殺人事例
〜マーダーケース〜


ホルマジオの場合









 華やかなパーティ会場は静かな盛り上がりを見せていた。時間が経つにつれてますます賑やかに、そして次第に品位を失っていく。始まった当初の落ち着いたは雰囲気はどこへやら、上流階級の人間が集う懇親会はすっかり大人の遊び場と化していた。酒の回った女が顔と懐具合の良さそうな男を漁り、下心丸出しの男は気さくでユーモアあふれる羽振りのいい自分を演出する。気の早い男女はもうしどけなく絡み合って濃密なキスを交わしたり、互いの体に触れ合ったりしていた。

 銀のトレイにアルコール類を乗せて、ホルマジオは男女の間を泳ぐように会場を回っている。黒のベストに白いシャツ、首元には黒いボウタイを巻いて、誰の目にも疑う余地のない完璧なフロア係の装いだ。活発的すぎるかと思われる丸刈りのヘアスタイルも、シャープなライン状の剃り込みが会場の雰囲気にクールに馴染んでいる。スマートな物腰でグラスを配り、人の記憶に残らないようなうっすらとした軽い笑みを浮かべて次へと移る。

(こーゆートコってのは、ほんとーにいつ来ても変わらねえなぁ。どいつもこいつも、同じ顔してやがる。型抜きのジンジャーブレッドマンかよ)

 パーティ会場を緩やかに移動しながら、ホルマジオは心の中で失笑した。男と女は水面を泳ぐ白鳥のように優雅な表情で談笑しているが、水面の下は必死であがいている。というかもう、水面下じゃすでにセックスしているようなものだ。どうせこの上辺だけの会話の後は、お約束のように皆ベッドに潜り込んでセックスするだけなのだから。

 あちらでも、こちらでも、男が自慢話を吹聴して、女がそれをわざとらしい驚き顔で誉めそやす。テーブルの脇で立ち話をしているのは、見ただけで値段が想像できる高級ブランドに身を包んだ壮年の男と、見ただけで抱きたくなるような露出の高いドレスを身にまとった女だ。

「あら、すてきなところにお住まいなのね」
「ええ、とにかく眺めがいいものですから、他のことは何も考えずに決めてしまいましたよ」
「そんなことないでしょう。有名なところだわ」
「まあ名前くらいは聞いたことがありましたけど。でも個人的に、あの丘から見える海がとても気に入った。……それだけですよ」
「それは是非見てみたいですわ」
 女がうっとりとした顔で攻撃を繰り出す。男は待ってましたとばかりにこれを受け止める。
「ええ、是非あなたにお見せしたい。特に朝日が最高なんです。こう、深いエメラルドグリーンの海から、バラ色の朝日が昇るところがね」
「夜明けの海……素敵だわ」
 女は吐息混じりにそうつぶやいた。よほどの間抜けでなければ、女が「その夜明けが来るまではベッドでセックスしていましょうね」と言っているのが分かるだろう。

(だいだいよォー、夜明けの海がエメラルドグリーンなわけねーだろうが。真っ暗な深い水平線から、うっすらとかすんでいくように闇が晴れていって、世界から色を弾き飛ばすような金色の朝日が射す。その光を反射して、黒と金が波の高さで縞模様を描く。それが夜明けの海の色だ)

 後ろで様子を窺っていたホルマジオはまたもや失笑した。だがこんな男女は海の色なんてどうでもいいのだろう。ただ女が男の部屋に上がり込む、あるいは男が女をベッドに引っ張り込む口実があればいいのだ。


(さて、盛り上げるとすっかな)
 ホルマジオは会話の邪魔にならない最適なタイミングと角度で、スッとトレイを差し出した。

「それはこんな海の色でしたか?」

 トレイには緑と青のグラデーションの色鮮やかなカクテルが、二つ乗っている。その明るい色合いは、ホルマジオがバーテンダーに「昼のカリブ海のような明るい海の色」とオーダーして作らせたものだ。男が「おっ」と片方の眉を上げ、その小さなカクテルグラスを取り上げた。

「そう、こんな素敵な色ですよ」
「まあ、綺麗……」
「しょせん人の手が作り出した物は、自然の美しさには敵いませんがね」
「でも綺麗だわ。あなたが言う朝焼けの海の色を、私も手に入れられそう……」

 女もグラスを手に取る。二人は視線を絡め、キスの代わりにグラスを小さく打ち合わせた。そして何かの誓いのようにそのカクテルを飲み干す。
 その様子を微笑を浮かべて見ているホルマジオは、心の中でやれやれと肩をすくめた。

(茶番につきあわされるほうの身にもなってくれよなァ。けどこれも仕事だから、しょーがねーけどなぁー)

 男がカクテルを飲み干したのを目で確認して、ホルマジオは感じのいいさわやかな笑みを女に向けた。
「まるで女神のようにお美しいですね」
 あくまでも腰を低く、ちょっとお世辞が過ぎるくらいの口調で言うのがこつだ。そうでなければ「このボーイは下心があるのか?」と疑われてしまうので、あくまでも「あなたたちのご機嫌を取っているのですよ」とあからさまに分かるくらいがいい。

「うふふ、嫌だわ」
「あなたの美しさは、誰もが己の立場を忘れて褒め称えたくなるのです」
 男がすかさず利用してくる。
(いいね、その根性は嫌いじゃないぜ)
 獲物に食らい付いて離さないしぶとさは、男としてなかなか見所がある。だが、こんな上流階級ぶった低俗な男には、この場所は似つかわしくない。
(悪いが、消えてもらうぜ……この世からな)

 今日のターゲットは、この男だ。株の売買と土地転がしであぶく銭を得た男で、最近はギャングとも繋がってますます金を増やしているらしい。だが、そのギャングというのがホルマジオの所属する『組織』と敵対していたのが悪かった。資金源となるこの男を潰せば、こちらの『組織』が動きやすくなる。

 ……軽々しくこの世界に足を踏み入れるとどういうことになるか、金持ちどもに見せ付けてやれ

 それがボスからの指令だった。このパーティに集まっている奴らは、素性は隠しているがどいつもこいつも後ろ暗い噂を抱えている。ギャングに資金を提供したり、手を組んで儲けようなどと考えている輩もいるだろう。そいつらに、ギャングの恐ろしさを見せ付けてやらなければならない。

(せっかくだ、華々しくいこうぜェ)
 ホルマジオは空になったトレイを脇に抱えた。

「少し、面白いものをお見せいたしましょうか」
「面白いもの?」
「何だろうか。面倒なことでチップを稼ぐつもりなら、その手間はいらんよ。ほら」
 女が興味を引かれたので、男は邪魔なボーイを追い払おうとポケットから札を取り出した。それをやんわりと手で制して、ホルマジオは軽く微笑む。
「こちらの女神の隣に、もう一人の女神をお連れしようかと思います」
「女神?」
「ええ。ですがこちらの生きた女神に並べては、ミロのヴィーナスを持ってきたとしても見劣りがしてしまうのは仕方のないことですが……」
 そう言って上目遣いに視線を送ると、頭の弱い女は手放しで喜んでいる。隣にいる男が面白くない気分でいることなど、気づきもしないのだろう。

「さあ、参りますよ。スリー、ツー、ワン……」
 おもむろに手を上げ、指を折ってカウントダウンする。つまらなそうな顔をしている男と、楽しそうに目を輝かせている女が、ホルマジオの指先に注目する。

「ゼロ!」

 −−−ドンッ

 掛け声と共に、鈍い爆発音が響く。床が揺れ、建物全体が一瞬だけ震えたような感覚に襲われる。
「わ…………」
 びっくりして目を伏せた女が、恐る恐る顔を上げる。

「え、え…………?」

 そこには、見上げるほどに高い、人間の倍ほどもある大きな石像が、突如として目の前に出現していた。

 前に一歩出した石像の右足は力強く大地を踏みしめ、強い風に吹きさらされている体をしっかりと前に向けて立っている。
 身にまとった薄衣は女性の体のラインに沿って緩やかに流れ、体を覆い隠しつつも胸のふくらみや滑らかな腹をより美しく際立たせている。
 そして両腕の代わりに雄々しく広げた翼は、風を受けて空を抱こうというかのように高く掲げられていた。

「サモトラケのニケだわ!」

 女は興奮して声を上げた。ルーヴル美術館ではミロのヴィーナスと双璧を成す、至宝の女神像とも呼ぶべき傑作である。躍動感と繊細さに満ちたこの美術品がこんな場所に現れるとは、何という粋な手品だろうか。

 うっとりとニケ像を足元から見上げていった女は、ふとおかしなことに気づいた。

「あら、このニケ、頭がある……?」

 サモトラケのニケはかくまでも有名な女神像でありながら、頭部と両腕が欠損している。いわば首なしの像だ。だが、高々と両腕のように翼を広げたこのニケには、頭が付いていた。

 ……ゆらり。

 女の見ている前で、ニケの首が揺れる。

「えっ……」

 ゆっくりとニケの首がうなずき、音もなく根元から折れた。そのまま首だけが静かに落下を始める。

「え………………っ?」

 ……ぼとり

 ニケの首は、女の足元に鈍い音を立てて着地した。

 それは勝利の女神像の頭部とはとても思えない、年を取った男の顔をしていた。目はびっくりしたように見開かれ、口はばかのようにぽかんと開いている。

 それは、さっきまで隣にいたはずの、壮年の金持ち男の頭だった。


「きゃあああああああああああ―ッッッ!!」

 咽喉も張り裂けんばかりに悲鳴を上げて、女はその場で崩れ落ちた。

「何だ!?」
「どうした?」
「いや、いやあああああ! 首が! 首があああっ!」
「な、何だこの像は!?」
「血まみれだ! 男の上に像が降ってきたのか!?」

 会場は騒然となった。
 ホールのど真ん中に、突然サモトラケのニケが現れた。だがニケの体は全身血にまみれ、勝利の女神というよりはむしろ、死体の転がる生々しい戦場を往くドラクロワの『民衆を導く自由の女神』のようだ。しかもその足元には、ついさっきまで生きてしゃべっていたはずの男の首だけが無造作に転がっている。

「何だ! 何が起きた!」
「きゃああああああああああ―ッ!」
「訳がわからん! 何なんだ、何の呪いだッ!?」

 そこへ、ニケの首の辺りから何かがひらひらと舞い降りてきた。天使の羽根のようにふうわりと空中を漂い、首のすぐ横あたりへひらりと落ちる。
 その一枚のカードには、紋章のような模様が描かれていた。見る者が見れば分かる、男が金を融通していたギャング組織のマークだ。

 慌てふためく人々を横目に見ながら、ホルマジオは涼しい顔で失笑した。
(オメーらへの警告だよ。しっかり怯えて、ボスからのメッセージを受け取ってくれよなァ)

 ギャングに手を出せば、どこの誰から命を狙われるか分からない。少なくともこの紋章を掲げている組織は下の人間の命を守ってはくれないということを、裏の世界に関与している者は理解したはずだ。

(さて、帰るとするか)
 ホルマジオは彼のスタンド『リトル・フィート』の能力を使って、小人のように小さくなって隠れている。そこらをうろついているボーイのポケットに隠れて会場を抜け出し、あとは人気のない場所でポケットから飛び出して元の大きさに戻ればいい。

「今夜の手品も、華麗に決まったなァー」
 首にきつく巻いてあるボウタイを緩めながら、ホルマジオは夜の風を受けて気持ち良さそうに深呼吸した。

 手品の仕掛けは、こうだ。
 あらかじめサモトラケのニケの等身大レプリカを用意し、それをスタンド『リトル・フィート』で砂粒ほどに小さくする。見えないくらいに小さくなった像をカクテルグラスに仕込んで、標的の手に渡るように仕向ければ終わりだ。後は離れた場所でスタンドを解除すれば、標的の腹の中で三メートルを超える重厚な女神像が一瞬にして元の大きさに戻るというわけだ。

 ホルマジオのスタンド『リトル・フィート』は殺傷能力が低く、小さくするのに時間もかかる。仲間には「くだらない」などとよく言われるが、スタンドというのは使い方次第だとホルマジオは考えている。

「今日もうまくいったぜ、相棒」
 声を掛けると、ホルマジオの背後で異形の影が立ち上がった。骸骨のようにつるりとした頭部。同じく骸骨のような白い鎧を全身に纏っているが、首や腕の稼働部は黒いボディが露出していて敏捷そうな風体だ。食いしばった歯をむき出しにしたような顔をしているが、草食動物のように丸くて黒い小さな目がどことなくユーモラスで温和な印象を与える。右手の人差し指だけが長く鋭利な刃物のようになっていて、この爪先がひとたび切り裂けば生き物でも無機物でも何でも縮んでしまう。

「さァて、帰るかァ」
 大きく伸びをして、ホルマジオは夜空を仰いだ。今夜も綺麗な星が一面にちりばめられ、その中天には美しい月が煌々と輝いていた。




<END>











「暗殺者のモチベーション」について考えるための考察その4です。今回はホルマジオ。「しょーがねーなあ」で笑い飛ばすホルマジオは、もののあわれも知ってて、なおかつ暗殺の時には非情な部分も見せてくれたりしたらかっこいいなああああ!と一人で興奮して書いたもの。いつもの「マーダーケース」シリーズは殺すことについて矛盾や苦悩を感じる暗殺チームを描いているのですが、今回はかっこよさだけで勝負してみました。マジオまじカッコイイ。マジオまじ王子。
 By明日狩り  2011/05/29