朝、目が覚めて真っ先に思い浮かぶ。


 君のこと……










メルティング・モーニング













 目覚めの悪いイルーゾォが、珍しくすっきりとした気分で朝を迎えた。
 いつもなら、止めては鳴る目覚まし時計を何度も叩き、最悪に不機嫌な気持ちで無理やり布団から這いずり出すのが常だ。
 けれどこの朝だけは、違っていた。

「…………ふわぁ」

 ベッドの中で小さくあくびをして、イルーゾォは明るい天井の色をじっと眺めた。クリーニングなどしたこともない薄いカーテンは、朝の光を受けてまるで洗いたてのようにきらきらと輝いている。

(きれいな水の底からそっと掬い上げられた、小魚……みたいな、気持ちだ)

 頭の中の眠気も汚れも、すべて夢の中に置いてきたらしい。

「おはよー」

 誰に言うともなく、呟いてみる。こんなに爽やかな、奇跡みたいな朝なら、誰かしら返事をしてくれるような気がしたのだ。けれどやっぱり、一人暮らしの部屋には「おはよう」と返してくれる人はいない。

 せっかくの朝なのに、少しだけ寂しい。

(……………よし!)

 イルーゾォは思い切ってベッドから飛び起きると、すばやく顔を洗いに走った。
 顔を洗って、丁寧に歯を磨いて。
 自慢の黒髪を梳いて、いつものように分けて結ぶ。

 お腹は空いたけれど、今は我慢して、誰かと一緒に朝ご飯を食べたい。
 キッチンのテーブルに乗っていた飲みかけのペリエのびんをぐっと飲み干して空にする。炭酸の抜け切ったぬるいペリエは、それでも朝の気合いを補給するには十分だ。

 パジャマを脱いで。
 服を選んで。

(どーせオレなんか、別にオシャレじゃないけど)

 プロシュートやホルマジオのようなオシャレさんがそばにいるせいで、余計に劣等感がつのる。でもこんな日は自分が気持ちよくなるためだけの服を、選んで合わせて、自分に着せてあげる。

 ついこの間まで、寒くて暖房が手放せなかったけれど、今朝はようやくあったかくなってきた。そのままの朝の空気に裸をさらして、気持ちがいい。

「春だなぁ」

 春らしさを取り入れる、なんて聞くけれど、どうやったらそうなるのか見当がつかない。だから自分なりに精いっぱいの春らしさを表現してみる。

 いつもの服に、マーブルピンクの薄いストール。さり気なく首に巻くなんてキザなまねは恥ずかしくてできそうにないから、せめて腰に巻いてみる。どうせ誰も見やしないけど、自分だけの小さな春色。


「いってきまーす」

 いつもはそんなこと言わないのに、家を出るときに口に出して言ってみた。

 アパートの庭先に咲いた花を見つけて、もう一度「春だなぁ」と言ってみる。言葉にするとじわじわと実感が染みてきて、もっと春が来るような気がした。

 ふと、思いついて。

 薄桃色の小さな花を摘んで、髪に挿してみた。

(ばかみたいだ)

 まるで女の子みたいに、髪に花を飾る。髪も長いし、体も細いし、「後姿だけみると女と見間違う」と言われるのがいつも嫌だけど、自分でこんな風に遊ぶのは別のことだ。

(ばかみたいで、面白い)

 浮かれているのが自分でわかる。その、春に浮かれた自分が滑稽で、イルーゾォは小さく笑みを漏らした。

「ふふ」

 自分にだって、たまにはこんな日があってもいい。

 闇に暗躍する暗殺チームで、人を殺して、誰かの不幸を食らって生き延びて。
 鏡の中で孤独を抱いて。
 そういう自分にだって、一年に一日くらいでいい。春に浮かれる日があったっていいじゃないか。




「おはよ!」

 アジトの前で、ばったりホルマジオに会った。

「おう、イルーゾォ。珍しく早いな」

 徹底的に夜型のイルーゾォが午前中にアジトに来るのは珍しい。ましてやこんなに早く会うことなんてめったにないので、ホルマジオは驚いた顔に笑みを浮かべた。
 それを見て、イルーゾォがいぶかしげに眉根を寄せる。

「何、笑ってんの」
「いや、オメーがこんな時間に来るなんて、珍しいなってさ」
「珍しくて悪かったな」
「悪いなんて言ってねーよ。………ん?」

 ホルマジオが手を差し伸べる。

「花ついてんぞ。どこでひっつけた?」
「え?」

 胸がぎゅっとする。

(おかしいよ)

 誰かが心の中でぽつりとささやいた。それだけでイルーゾォの胸は、氷をかぶったように急に冷える。

(変なの。花なんかついてる。みっともない)

「あっ、やだな。花なんかついてる?」
「ついてるぜ。白いの」

「取って! 取ってよ! もう、おかしいなぁ。どこでくっついたのかな。ウチのアパートの出入り口にさ、木が生えてるんだ。きっとそこでくっついちゃったんだよもう。みっともないな。早く取ってよ! 早く!」

 真っ赤になった顔を伏せて、イルーゾォは叫ぶように言う。

 急に、浮かれた自分がひどく情けなく思えた。
 恥ずかしくて。
 みっともなくて。

(ぜんぜん、にあわないよ。こんなの)

 また、誰かがささやく。
 胸が潰れそうに痛む。

「取ってってば!」
「けどよォー」
「みっともないじゃん! 早く取ってよこんなの!」

 妙に真剣なイルーゾォの悲鳴を聞いて、ホルマジオは心の中で小さく苦笑した。

(そんなに必死になんなくてもいいのによォ)

「いいんじゃねーの? せっかく取っついてんだしよォ」
「やだ! 花なんか付いてたら変だもん!」
「かわいいぜ」
「うそだ!」

 髪の毛をかき乱そうとするイルーゾォの手を取って、止めさせる。ついでに後ろからぎゅっと抱きしめて、子供をあやすように左右に揺さぶった。

「いいじゃん。春らしくてよ」
「浮かれんなよな」
「春だからいーじゃねーか。お花見させてくれよ。イルーゾォでよ」
「人のことお花見スポットみたいに言うなよな!」

(いやだ、もう。うそばっかりだ)

 言葉を発すれば発するほどほど、本当の気持ちと違っていく。春らしくて、浮かれてて、今日はそういう自分でいいと思っていたはずなのに、どうしてこうなってしまうのだろう。

「あー春だなぁ」
「春とかどーでもいいし。早く花取ってよ。みっともない」
「これはこのまんまでいいんだよ」
「よくない。恥ずかしいし。全然似合わないし」

 とげのような言葉を積み重ねていくイルーゾォを抱きしめて、ホルマジオは苦笑する。

 髪に花挿して、いつもはしないピンク色のストールを腰に巻いたりして、イルーゾォは間違いなく春を楽しんでいたはずなのだ。ついさっきまでは。

(せっかく楽しい気分だったのに、我に返っちゃったんだな。かわいそうになぁ。ったく、オメーは手間がかかるぜ。しょーがねーなあぁー)

「今日は一日、オメーはオレ専用の花見スポットな」
「ふざけんな! 誰が!」
「いいのいいの。オメーは今日はオレのそばにずっといて、オレの花見に一役買ってくれよな」

「いやだね」
「だめだぜ」

 ホルマジオはイルーゾォの手を取って、アジトの下のリストランテに引っ張っていく。

「ほら、行くぜイルーゾォ。朝飯まだだろ?」
「まだだけどさ。その前に、花! 取って!」
「イルーゾォの花を見ながら、朝飯食おうぜ。オツなもんだな」
「だから!」

 文句ばかり並べ立てるくせに、イルーゾォはもう自分で花をむしろうとはしない。泣きそうな顔は心底ほっとした顔をしていて、目を見ればイルーゾォの本音が映っている。

『おはな、にあってる?』

「おー、似合ってるぜイルーゾォ」
「聞いてないし!」
「かわいいぜー」
「うそだ! ホルマジオはうそばっかりだ!」
「うそじゃねーよ。しょーがねーなあぁ」

 イルーゾォの悲鳴も、声だけ聞けば春の小鳥のさえずりに似ている。一生懸命鳴いている、花を挿した小鳥。春色の薄いストールを腰にひらめかせて、羽ばたくようにホルマジオの後ろをついてくる。

「そのピンクのひらひらも、春みてーだしな」
「うるさい!」

 春の小鳥を従えて、ホルマジオは上機嫌でリストランテの扉を押した。


 春に浮かれた、そんな朝のこと。



【END】




春に浮かれてホルイルを書いてみました。ぎゃーっハズカチイーッ! うちのイルたそは根っからの乙女で、ホルマジオまじ王子で、ツンデレ上等で、BLテンプレ何するものぞです。恥ずかしすぎて軽く死ねる。でもそんな分かりやすいホルイルが大好き!
テーマは初音ミクの曲「メルト」です。あれ聞くと私の中のイルたそがうずうずするのです。「メルト」でイルーゾォが10本くらい書けます。すでに手ブロに1本出してますが、他にもいろいろ「メルトでイルーゾォ」は書いてないネタがいっぱいあります。どんだけメルトなのイルたそ。メールト♪
それにしても私、ホルイル好きだな。ポジティブ人気者×ネガティブ日蔭者のカップルさいこー。
 By明日狩り  2011/03/30