殺人事例
〜マーダーケース〜


ペッシの場合










「ペッシ! 後ろに回り込めッ!」
 プロシュートの怒声が夜の雨に混じって聞こえた。ペッシは動揺して震えながら、力の入らない足を無理矢理動かして走り出す。

「ペッシ! ペーーーーーーッシ!」
「へい兄貴ッ! ここにいまさぁ!」
「よし、そいつを止めとけ!」

 路地から抜け出そうとする男の影を見つけて、ペッシはその前に立ちふさがった。
「逃がさないぞ!」
「チッ!」

 血走った目でペッシを睨みつけ、男は手に持っていたナイフを構えた。血の付いたナイフが視界に入った途端、ペッシの心に怯えが膨れあがる。
「どけえええええ! 死ねやああああああ!」
「ひいいいぃ〜〜〜〜っ」

 男の気迫に圧倒されて、ペッシは思わずその場にしゃがみ込んでしまった。戦意を失ったペッシの背中を踏みつけ、男は路地から大通りへと躍り出る。

「何やってんだペッシ!」
「あ、あ、兄貴ィ〜〜〜〜」
「クソッ、こんなときにへたれてんじゃねえぞこのママッ子野郎(マンモーニ)が!」
 プロシュートはうずくまるペッシをひとっ飛びに跳び越え、逃げた男の後を追って走って行った。

「逃がすかよッ!」
「チイッ!」

 プロシュートと男の争う声が、夜の雨の音に紛れて遠くに聞こえる。そして二発の銃声と共に、断末魔の悲鳴が闇夜を切り裂いて響いた。
「ぎゃああああ〜〜〜〜〜〜〜!」

 男の声だ。プロシュートが勝ったらしい。


「あ、兄貴ぃ…………」
 雨の中、ぺたんと道路にへたり込んで、ペッシは兄貴が戻ってくるのを待った。今夜もうまくやれなかった。兄貴はきっとひどく怒って自分を殴るだろう。

(うぅ……せめてオレも武器を持ってたら……そうしたらきっと違ったのに……)
 最後にビビッたのは、敵がナイフを持っていたからだ。もし自分も何か武器を持っていたら、怯えずに立ち向かうことができたのに、とペッシは思う。だが、暗殺チームの中でペッシはまだ「人殺し」を許されていない。銃やナイフを持たずに、自分のスタンド能力と度胸と知恵で敵を追い詰める。それが今のペッシに与えられた課題だ。
「オレはなんで、人を殺しちゃいけねえんだろう……暗殺チームなのに……」

 雨に打たれながら、ペッシは肩を落とした。
 早く、みんなの役に立ちたかった。


* * * * * * *


「リーダー、折り入って相談があるんですが……」

 アジトの事務室で情報を集めていると、ペッシが入ってきた。
 どこか怯えたような態度で背中を丸め、視線がせわしなく泳いでいる。オレは上から下までまじまじとペッシを見つめ、静かにこう命じた。

「背筋を伸ばせ。怯えた顔は止めろ。相手に舐められる」
「す……すいません……」
「かまわない。お前を叱りたいわけじゃない。ただその都度、指導してやるだけだ」
「すいません……」

 ペッシは背筋を伸ばしたが、やっぱり上目遣いでオレを見る。オレより少し背が高く、しかもオレは椅子に座っているというのに、ペッシは下から覗き込むような目でオレを窺っている。

 ペッシのこういう態度は今に始まったことじゃない。ペッシの教育はすべてプロシュートに任せてあるが、オレも気づいた事があれば助言したり指導したりする。だがペッシは暗殺チームのリーダーであるオレに何か言われると、必要以上に畏怖して縮み上がるからあまり言い過ぎるのは良くない。

「座れ」
「は、はい……」
 ペッシが一人でオレのところへ来るのは珍しい。オレは大きな体を縮めてソファに腰掛けるペッシの様子をじっと観察した。オレの視線に何かを感じたのか、ペッシは窺うようにオレに尋ねる。

「あ、あの、何か……?」
「いや。用があるのはお前の方だろう」
「ああ、そうです。ええと……その……」
「簡潔に話せ」

 他に言い方があるのかもしれないが、ペッシを前にするとどうしても言葉が短くなる。他のメンバーと比べても力の足りないペッシを早く育てたいという焦りか、プロシュートに任せたはずのペッシにオレが余計なことを言って混乱させるのを懸念しているのか。それがいっそうペッシを怯えさせていることは自覚しているが、どうもうまく扱えない。

 オレの沈黙を圧力と捉えたのか、ペッシは目を泳がせながら必死で言葉を選んでいる。元々あまり言葉が巧みでないペッシに「簡潔に話せ」というのは少々酷な言い方だったか、と心密かに反省していると、ペッシがようやく口を開いた。

「人殺しがしてえんです」

「なんだそれは。興味本位か? 暗殺チームで不必要な殺人など最も許されないことだ」
 ペッシの意外な言葉に、瞬間、怒りが湧いた。オレは自分でも驚くほど強い口調で、半ば叱咤するように吐き捨てた。

「あ、いや、そうじゃなくて……」
「ならば、何だ。恨みか? 殺したいほど憎い相手がいるのか?」
「いや、その……ええと、チクショウ。やっぱりうまく言えねえや。オレは口下手だから……あの、リーダー、違うんです」
「……………………」

 おろおろと言葉を探すペッシを見て、オレは先走りすぎたことを後悔した。脅すつもりはなかったんだが、ペッシには思いがけない言葉や行動で衝動的に反応してしまうことがままある。

(オレはペッシを相手にすると、やけに反省することが多いな……)
 だが、ペッシはそんなオレの心中など知るはずがない。黙って怖い顔をしているリーダーにどう言い訳すればいいか、懸命に頭を働かせている。

「あの、簡潔に話せないんで……オレ、言葉が苦手で……」
「…………………………」
「す、すいません。やめたほうがいいですかい?」
「最後まで話せ。お前の言葉でいい」
「あ、はい……」

 ペッシは泣きそうな顔をして鼻をすすり上げた。きっともうこの場に来たことを後悔しているだろう。それでもペッシにしては珍しく、逃げ出さずに腰を落ち着けてまだ何かを伝えようと粘っている。オレはこれ以上怯えさせないように、余計な口を挟まないでペッシの言葉を待った。

「あの、殺しがしてえってのはつまり……オレも暗殺チームになりてえんです」
「……………………」
「あ、いや、暗殺チームには入ってる。認められてるってのは分かってるんでさ。兄貴もオレを育ててくれるし、他のみんなだってオレのこと仲間として認めてくれてる。もちろん仕事なんか全然できねえし、人殺しだってしたことがねえんですけど」

「……………………」
 言いたいことはたくさんある。が、ここで俺が何かを言えばまたペッシを惑わせるだけだろう。辛抱強く、黙って話を聞く。

「あの、オレ、このチームにいるべきじゃあないんですかね?」
「お前次第だ」
「でも、オレは足を引っ張ってばかりで……」

「最初からうまくできる奴はいない。お前はメンバーの一人として、見習いの最中だ」
「そうですか……。ならいいや。オレはちょっと自信がなかったんだ。ここにいてもいいのかって。兄貴に聞いたら蹴られるだけだし、リーダーにそう言ってもらえたら安心だ」

「……………………」
 安心するな、と言いたいところだが、話がこじれるだけなので止めておく。ペッシをチームに置くことは了承済みだし、その点については安心して構わない。だがペッシの「安心だ」と言う顔がいかにも呑気に見えてしまい、「安心するな」と戒めたくなる。だがそれを言ってはいけない。

「あの、それで、オレがまだこのチームにいていいっていうの前提で、なんですけどね」
「……………………」
 話はこれだけではないらしい。オレはまた口を閉ざし、ペッシの話を聞くことだけに集中する。

「暗殺チームってのは、要らない人間を始末する掃除屋だ。人殺しをして生きてる。オレはそこに入れてもらって、いつか人殺しで生きてくために今は勉強さしてもらってます」

「……………………」

 要らない人間などいない。標的(ターゲツト)はゴミではないから、我々は掃除屋でもない。組織にとって都合の悪い人間に消えてもらう仕事を、そういう言葉で表現されるのは違和感がある。人殺しで生きていく、という表現も、自分の生き方や信念には反するところがある。
 だが、それらをいちいち訂正していては話が進まないし、それにこんなことの言い回しを訂正させたところでオレの罪の重さは変わらない。オレ自身のつまらないプライドが、ペッシを否定することで満たされようとしている。ひどい欺瞞だ。オレは口と、それからオレ自身の醜い心を固く閉ざした。

「リーダーも兄貴も、オレが一人前になるまでは人殺しはしないほうがいい、って言います。人の命を奪うなら、それなりの技術と度胸を身につけなくちゃいけない。そうでないと、人の命を奪う資格も権利もないんだって。だからオレは任務についていっても、銃を撃ったりナイフでとどめを刺したりさせてもらえない」
「それが、プロシュートの決めた教育だ。お前はその指示通りに鍛練を積めば良い」
「そうなんです。でも……それでいいのかなって」
「それでいい。お前が口を挟むことじゃない」

「そうです。分かってまさあ。けど……オレだけ人殺しをしたことがない、ってのが、何だかすげぇ罪深いことみたいに思えてきて……」

 ペッシは両手を組んで肩をすくめた。まるで教会の神父に告解する哀れな信者のようだが、「殺しをしないことが罪深い」なんて懺悔は聞いたことがない。

「……………………」
「このチームにいたら、仲間のために仕事するとか、頑張って仕事するってことは、つまり人殺しをするってことだ。オレとそんなに年が違わないギアッチョだって、オレよりずっと小さいときから暗殺をしてるって言ってました。イルーゾォも口では言わねえけど、本当は人殺しが怖くて、命を粗末にするのが嫌いなんだと思う。そういう恐怖とか嫌悪感とかを振り払って、与えられた任務を全うしてる。それなのにオレだけ殺しをしてないってのが、甘やかされてるっていうか、こんなんでいいのかなって思って。オレも早く人殺しをしねーと、一人だけ仲間はずれじゃねーですけど、みんなの苦労を一緒に分かち合ってねーように思うんです……」

「…………………………」

 なぜ、ペッシの言葉はこんなに違和感に満ちているのだろう。オレはペッシの言葉にことごとく反論したい衝動に駆られた。だが言葉を遮り、飲み込んで、自分がなぜそうしたくなるのかを己に問いかける。そしてその衝動の正体が「自己弁護」であることに気付く。

 ペッシと対話していると、オレは自分の中の弱さや醜さを暴き出される。反論したいということは、そう言われることを拒否したいということだ。別の言葉で表現されたい。ニュアンスの異なる言い方をして欲しい。本音を誤解されたくない。そういう自己弁護がペッシへの反論の原因であり、つまりペッシの言葉はオレの弱点を的確に突いてきているということになる。

「…………………………」

 オレは口を閉ざし、己の心を掘り下げる。
 このチームで使命を全うするということは、組織から命じられた人間の命を奪うことだ。それはペッシの言う通りで、ごまかしも隠しもできはしない。オレたちは人殺しだ。ただしオレは、オレの仲間が『楽しみのために』仕事をすることを許さない。殺人行為そのものに快楽を感じるような人間は、このチームには置かない。それがオレの考えであり、仲間たちもこれをよく理解してくれている。オレたちが暗殺を生業とすることの意味を、罪と赦しを、共有できなければチームとしてはやっていけない。

 ペッシにはまだその理解が浅いように思う。ペッシはただ「みんなの役に立ちたい」という、いわば子供が親の手伝いをして誉められたいというような、自己顕示欲に類する幼くて素直な願望を持っている。それではまだ、任務を任せることはできない。

 オレが考え込んでいるのを見て、ペッシがどんどん不安そうな顔になる。沈黙は圧力になり、要らぬ誤解を招く。オレは仕方なく口を開いた。

「ギアッチョは」
「ええ」
「あいつは、オレが拾ってきた。行くところもなく、強すぎる才能(スタンド)がまっとうに生きる道を閉ざしていた。オレはあいつが別の道を選ぶならそれを支援してやっても良かったんだが……あいつ自身が、この人生を選んだ」

「そりゃあギアッチョは強えーですからね。気性も荒いし、暗殺者になった方が向いてるっていうか、きっと良かったんだと思いますぜ」
 無邪気に言うペッシに、オレもうなずいてみせる。オレはこのチームを率いている以上、部下の人生には責任を持っている。あいつらがこのチームに所属することが最良の選択だったと思えなければ、オレはオレを許せない。

 だが、このチームに入ってきたときギアッチョはまだ十三歳だった。人を殺した経験もなかった。そんな子供がすぐさま殺しに手を染め、みるみるうちに暗殺の技術を身につけていくのは悲しかった。こんな仕事で、こんな人生で、他人を哀れむような資格はオレにはないのだが、それでもオレはギアッチョを見ていると悲しかった。それがギアッチョの覚悟に対して失礼なことだと分かっていてるから、決して口に出すことはないが。

 けれど、ギアッチョはまだましだ。あいつは物事を理論的に割り切る思考の持ち主で、自分の罪についても無駄に悩んだりしない。だから罪のない子供に殺人を教えたオレの罪悪感も、少しは軽くなる。

 だがギアッチョと違い、イルーゾォはもっと根深い闇を抱えている。

「イルーゾォは…………確かにあいつは殺しには向いていない」
「そう……ですよねぇ……」
「だが、そうすることでしか生きられなかった。あいつはオレたちとは違う世界を見ている。人間の闇、死者の声、自然の叫び、運命の轟き、そういうものと常に交わり、心を削られながら生きている。とても……生き辛い」
「だから、なんでこんな辛い仕事してるんだろうって、見てて何だかこっちまで辛くなるときがあるんでさ。それを手伝ったりできねえ自分の弱さも未熟さも、すげー情けなく感じて……」

 ペッシはそう言って涙ぐんだ。ペッシの気持ちはよく分かる。

「イルーゾォにとっては、おそらくどんな人間関係も、どんな仕事も、辛いことに違いない。幼い頃からジプシーとしてヨーロッパ中を旅して回り、生きる方法はいくらでも見てきたはずだ。それでも、イルーゾォの居場所はここにしかなかった。だからオレはあいつがここに居場所を得ようと努力するなら、惜しまず力を貸してやりたいと思っている」

 イルーゾォはこの『組織(パツシヨーネ)』の中でもうまくやることができず、チームをたらい回しにされて最後にここに流れ着いた。オレたちがあいつを受け入れたことを恩義に感じているんだろう。イルーゾォは「殺人」という仕事に必要以上に真剣に取り組んだ。スタンド能力に飛び道具を併せて使えば手を汚さずに標的(ターゲツト)を葬ることも可能なのに、それでは敵の命に対して失礼だと言って、イルーゾォは敢えて肉弾戦を選んでいる。自らのスタンドで殴る、蹴る、締め上げる、ナイフで肉を切り裂く、臓物を突く。自らの手が敵の血で染まらなければ、相手の命を奪う資格はないのだとイルーゾォは言う。それがあいつなりのけじめのつけ方らしい。その殺害方法のせいで心に傷を負っても、イルーゾォは信念を捨てない。

「イルーゾォには、イルーゾォなりの考えがある。それはお前が気を遣うものでもないし、お前はイルーゾォのように血を被る必要もない。お前には、お前のやり方がある。それを今、お前に探させている」
「そうですか……。でもなぁ。やっぱりオレ、自分だけ楽してるのが許せねーんですよ……」
 ペッシはそう言ってため息を吐いた。

(浅はかだが、仲間を思う気持ちは確かだ。そして、純粋でもある……)

 オレはペッシをじっと見つめた。まだ殺しをしたことのない、ペッシの手。殺戮を知らないその手を見ていると、脳裏にあの日の思い出がよみがえってきた。
 プロシュートがペッシを仲間にしたい、と言った日のことを。


* * * * * * *


 プロシュートが珍しく、オレに頭を下げた。

「チームに入れたい奴が一人いる。ペッシっていって、まだ子供だ。そいつはきっと、チームに迷惑を掛けることになる。いらねえ問題も増やすことになる。でも、あんたに許可して欲しい。面倒はオレが全部見るつもりだが、フォローしきれない部分はどうしてもあんたに迷惑を掛けるだろう。それを承知で、許可してくれ。リゾット、頼む」
「………………」

 プロシュートが仲間に入れたいと言うのは、組織の中でも最底辺のチームに所属する下っ端のチンピラだった。それがプロシュートの親友の息子であり、養育を頼まれたのだと言う。よくあるタイプの不良少年で、逆に言えば更正のチャンスもまだある。
 こんな人生の掃き溜めのようなチームに敢えて引っ張り込む必要もないだろう、とオレは思った。だが、プロシュートだってそんなことくらい考えているのだろう。考えて、それでも仲間にしようと決断した。その理由にオレは興味をそそられた。

「知り合いのコネだとか、同情だとか、そんな生ぬるい理由じゃあねえんだ。あんたにはそう思えるかもしれねえが、オレはそいつに会ってきた」
「どうだったんだ?」

「……オレの目に狂いがなけりゃ、アイツは大物になる器だ」
 プロシュートがそんな風に単刀直入に誰かを高く評価するのは珍しい。

「よほど強いスタンド使いと見えるな」

「まあ、スタンドも強えぜ。でも重要なのはそこじゃあねえんだ。……なあアンタ、たとえばさ。オレとギアッチョが敵に捕まって、どちらか一人くらいは助けることができるが、その間にもう一人は確実に殺されるとしよう。そんなとき、アンタならどうする?」
「……お前を助ける」
「どうして?」
「ギアッチョには『ホワイト・アルバム』がある。自分の身を守れるのはギアッチョの方だ。お前を助けている間に、ギアッチョは自分の身を守れる」

 オレがそう答えると、プロシュートは「だよな」とつぶやいてうなずいた。
「オレもそう考える。常にリスクと勝機と天秤に掛けて、最善の選択をする。それが賢い生き方ってもんだ。だけどなリゾット……」
 プロシュートは窓の外に目をやった。だが、何かを見ているわけではない。そこからでは見えない、遠い何かに思いを馳せているのだろう。
「ペッシは違う。ギアッチョが平気だろうって分かってても、ペッシならオレとギアッチョを両方助けようとする」
「だがそれでは失敗するリスクが高い」
「ああ、無駄に二人を助けようと立ち回って、結局どっちも助けられないどころか自分も死んで終わるだろうな。少なくとも今のままのペッシなら、そうなる。……だから、オレが鍛える」

「…………………………」
 オレにはプロシュートの考えていることが分からなかった。状況判断のできない、才能もズバ抜けているわけではない、普通の不良少年。それをどうしてこんなチームに引き入れ、プロシュートが自ら教育しようとしているのか。

 そんなオレの困惑を、プロシュートは敏感に察知する。相変わらず勘の鋭い男だ。
「あのなリゾット。オレはペッシに、『未来』を見た気がするんだ」
「未来」
「そう。次の世代を、ペッシの中に見たんだ」
 そう言ってプロシュートは煙草を取り出し、火を付けた。うまそうに煙を吐き出し、言葉を続ける。

「オレらは生きるために人を殺してきた。自分が生きるために、無関係な他人を殺す。それがオレたちのやり方だ。だけど、人を殺して生きる時代はもうすぐ終わる」
「そんなことはない。人が生きるのに、何かの命を奪わないではいられない」

 それは絶望ではなく、自然の摂理だとオレは思った。だがプロシュートはクックッと肩で笑う。
「オレらは旧人類だ。命を奪うことが生きることだと思ってためらわねぇ。だが、ペッシは違うんだ。あいつは人を、それも大勢の人間をまとめて生かすことで生きる器を持っている。それは敵だとか味方だとか、そんなチャチなくくりで差別したりしねぇ。大勢の人間を、理由も理屈も抜きにして、まとめて生かす。新世代はそういう奴らが担っていく」

「……………………」
 プロシュートの言うことはやはり理解できない。今だって人を生かすことで生きている奴らは大勢いるが、それはいわゆるカタギの世界の話だ。ギャングのような底辺の人間はどこまでいっても殺し合い奪い合う運命にある。まさかそんな闇の世界までもが変わっていくと言うのだろうか。

 オレが戸惑っていると、プロシュートは愉快そうに笑った。

「ハハハ、理解できねぇって顔してるな」
「…………ああ、にわかには信じがたい」
「それはオレらが旧世代の人間だからだ。ペッシを見てりゃあ分かる。殺さなくても生きていける世界が、カタギだけじゃあなくオレらみたいな闇の世界にも訪れるんだ。ペッシはその頂点に立つ。そういう器なんだ、あいつは」
「そうか」

 それが正しいかどうか、オレには分からない。ただ、プロシュートが初めて「夢」のようなものを語った。それだけでもオレはプロシュートの願いを聞き入れる価値があるんじゃないかと思った。オレたちのような闇の世界の住人が、希望を持って未来の夢を語れることなんてまずないのだから。

 そう、これはきっとプロシュートの「夢」なのだ。戦争を生き抜き、生きるために殺してきた男が初めて見つけた、人生を賭けるに相応しい「夢」。

 オレはプロシュートが羨ましい、と素直に思った。そんなオレの心情を知ってか知らずか、プロシュートはやはり遠くを見るような目で満足げに語る。

「ペッシはまだ殺しをしたことがねぇ。暗殺の覚悟や心意気や方法(ノウハウ)だけは教えてやるが、オレはできるだけあいつに殺しをさせないで育ててみようかと思ってる」
「暗殺チームなのにか」
「そうだ。直接手を下さなくても、敵を黙らせる方法はいくらだってある。そうして血にまみれた暗殺チームから、殺人の穢れを知らない指導者(ボス)が出るんだ。面白いと思わねぇか?」
「そう上手くいけばいいが」
「やってやるさ。血を流さずに敵を下して、命を奪わずに敵を支配する。殺人も、麻薬も、脅迫も、旧世代の産物に成り下がって、まったく別のやり方で世界を支配する。ペッシはそういう大きな男になれるはずだ」

 プロシュートの口調はとても楽しそうだった。自分では叶えることのできない夢。血に染まった手ではもはや見ることすら許されない夢。それを、可能性という得がたい宝石を持った若者に託すのは、オレたちに唯一残された希望への道なのかもしれない。

 オレも、プロシュートも、他の暗殺チームのメンバーも、自ら選んでここへ集まった。それを他の誰のせいにすることもしない。運命というものがあったとしても、オレたちは自分の人生の顛末を運命のせいにする気はない。血を流し、穢れを背負い、罪にまみれ、それでも生きようと足掻き続ける人生。その責任は自分で取る。その覚悟がある。
 けれど、もしもそんなオレたちにもまだ「夢」を見るチャンスがあるとしたら。次世代を築く人材を支え育てて、彼が切り拓く未来を共に見ることができるとしたら。

(…………夢、か)
 それは不確かなものであり、曖昧で非現実的で、効率も悪く合理的ではない。それでも夢を持って生きるということは、人の価値観を根底から変えるほどの力を秘めている。たとえば人間と獣の差。豊かな精神と荒廃した本能の差。そこにあるものが、夢の正体なのではないだろうか。

「…………そうか」
「な、ワクワクしねぇか? いつまでも小さな街でブッ殺すブッ殺すって騒いで、身内同士で揉めたりいがみ合ったりしても何にもならねぇ。誰かに命令されて、人殺して罪悪感捨てて、ただうまいものを食って寝床を確保するための人生じゃああんまり寂しいじゃねえか」
「……どうだろうな。現実とはそんなものだ。そして、現実は甘くない」

 オレがそう警告すると、プロシュートは「ハンッ」と威勢良く吐き捨てた。奴の目が笑っている。きっとオレの本音が顔に出ていて、それがおかしいのだろう。
「リーダーとしては、そう言わざるを得ねえもんなァ。いいぜ、リーダーさんよ。だからこの件はオレが全て責任を取る。オレの気まぐれなワガママってことでまずは通してくれ。ペッシの教育はプロシュートに任せてある、ってな。そうしたら後はオレが個別に説明して回るさ」

「そんなことであいつらが納得するかどうか」
 うちには個性的でプライドの高いメンツが揃っている。いくらプロシュートの夢とはいえ、今いる仲間に悪影響が出るならオレは許可することはできない。だがそんな懸念すらプロシュートには想定の範囲内だろう。

「大丈夫だ、考えるよりぶつけた方が早い。このチームには『未来』が必要なんだ。閉塞感をぶち破って、いつか変わるかもしれねぇっていう希望が欲しいんだ」
「…………分かった、お前に任せよう」
「よっしゃ。このプロシュート兄貴の名にかけて、うまくやってみせる。楽しくなるぜ〜?」
「期待しよう」

 その後、オレたちは長いこと話し込んだ。過去のこと、現在のこと、奴の半生、オレの罪悪、才能、可能性、そして未来のこと。たくさんのことを話した。

 あの夜の酒のうまかったことは、今でも記憶に残っている。


* * * * * * *


 ペッシがこのチームにいる、ということは、他のメンバーとは違った意味がある。その意味については多かれ少なかれ全員が意識を共有していて、おそらく何も知らないのはペッシ本人だけだろう。

 ペッシが入って、いろいろなことが変わった。それは夢を持つ、という楽しみだけではもちろんなく、何も知らない無垢な子供に殺人者の素顔をさらけ出さなければならないという羞恥もあった。殺人を犯したことのない存在の前で、人殺しの自分を肯定しながら生きていくという苦行もあった。心境は、現状は、思っていた以上に複雑だ。
 だがオレたちはそれでもペッシを仲間と認め、今まで共に過ごしてきた。これから先も、ペッシを外すつもりはない。ペッシは依然変わりなくオレたちの仲間であり、未来だ。

 オレの沈黙に耐えきれなくなったペッシが、おずおずと口を開く。
「あ、あの……リーダー?」
「ああ」
「オレ……オレは、どうしたらいいんですかね?」

 頼りない視線がすがるようにオレを見る。今はまだ弱い子供だが、ペッシの中に隠された才能は確かなものだ。それはスタンド能力でもあり、人を動かす素質でもあり、覚悟の強さと広さでもある。そういうものが、こいつの中には眠っている。その片鱗をオレは何度も見てきたから、今でもペッシを信じている。

 だが、そういうことを言葉にしても、何も伝わらないだろう。

「ペッシ」
「は、はいっ」
「オレたちはお前に期待している。オレも、プロシュートも、他のメンバーもそうだ。お前の努力と才能に賭けているといってもいい」

「リーダーみたいな強い人にそこまで言われちまうと……なんだか逆に怖いッスね」
 へへへ、と笑うペッシの、年相応の素直な反応が羨ましい。こういう、いわば「ありきたりな」感情と心を持つからこそ、大勢の人間の上に立てるのではないかと予感させる。

「お前は、オレたちとは違う。次の世代を担う者だ。不安もあるかもしれないが、今はプロシュートの指導の元で力をつけることが重要だ。そうすればいつか必ず、お前の力がチームを救う日が来る」
「…………そうですか。そうですね。オレ、焦ってたのかもしれねぇ。オレみてえな弱虫がいきなりみんなと同じになろうったって、そんな抜け道はねえんですもんね。地道に頑張るしかないや」

 ペッシは深くうなずき、顔を上げた。その目は輝きに満ち、迷いを振り切って希望にあふれている。

(この光が、オレたちにはないものだ)

「時間はない。だが、焦る必要もない。迷わず、努力しろ」
「はい、分かりましたリーダー!」

 ペッシは立ち上がり、山のように大きな体を折って頭を下げた。さっきとは比べものにならないほど体が大きく感じられる。自信とは、これほどまでに人の印象を大きく変えるものか。

 ペッシが意気揚々と部屋を去る。一人になった事務室の中で、オレは付けっぱなしのパソコンに目を向けた。その薄暗い画面は、オレが探している人物の情報がどこにもないことを冷酷に告げていた。

「…………ソルベ、ジェラート」

 数日前から、二人の仲間の行方が分からなくなっている。あちこち手を尽くして探しているのだが、二人揃って消息を絶ったまま何の連絡も手がかりも入ってこない。何かトラブルにでも巻き込まれたのだろうか。こんな稼業をやっていて、何日も行方が分からなくなることはよくあることだ。彼らもきっとそのうち「ヒデー目に遭ったぜ」とか文句を言いながら帰ってくるだろう……とは、思っているのだが。

(嫌な予感がする……)

 最近、ボスの監視の目が厳しくなっている。組織内での暗殺チームの立場も厳しく、細かいことに気を配っていなければいつ足下を掬われるか分からない状態だ。

「無事でいればいいが」

 窓の外は灰色の空が広がるばかりで、心を慰めてくれる景色は見えない。オレは小さく息を吐いてパソコンを落とした

<END>











殺人事例なのに殺人してない。暗殺チームで唯一、人を殺した経験のないペッシ。そんなペッシの教育方針だとか、「ペッシに殺しをさせたことのない」リゾットの考えとか、そういうのを考えてたらリゾット一人称という文体に落ち着きました。リゾットがペッシをどう思ってるか、ということは、私の中でもまだ固まりきっていないところがあって、なおかつソルジェラの件があったことでリゾットも兄貴もペッシの教育に「誤算」が生じているという理由もあって、ふらふらと主張の弱いものになってしまったのがちょっと反省点。でも、ペッシはきっと特別なんだろうというのはずっと変わりません。本当はペッシが何度も「彼が特別である理由」の片鱗を垣間見せていて、兄貴やリゾットはそれを経験的に知っているからこそ彼を特別視しているという設定なのですが、ペッシの才能を示す顕著な具体例が提示できなくて強引だったかなぁ、というところも反省点。ペッシは難しい!
 By明日狩り  2012/09/03