「コタツには魔物が棲んでるんだって言い伝えがあるんだ。ここに入って寝てしまうと、魔物に食われるんだって。寝たらレぬよ?」
「マジかよ。じゃあやっぱりこいつは新手のスタンド使いだなァ」
「そーかもねー」
 そんな会話を交わしながら、メローネとプロシュートはぬくぬく、うとうとしている。ペッシとイルーゾォも言葉数が少ない。

(クソッ……)
 見るからに暖かく幸せそうな四人を眺めて、ギアッチョは口をへの字に曲げた。今さらあの輪の中に入って行ける雰囲気ではなくなってしまったし、かといってここにいてもやたらと寒い。
「おいおい、こんな時間っから寝てちゃしょーがねーなあぁ」
 見ていたホルマジオが苦笑して、メローネを揺さぶった。だがなかなか出てこようとしない。

 そこへ、今度はリゾットが帰ってきた。
「ただい……………………何だこれは」
 リビングの扉を開けたリゾットは、中の様子を見て言葉を失う。
「あーリーダーおかえりー」
「お前の仕業か」
「あい」
 ゆるゆると挙手するメローネを見て、リゾットはうなずいた。
「お前が言っていた寒さ対策、というのが、これか」
「あい」
「まあ……好きにすればいい」
「リゾットは甘いぜ」
 すねたギアッチョがふてくされた声でそう言う。リゾットはちら、とギアッチョを見て、何となく事情を察した。

(仲間外れにされたのか、それとも意地になっているのか……? まあいい、いつものことか)
「それよりメローネ、今日の夕食当番はお前だろう。そろそろ準備をしたらどうだ?」
「うーん……メンドクサイヨー」
 メローネはとろんとコタツの上に溶けて、今にも崩れ落ちそうな勢いだ。ホルマジオが苦笑してその背中を小突く。
「材料は買ってきてやっただろうがよぉー。ちゃんと作れよなぁ」
「うにゅー。しょーがないなぁー」
「それはこっちのセリフだぜ。しょうがねえな」

 ホルマジオはとろとろに溶けているメローネをコタツから引きずり出し、そのままずるずるとキッチンへ持っていく。
「いやいやいやイタイイタイ寒い寒いさむい。……あ、ギアッチョ〜。空いた場所入ってて良いぜー」
 荷物のように運ばれていくメローネがコタツを指さした。
「誰が入るかよ。興味ねーな」
 ギアッチョは火鉢を抱きかかえたまま、頑なに背を向ける。それを眺めてイルーゾォが眉をひそめた。
「あーあー、ほんっとーに意地っ張りだなネコッチョはさー」
「誰がネコッチョだ。テメー、ブチ割るぞコラ」
「寒がりの白猫ッチョのくせにさぁ、意地張ってさぁ。だっせえ。素直に入れてくださいって言えばいいのにさー」
 イルーゾォは口が悪く、放っておくといくらでも悪口を言いまくる。ギアッチョはチッと舌打ちすると、タタミを蹴って立ちあがった。

「おいメローネ! 手伝ってやる!」
「ワオ、まじで?」
「立って動いてたほうがまだあったかいぜ。火も使うならもっとあったまるしな」
「ベネベネ! ギアッチョが一緒にしてくれたら失敗しないですむぜ!」
 メローネが大喜びで手を叩いた。何事にもこだわり派であるギアッチョは、料理の腕もかなりのもので、何を作らせてもうまい。ホルマジオもこれを聞いて安心したようだ。
「お、それならキッチンは任せられるな。じゃあオレも噂のコタツって奴を体験してみっかぁ」
「好きにしろよ。すぐ夕飯にするぜ」
 ギアッチョとホルマジオは右手を掲げてタッチし、メローネを乱暴に引き渡す。
「やーん」
「オラ、行くぞ。日本風のナベモノって奴、レシピくれーは用意してあんだろうなあァ?」
「うん、大丈夫。全部放りこんで煮るだけみたいだから」
「そういう簡単な奴こそ、逆にいろいろ気ぃ使うんだよ。ダシの出るもんから先に入れて、火の通りやすいのとよく煮たほうがいいのとを分けてだな、入れる順番を考えねーと全部グダグダになっちまうんだぜ」
「ギアッチョは細かいナァ」
「オメーがテキトーすぎんだよ」
 メローネを引きずりながら、ギアッチョはキッチンへ入っていく。その後ろ姿を見送って、リゾットも夕食までの時間を有効活用するべく事務所へと向かった。






 その日の夕食は、野菜を中心に魚介類などをスープで煮込んだ「ナベモノ」という料理だった。
「本来、これはコタツに乗せてみんなで囲んで食べる料理だ」とメローネは主張したが、メンバー九人が全員入るにはコタツは小さすぎる。仕方なく、いつものようにキッチンのテーブルで食べることになった。
 何でもかんでも沸騰した湯に突っ込もうとするメローネを制し、ギアッチョが自分の見立てた順番どおりに具材を投入していく。
「あ、オレこの葉っぱ食べたい」
 イルーゾォが勝手に野菜を放りこむと、ギアッチョは目くじらを立てて怒り出した。
「おいっ! そいつはサッと火を通して苦味を楽しむもんなんだぜ。先に入れる奴があっかよォ!」
「いいじゃん。食べたいんだもん」
「強い香りが全体に広がっちまうっつーの。ああもう、さっさと上げろ。クタクタに煮たら容赦しねーからなァ!」
「うるさい奴」
 イルーゾォは顔をしかめて、少ししんなりした野菜を取る。

 メローネはギアッチョの勇姿を眺めながらうっとりとスプーンを咥えた。
「ううーん、ギアッチョ頼りになるな。ディ・モールト男らしい。惚れる。オレほとんど何もしてないしな」
「ほんとだよ。ウルサイのに任せて自分は楽しちゃってさあ」
 恨みがましい顔でメローネを睨みつけて、それでもイルーゾォはそれなりにナベモノの味は気に入ったらしい。自分の好みの具をどんどん取っていく。
 そうしてわいわいといつも通りやかましい夕食が終わり、メローネ原案・ギアッチョ謹製のナベモノは好評のうちに残さず平らげられた。

「はー、食った食った。すげーあったまったなぁ」
「うまかったっすねー兄貴ィ」
「だなー」
 プロシュートとペッシはご機嫌だ。
「イルーゾォ、おめーけっこう好き嫌い多いから、ああいう料理だと嫌いなもの避けられて良かったんじゃねーの?」
「うるさいなぁ。そうだけどさ、言わなくていいじゃん」
「さり気なく嫌いなものを避ける技術はスゲーよなあぁ」
「あんまり言うなよなぁ。……イジワル」
 ホルマジオとイルーゾォも気に入ってくれたらしい。
「おいしかったねーソルベ。あっ、お野菜のかけらがついてるよ。もー、ソルベはオレがついてないとダメなんだからー」
「………………あァ」
 ソルベとジェラートは仲良く席を立つ。
「ほう……けっこう経済的なんだな」
 今日の料理にかかった食費を聞いて、リゾットが感心する。いろいろな具が入っていたように思うが、高価な食材は使っていないらしい。大所帯でなおかつあまり財布に余裕のない暗殺チームのリーダーとしては、こういう料理は大歓迎だ。

「大好評だったねーギアッチョ」
 鼻歌を歌いながら、メローネがご機嫌で洗い物を片づける。
「まーなー。これでちったぁ体もあったまったかな」
 今は体の中がぽかぽかと暖かいが、冷え切った建物の壁や床からはしんしんと冷気が漂ってくる。今のうちにベッドに飛び込んで寝てしまったほうが良さそうだ。
「じゃ、オレもう寝るわ。寒ィし」
「ブォナノッテ。せめて暖かい夢を!」
「ああ、グラッチェ」

 ポケットに手を突っ込んで、ギアッチョは廊下へ出た。
「うわ……」
 人が集まって火を使っていたキッチンはまだぬくもりがあったが、廊下は極寒だ。
(これじゃあ部屋も寒いんだろうなァ……つらいぜ)
 廊下を抜け、階段を上がって、自分の部屋の扉を開けると、やっぱりそこは冷蔵庫のように冷え切っていた。
「うー……こんなとこで寝れンのかぁ?」
 こんなことなら自宅へ帰ったほうがいいかとも思ったが、こんな日に限って車をアジトへ持ってきていない。クソ寒い夜中に歩いて帰るくらいなら、ここで一晩我慢したほうがまだマシだろうと判断する。
 さっきまで暖かかった指先はもう動きが鈍っている。不器用な手つきでスニーカーの紐をほどき、靴を放り出してベッドへ飛び込んだ。
「寒ッ!」
 案の定、ベッドはこれ以上ないほど冷え切っていた。体を丸めてがくがくと震えるが、体温を布団に奪われるばかりでちっとも暖まらない。
「クソ……ハンパじゃねえなこの寒さはよォー……。マジで『ホワイト・アルバム』出しちまうかァ?」
 ホワイト・アルバムのスーツを着れば、中はぬくぬくであたたかい。だが、そんな状態では布団が凍りついてしまうし、他の部屋からも間違いなく苦情が来る。それにギアッチョの下はリゾットの部屋だ。リーダーに迷惑をかけて叱られたくない。
「クソックソッ……こんなに寒くちゃあ寝れねーだろーが……」
 体が冷えると眠気が飛んで目が覚めるし、おまけに寒さでイライラしてくる。これでは明日の朝まで寝つけるかどうかも怪しくなってきた。

 ギアッチョはしばらくの間冷たいベッドの中でもぞもぞやっていたが、一向に暖かくならない布団に業を煮やして布団から頭を出した。
「………………………………」
 アジトの中はしんと静まり返っている。
 そっと体を起こし、転がっているスニーカーに足を突っ込んで、紐を引きずりながら廊下へ出る。階段の上にある窓から冷たい月明かりが差し込んで、冴え冴えと廊下を照らしていた。
 足音を忍ばせて、階下へと向かう。
 アジトの中は、まるで超低温で凍りついた世界のように凛として静かだ。何の物音もしない。ギアッチョのスニーカーの紐を引きずる音だけが微かに、冬の気配のように小さく空気を震わせる。
 ギアッチョは氷のように冷たいドアノブに手を掛け、リビングの扉を開けた。
 明かりのないリビングは、鎧戸の隙間から洩れる月明かりでうっすらと物の形が判別できる。見慣れないレイアウトに模様替えされたリビングに目を凝らして、突っ掛けてきたスニーカーから足を抜いた。タタミに乗ると、ひんやりとはしているものの草の弾力が感じられて少しだけ暖かいような気がした。

 ギアッチョの目が、一点を見つめる。
「………………………………」

 そこにあるのは、例の「コタツ」だ。何だかんだと冷やかされて引っ込みがつかなくなってしまったが、これがどんなものなのかはずっと気になっていた。
(確かメローネの奴、中にヒーターが入ってるとか言ってたよなァ?)
 布団をめくって中を覗いて見ると、確かにそれらしきものがついている。コードが外へと延びていて、その先にスイッチがあった。それをオンにすると、とたんにコタツの中が赤く光る。
「わっ」
 火鉢の焼けるような熱さを思い出して、ギアッチョはビクッと飛び退いた。だが恐る恐る布団をめくり上げると、中はそれほど熱くない。
「そりゃそうだ。炭みてーに熱かったら、布団が焼けて火事になっちまうよなァ……」
 一人で納得して、ギアッチョはコタツの中に頭を突っ込んだまましばらく中を観察していた。上に取り付けられたヒーターは赤々と輝き、早くも暖かさを放ち始めている。ギアッチョが知っている暖房器具というのは大抵、スイッチを入れた後しばらく経たないと暖かくならないものだが、これは早くていい。
「ま、早くてもあったかくねーと意味ねーけどなぁー」
 負け惜しみを言いながら、ギアッチョはコタツから頭を出した。もう一度辺りを見回し、誰もいないことを確認してから、そっと足を中へ入れてみる。

「何だ、たいしたことないぜ。やっぱりメローネの奴、嘘ついてたな」
 ヒーターの熱は確かに足に当たるが、それほど暖かいとは思えない。なぜかちょっぴり勝ち誇ったような表情で、ギアッチョは小さく背中を丸めて手足をコタツに入れた。自分でやってみてもやっぱりカタツムリみたいなマヌケな格好だ。こんな姿をさらしてまで入っていたいものでもない気がする。
「うー……しかしどーすっかなァー。こんなに寒くちゃ寝れないぜ……」
 もぞもぞと手足を動かし、やがて寒さに耐えられなくなったギアッチョは、思い切って体を全部コタツの中へ入れた。今度はカタツムリからカメのような姿になる。どっちにしても、ひどくマヌケだ。ロクなことがない。とはいえ寒さには勝てないし、誰も見ていないので、ひとまず今はこれで我慢することにした。
「………………ん?」
 肩まで入ると、急に体中がほかほかしてきた。ヒーターの暖まり方が早く、布団で覆ったコタツは想像以上に熱を逃がさない。首から上の寒さとのギャップで、体の暖かさがものすごく気持ち良かった。
 しばらくそうして寝転がっていると、ヒーターが体に近すぎて熱いくらいに感じる。体をよじって熱の直撃を避けると、ぬくぬくとちょうどいい温度になった。

「…………これかァ」
 プロシュートやイルーゾォが絶賛していたのはこれだったのか、とギアッチョもようやく納得がいく。これは確かにあったかい。じんわりと熱が体に染みていく心地よさは暖房装置(テルモシフォーネ)では味わえないし、体の芯までほぐすような暖かさは暖炉やたき火では得られないものだ。
 体中を包み込むぬくぬくした温度がたまらない。まるで『ホワイト・アルバム』のスーツの中のようだ。いや、『ホワイト・アルバム』は自分の体温を逃がさないだけで、こんな風に熱を発したりはしない。コタツのほうがずっと暖かい。
「メローネにそう言ってやんなきゃなあ」
 絶対に違う、と否定したが、あながち間違いでもなかったと思う。メローネの戯言に寛容になるくらい、ギアッチョはコタツの温もりにご満悦だった。

「……はぁ」
 思わずため息が漏れる。体の隅から芯までちょうどいい温度になって、ふと気がつくとギアッチョはうとうとと夢を見始めていた。
「うお……やべ…………」
 こんなところでカメのような姿のまま寝るわけにはいかない。体が温まったらすぐベッドに戻って寝てしまおうと思っているのだが、その勢いがつくほどにはコタツは熱くなかった。

 どのタイミングでコタツから出ればいいのか、日本ではこれをどのように使っているのか、そもそもメローネはこんなものをどこから手に入れてきたのか……。そんなことに思いを馳せていると、いつの間にか意識が夢の世界へとなだれ込んでいく。すんでのところでハッとして目を覚まし、寝てはいけないと思いながらも次の瞬間にはもう瞼が降りていて、少しずつ眠気が強くなってくる。意識がとろとろにとろけて、自分の体がお湯の中に溶けていくような気分だ。
「……もう、いいかぁ…………」
 だんだん、何もかもがどうでもよくなってきた。明日、誰かがリビングに入ってくる前に、起きて部屋に戻ればいい。そう心に決めると、途端に眠気が襲ってきた。
「………………んー……」
 体がぽかぽかと暖かい。まるで日だまりにいるような心地がする。目を閉じると、暖かい太陽の光が体に降り注いでいるような気がした。




 穏やかな春の日の、うららかな昼下がり。
 小さな花が一面に咲いて、蝶がひらひらと舞う野原で、ギアッチョはぬくぬくと惰眠を貪っている。
―あ、猫だ
 誰かが言った。顔を上げると、暖かい日差しの中に「ニヤニヤ笑い」だけが浮かんでいる。やがてその「ニヤニヤ笑い」から耳が生え、ヒゲが生えて、目玉がまばたきをしたかと思うとくるりと猫の形になった。
―チェシャ猫だぜ
 不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫だった。だが、チェシャはニヤニヤ笑いながら首を横に振る。
―違うよ、オレだよ。君が猫だ
 そう言われて良く見ると、それはメローネだ。
―何だ、メローネかよ。オレも猫じゃないぜ。ギアッチョだぜ
―ギアッチョ、気をつけて。コタツには魔物が棲んでるんだよ
 ニヤニヤ笑いながらメローネが言う。危機感のないその口調を鼻で笑い飛ばして、ギアッチョは猫のように体を丸めた。
―いるわけねーだろ、そんなもの
―本当だよ。本当に、魔物が棲んでるんだ。気をつけてよ。寝たら食われちゃうぜ
―嘘つけ
―本当だよ。寝たらだめだ。魔物に食われちまう……
 メローネの声が次第に遠くなる。その警告を無視して小さく体を丸めると、ギアッチョはぬくもりに身を任せて目を閉じた。






 翌朝、ガヤガヤいう声に目を覚ますと、目の前にメローネの顔があった。
「…………メローネ」
「あ、ギアッチョ起きた。こんなとこで寝てちゃダメじゃないか」
「………………ぜ?」

 ぼんやりとした頭を起こすと、いつの間にかリビングに集合していた暗殺チームが全員でギアッチョを見下ろしてニヤニヤしていた。
「ギアーッチョオオオォォ〜? やっぱりコタツに興味津々だったんだねえええええ〜?」
 イルーゾォが心の底から楽しそうな意地の悪い笑みを浮かべている。
「なっ……」
「だーかーら、昨日、素直に「入れてください」って言えば良かったのにさああぁぁ〜」
「べっ……別にここに入ってみたかったワケじゃねえし……ッ」
「ネコッチョはやっぱりコタツが好きなんだねー。日本では歌になるくらい有名な逸話だよ。猫はコタツで丸くなる〜ってね」
「クッ…………クソックソッ」

 勝ち誇った表情のイルーゾォに反論することができない。ギアッチョは悔しさで握り締めた拳をぶるぶる震わせながら、今すぐイルーゾォを殴るべきか、それともこの場をダッシュで逃げ出すべきかを考えていた。そしてとりあえずイルーゾォを殴ってから考えようと体を起こした瞬間。
「…………っくしゅッ」
 くしゃみが出た。これを見たメローネが「ワオ」と声を上げる。

「すごい。伝説は本当だった!」
「あぁ? 何が…………っくしゅ」
 おかしい。さっきからくしゃみが止まらないし、おまけに少し寒気がする。咽喉も痛い。
「コタツには魔物が棲んでるって言ったじゃないか」
「魔物って……へくしゅっ」
「コタツで眠った者は、魔物に襲われて必ず風邪を引く。これが日本に古くから伝わる伝説だよ」
「冗談じゃねー。そんな伝説……ひっ……ひっくしゅッ!」
「てかギアッチョのくしゃみって、ディ・モールトかわいらしい」
「ウルセーッ! 黙れこの……ッくしゅんっ!」
 メローネに掴みかかろうと手を伸ばして、ギアッチョはまたくしゃみをした。

「ギアッチョ」
 リゾットがコタツの前に膝をつき、ギアッチョのおでこに手を当てる。
「……少し、熱いかもしれない。きちんと熱を計ったほうがいいな」
「べ、別になんてことないぜ! こんなことでいちいち大騒ぎしてんじゃねーよっ」
「だが、もし風邪なら引き始めのうちに治してしまうほうがいい。この後はお前に任せたい仕事も多いし、それに外は寒い。体を壊して任務に失敗するようなことがあってはならないだろう」
「う…………」
 冷静に諭されて、ギアッチョは返す言葉もない。

 季節柄、寒い場所での「仕事」が多くなるのだが、そうなるとギアッチョの出番が増える。凍死に見せかけて暗殺することもできるし、『ホワイト・アルバム』を身にまとっていればどんな寒い場所での長時間の待機も可能だ。遠隔操作の『ベイビィ・フェイス』と組んで、ギアッチョの活躍の場は多い。
「今、お前に倒れられると、非常に困る」
 リゾットの無表情で真剣な顔は、チームリーダーとしての厳しさもあり、同時に父親のような優しさと庇護も感じられた。リゾットのことを敬愛しているギアッチョは、こういう顔で見つめられるともう何も言えなくなる。
「……分かったぜ。熱計って、大人しく……寝てる」
 大人しいギアッチョというのはなかなか珍しく面白い見もので、暗殺チームのメンバーはニヤニヤしながら見守っている。好奇の目に晒されながら、ギアッチョは熱と羞恥で顔を真っ赤にしてうつむいた。
 額に指を当てて、リゾットが思案する。

「やはりアジトの暖房装置(テルモシフォーネ)が壊れていてはどうにもならないな。早急に修理を手配しよう。それまでの間は……おい、メローネ」
「はーい?」
「直るまで、ギアッチョの部屋に何か暖房を入れてやれないか?」
「うーん、オレが知ってる日本の暖房って、部屋全体を暖めるものがないんだよねー。コタツとかヒバチとか。あ、ソルジェラからカイマキ奪おうか?」
 メローネの視線の先で、袖付布団(かいまき)に包まっていたジェラートがぶんぶんと首を横に振る。どうやらかなり気に入ってしまったようだ。
 両手を構えてじりじりとジェラートににじり寄るメローネを制して、ギアッチョは唇を尖らせた。
「別に平気だぜ。ずっとベッドに入ってりゃあ体温であったまるしよォ。それにまだ風邪引いたってほどじゃあねーし。ちょっと寝てりゃあすぐ治っちまうだろうぜ」
 スン、と鼻を鳴らすギアッチョを見て、リゾットはどうしたものかと考えていたが、とにかく暖房を直すしかないだろうなと思う。
「まあ、今日は仕事の予定もない。ゆっくりしていろ」
「ん」
 小さくうなずくと、ギアッチョはだるそうにリビングを出て行った。その後姿を見送って、リゾットは悲しそうに顔を歪める。

(部下の健康管理もできないようでは、リーダー失格だな……)
 アジトの設備の欠陥で部下が体調を崩すなど、リーダーとしてあってはならないことだ。とはいえ、古いアパートなので暖房設備の修理には相当金と時間が掛かりそうだし、おまけに暗殺チームの資金繰りはかなり苦しい。
(……というか、だ。アジトで寝泊りしなければ、風邪を引くようなこともないんじゃないか……?)
 メンバーは全員自宅を持っているはずで、そこならば暖房だって普通に使えるはずだ。そもそも用もないのにアジトに集まって、酒盛りやらゲームやらサッカー観戦やらに興じているほうがおかしいのではないか、ということにリゾットは気付く。
 だが、リビングを見れば楽しそうな仲間の顔がそこにある。

「だからコタツで寝たらダメだって忠告したのになぁ」
「気をつけたほうがいいなぁ。これ、マジに眠くなるしよー」
「おニーサン、寝ちゃだめだお。ほら、柿の種でも食べて眠気を覚ますんだ」
「何だこりゃ。クラッシュ・プレッツェル?」
「似たようなもんかなぁ。お米でできた日本のクラッカーだよ」
 またコタツに入ってぬくぬくしながら、メローネとプロシュートがお菓子をつまんでいる。
「ふわわあぁぁ……気持ちいい……。あ、ビデオ見たいな」
「お、イルーゾォ。またアニメか? オメーのオタク趣味はしょーがねーなあ」
「いいじゃん別にっ。てかホルマジオも見たらいいよ。日本のアニメ面白いよ」
「子供向けだろ?」
「じゃあ子供向けじゃないの見るよ。『鉄コン筋クリート』と『攻殻機動隊』どっちがいい?」
「どっちも知らねーなあぁ」
「あの、イルーゾォ。オレ、『カウボーイビバップ』っていうの見てみたいんだけど、持ってないかい?」
「お、いいとこ来るねペッシ。もちろん持ってるとも。よーし、オレのコレクション大放出しちゃうぞー。アニメ特盛りで行っちゃうぞー」

 和気藹々とくつろいでいるメンバーを見ていると、こういう時間を過ごす場所は大切だと思える。殺伐とした人生ではあるが、仲間が自然と集まれるような場所を守っていけるのはリゾットのささやかな喜びであり誇りでもあった。
(修理費用は……何とかしよう……。幹部に相談したら力を貸してくれないだろうか? いや、力というか金だけ貸してくれたらいいんだが)
 幹部に甘えるのは良くないことだが、今は非常事態だ。頼るくらいはしても許されるかもしれない。とにかく一刻も早くアジトの暖房を直す手配をしようと、リゾットはあれこれ思案を巡らせ始めた。






 その夜のこと。
「……………………くしゅっ」
 自分のくしゃみで目を覚まして、ギアッチョはぶるっと体を震わせた。
(寒ィ…………)
 冷え切った部屋で寝ていると、布団の暖かさにも限界がある。おまけに少し風邪気味なせいで、ぞくぞくと寒気までしてきた。ベッドの中で体を丸めて、もう一度眠りの中へ戻ろうと努力してみるが、手足が冷えていてなかなか寝付けない。
(あー……クソ……)
 今は何時だろう。静まり返ったアジトの様子だと、もう真夜中だろうか。夕飯のときに一度キッチンに下りたが、その後また寝ていたので時間の経過が分からない。

「…………はぁ」
 ため息が白くなり、夜の部屋にふわりと立ちのぼって消えた。
(ぬくぬくしたいぜ……)
 暖房が入っていたときにはそれほど感じなかったのだが、こうも寒いとやりきれない。昨日コタツに入ったときのとろけるような温もりと心地良さを思い出して、ギアッチョは眉根を寄せた。
 指先を包み込んで息を吹きかけても、少しも暖まらない。自分の頬に手を当てると、哀れなほどにひんやりと冷えていた。

「……………………」
 無言で起き上がり、辺りの様子を窺う。他の部屋からは物音ひとつ聞こえてこない。思い切ってベッドを抜け出すと、ギアッチョは静かな廊下を抜けて階段を下りていった。
 向かう先はもちろん、リビングだ。
(少しは体をあっためねーと、寝ることもできねー)
 自分に言い訳をしながら、いそいそとリビングの扉を開ける。すでに人が活動していた温もりは消え失せて、部屋はすっかり冷え切っていた。真っ直ぐコタツへ向かい、スイッチを入れる。
「…………すげェ」
 待たされることなく、すぐさま暖かい光を放つところが嬉しい。手足を中に入れて座ってみたが、部屋が寒いので耐えられそうにない。すぐに体を全部中に入れてしまった。

「……ふぁ」
 コタツの中の狭い空間は、少し我慢をしているともう適温になっている。じわじわと暖まっていく気持ちよさに息を漏らして、ギアッチョはとろりととろけるまぶたをこじ開けた。体を温めたらすぐに戻ろう、と考えていたのだが、これでは到底無理だ。
(このまま寝ちまったら、もっと風邪悪化するかなァ……。けど何であったけーのに風邪引くんだ? 普通は体をあっためてたら風邪なんか引かねーもんだろーが。オレは全然納得いかねーぞ。……けどよォー、風邪はともかくとしてだ。夜中にどーしてもコタツに入りたくて戻ってきちまうとか、本当にコイツには魔物が棲んでるのかも知れねーぞ。もしくは麻薬か……)
 あまりの気持ち良さにやめられなくなってしまうところは、麻薬に似ている。中毒性のある暖房器具など聞いたこともないが、これはその魔力を持った恐るべきアイテムなのかも知れない。
「やっぱり日本製品はこえーなァ……」
 使い始めたら止められないのが日本の製品。ハマったら止められないのが日本のアニメ。日本というところは、人間を虜にする魅力と魔力があるようだ。

 そんなことをぼんやり考えていると、暗闇に慣れたギアッチョの目にある物が映った。袖の付いた妙な布団だ。確か今日もソルベとジェラートが包まっていたはずだが、リビングに置いていったらしい。
「そうだ。きっと昨日は、寝返り打ってコタツからはみ出したりしたんだぜ。だから風邪引いたんだ。ちゃんとあったかくすりゃー風邪なんか引くわけねーんだからよォー」
 そういうことなら納得が行く。ギアッチョはジェラートが置いていった袖付き布団を持ってくると、それをコタツの上から重ねて掛けた。
「これならはみ出しても大丈夫だぜ。自分のベッドで寝るよりあったけーしよー」
 中に入ると、コタツの暖かさと布団の重さが心地いい。暖まった体はすぐに眠気を催し、ギアッチョの意識はゆるゆると解けるように眠りに落ちていく。

(明日は……他の奴らに見つかる前に……戻らねーとなァ…………)
 この恰好を見つかったら、今朝よりもっと恥ずかしいことになるだろう。二日連続でコタツに入って寝ているとか、布団を重ね掛けまでしているとか、笑われる要素はいくらでもある。けれども、「どうやったら他の奴らより早く起きられるのか?」なんていう具体的な策を講じるだけの理性はもう残っていない。うとうとした心地良さに身も心も任せて、ギアッチョは小さな寝息を立て始めた。

「…………………………」
 ふいに、音もなくリビングの扉が開いた。
 黒い大きな影が滑るように中に入ってくる。足音も気配もなく近づき、コタツで寝ているギアッチョを上からじっと眺めている。

 リゾットだった。

「また、ここで寝ているのか」
「…………ん……」
 声を掛けられても目を覚まさない。無防備な寝姿を晒しているギアッチョを見下ろして、リゾットはかすかに眉根を寄せた。
(寒さに耐えられなかったのか。それにしてもこれしきのことで風邪を引くなどと、体が弱っている証拠だな)
 自覚はなくとも、体が弱っているときはささいなことで体調が崩れる。コタツで寝たから風邪を引いたのではなく、すでに侵入していた風邪の菌がこれをきっかけに表面化したのだとリゾットは考えていた。

「布団を掛けても、風邪を引くんだぞ。ギアッチョ」
「……………………」
 メローネが言っていた「コタツで寝ると風邪を引く」というのが気になって、リゾットは昼間すぐにその理由について調べてみた。どうやら体が必要以上に暖まりすぎることによって汗をかき、体温調節がうまくできなくなるのが原因らしい。それに水分を失った体は乾燥して、風邪の菌が侵入しやすくなる。
(しかし、ベッドで寝ろと言うわけにもいかないしな……)
 何しろこの寒さだ。元から寒がりのギアッチョには辛いだろうし、追い返したところで何の解決にもなっていない。

「仕方ない」
 リゾットはため息を吐き、ギアッチョの体をコタツの中から引きずり出した。
「んー……」
(まだ起きないのか。よほど弱っているんだな……)
 コタツでよく暖まったギアッチョの体を抱き上げて、リゾットは立ち上がる。リゾットより十歳近く年下のギアッチョは、こうしてみるとまだまだ子供だ。ギアッチョは元々小柄なほうだし、リゾットは人並みより体が大きい。
 腕に感じる、暖かくて小さな体の重みが心許(こころもと)ない。普段は誰よりも気が強く、誰よりも熱く戦いに臨むギアッチョなのに、無心に眠る姿を見ていると守ってやりたい衝動に駆られる。庇護欲、という奴だろうか。
(まぁ……こいつは守られたいなんて思ってもいないだろうがな)

 リビングを出て、階段を上る。リゾットはそのまま自分の部屋に入っていった。リゾットの部屋は物が少なく、閑散としている。その中央に置いてある大きめのベッドにギアッチョを降ろした。
「……………………ぅ」
 暖かい腕の中から冷たいベッドの上に降ろされて、ギアッチョが顔をしかめる。だがリゾットが布団の中に入っていくと、すぐにしがみついてきた。目は覚ましていないようなので、これも無意識の行動だろう。
「……本当にお前は、寒がりなんだな」
 冷気を発するスタンド使いのくせに、いつも口癖のように「寒いのは嫌いだ」と言っている。ギアッチョの無意識の底には、ひょっとしたら温もりへの憧れがあるのかも知れない。

 幼子のようにすがり寄ってくるギアッチョの体を抱きしめて、リゾットはできる限り自分の体温がギアッチョに伝わるように肌を寄せた。
「ん…………」
 そうしていると、ギアッチョの表情が次第に緩んで穏やかになってくる。人の体温は眠るのにちょうどいい温度で、これならギアッチョも寒がったり余計な汗をかいたりせずにゆっくり眠れるだろう。

(しかし……気持ちがいいものだな…………)
 ベッドの中がギアッチョ一人分、いつもより余計に暖かい。ギアッチョを暖めてやっているつもりだったが、一緒にいるリゾットもまたその体温の恩恵を受けてふわりと優しいぬくもりに包まれていた。
 体が温まると、自然と眠くなってくる。ギアッチョを抱きしめたまま、リゾットは心地良い眠りにうとうとと落ちていった。






 ……その後。
「うー、寒いぜ。……リゾットぉ。一緒に寝ようぜー」
 事務室で仕事をしていたリゾットのところに来て、ギアッチョは悪びれもせずそう言った。
「またか。まあ構わないが……」
「なーなー。仕事はもうおしまいにしねーかぁ? 今日も寒いしよォ。早く寝ようぜー。一人で寝るのは寒いから嫌だぜ」
「そうだな、そうするか」
 うなずいて、リゾットはパソコンを落とす準備を始める。

 すっかりぬくぬくに味を占めたギアッチョは、毎晩リゾットのベッドで寝る癖がついてしまった。幹部が設備費を支給してくれたので暖房は無事修理することができたのだが、そんなことはもう関係ないらしい。ギアッチョは毎晩こうしてリゾットを迎えに来るようになっていた。
 プロシュートなどは「寒くて一人で寝れねーなんて、とんだマンモーニだ」とお気に召さない様子だったが、ギアッチョは意に介しない。
 ギアッチョは自分がいいと判断したなら、誰に何を言われようとも断固貫き通す。そういう奴だ。

(男らしいのだか、そうでないのだか……おかしな奴だな)
 大人しく待っているギアッチョを見て、リゾットは顔色は変えずに心の中で少し笑った。
 とはいえ、リゾットもギアッチョと一緒に寝るのは嫌いではない。むしろとても幸せな気持ちになる。
 誰かと一緒に寝るのがこんなに心地いいものだということを、リゾットはすっかり忘れていた。子供の頃はよく親戚の子と一緒に寝ていて、そのときに感じた嬉しさや温もりを久し振りに思い出すことができた。あの頃の幸福だった記憶が蘇ってくるのもまた、この心地良さの理由のひとつかもしれない。

「さ、寝るか」
「おう」
 当然のような顔をしてついて来るギアッチョは、プロシュートが言うようなママッ子野郎(マンモーニ)には思えない。
(むしろ、一番暖かい場所を知っている……猫だな)
 猫はその家で一番居心地のいい場所を知っているという。誰に気兼ねすることなく、自分のしたいように自由に振舞うところも猫のようだ。

 寒がりで、あまり人になつかない猫。
 その猫が、今夜も自分のベッドに入ってくる。

(……悪くない)
 リゾットはそう思い、唇の端をかすかに上げて微笑んだ。

 今夜もゆっくり眠れそうだ。





【END】




2011年1月23日発行「リゾットとギアッチョのぬくぬく本」より再録。リゾギアばんざい\(^o^)/ この二人はカップリングでも親子でもなんでもいいからペアだと嬉しいビターミルクです! 大きくて大人しい白と黒の生き物が、小さくて元気でちょっぴり寂しがりや名寂しがり屋の白い生き物と一緒にぬくぬくしているのはディモールト(・∀・)イイ!!
By明日狩り  2011/01/23