私は、完璧な人間だ。 どんな場所でも引けを取ることのない地位と肩書きを持ち、国民標準を上回る資金を確保して、己の道を優雅に歩む。 そのための計画性と実行力、すべてを予測する頭脳と先見の明。 経済的な豊かさと、本当の豊かさを兼ね備えた人生。 どんな大富豪も、王も皇帝も、私の豊かさには敵わないだろう。 しかも私には、世界中の人間がうらやむであろう、この世の至宝に巡り会う幸運を手にしている。 「ちひっ、なまくらセンパイvv たのしみですねえっ!」 私の机の上で新しい浴衣をだきしめ、嬉しそうにくるくる回るちひ君。それだけでも私の魂は歓喜のあまり天に召されそうになるのだが、シャッターを押すためには、ここで死ぬわけにはいかない。 「はなびの日には、これきるのです。そしたら、ちひのしゃしんとってくださいね!」 「ああ、もちろんだよ。そのためにデジカメを用意しているようなものだからね」 「ちひひっ、うれしいです〜」 今日も元気なちひ君は、間もなく開催される花火大会をとても楽しみにしている。東京湾で開催される大掛かりな花火大会のために、我々も遠征して見物に行く予定だ。せっかくだから、昼には浅草観光をして、夜に花火を見ようということになっている。 新しい浴衣も、その日のためのものだ。(ちなみに私が手配して仕立ててもらったものだ) 「良かったな、コネコちゃん」 「はいっ! みんなでかみなりもんと、せんそうじと、はなやしきと、はなびと、たくさん見るんです。ちひっ」 ちひ君はその笑顔を、不要な人間にまで惜しみなく見せている。残念ながら今回もまた、要らない奴までくっついてくるらしいが、仕方あるまい。 ちひ君の浴衣姿をデジカメに撮影する日を、私も楽しみにしている。 私の人生は完璧だ。 |
大江戸華火大会 |
8月12日 午前9時18分 星影法律事務所 |
「ちひゃあ…………」 その日は朝から変な天気だった。 ここ数日の真夏日はどこへいってしまったのか、空全体がどんよりと曇っている。夏の雲は、素人が見ただけでもどんな天気になるのかすぐに予想が付くほど分かりやすい。 「大雨……来そうだなァ……」 神乃木が事務所の窓にかけられたシャッターを指でこじ開けて、ため息を吐いた。 事務所で準備を整えてから浅草見物に出発する予定だったのだが、雨模様の空にちひ君の顔も曇りがちだ。 「ちひ、どうだ?」 「ちょっとまってください……。ええと……」 ちひ君は自分専用の小さな端末で、一生懸命に花火大会の情報を検索している。(頑張っている姿が萌える) やがて、あーっという悲しそうな声を上げた。(切ない声もまた萌える) 「はなび、中止になっちゃったみたいです〜!」 「まじか?」 神乃木が上からブラウザを覗き込み、あーあと声を上げる。(お前は要らないから、さっさと私の視界から退け) 「ちひ、こりゃ「えんき」って読むんだ。今日はなくなったけど、明日はやるってことだぜ。ま、仕方ねぇか」 「ちひゃ? はなび、なくならないのですか?」 「延期だからな。心配するな。予定を明日にずらせばいいことだぜ」 な?、と神乃木は私のほうを見た。 「………………おい、ぼんくらセンパイ、どうした?」 「あ、明日、なのか……?」 「ああ、明日だそうだ。事務所も夏休みだし、どうせアンタも予定なんざねえんだろう?」 「………………本当に明日、なのか?」 私は平静を装おうとしたが、おそらく失敗していたであろう。 予想外。想定外。完璧な私の計画にこんな落とし穴が開いていたとは!! 「あ、さてはぼんくらセンパイ……」 神乃木がニヤリと笑う。心の底から憎たらしい顔だ。 「あれか? 夏のまんがまつりか?」 「い、いや……それはその…………」 「いいんだぜ、別に。オレとちひだけで花火見に行けるしな」 知ったような顔でニヤニヤする神乃木は本当に死ねばいいと私は思う。 「ちひ……なまくらセンパイはおいそがしなのですか?」 ちひ君が悲しそうな顔をしてくれる。ああ、ちひ君! そんなにも私と一緒に花火を見たいのだねっ!! 「そ……そんなにこの私と一緒に花火を見たいと……」 「ちひのしゃしん、とってほしかったです〜」 残念そうなちひ君の顔を見ているだけで、苦痛のあまり魂が天に召されかける。 明日は、どうしても外せない予定がある。 もちろん、夏コミ最終日。しかも今回は宇在の手配でサークルチケットも手に入っている。サークルチェックはカタログといきつけサイトを巡回して漏らさず完璧、並ぶ列の予想時間から回る順路までシミュレーション済みだ。 今日が花火で明日がコミケなら大丈夫、とたかをくくっていたのだが……。 私の天秤には、萌え本と萌えちひが乗って右へ左へと揺れ動いている。 (どうする……どうするんだ私! 神はなにゆえ私にかような艱難辛苦をお与えになるのか……!!?) 「ちひ〜……」 しかし、ちひ君の心から残念そうな顔を見たとき、私の天秤は決まった。 「いや、明日だろう。当然一緒に花火に行くとも」 「ちひゃっ! ほんとですかなまくらセンパイ!?」 「もちろん。ちひ君の新しい浴衣も写真を撮らなければね」 「わーいわーい、よかったです〜。ちひひっ」 極上の笑みを顔に浮かべながら、私の心は血の涙を流していた。 それでいい。 オトコには、最上の萌えのために、その他すべての萌えを斬り裂かなければならないこともある。 その決断に踏み切ることができる、それが真の萌え探求者なのだから。 そして我々は翌日、一日予定をずらして共に出かけた。 ちひ君に用意した新しい浴衣は、赤いうさぎ柄。黄色い帯が映えて、ちひ君によく似合っていた。 浅草の名所を回り、各所でちひ君の写真を撮る。背景にいやみったらしいコーヒー色のキザオトコが映りこんでしまうのは、あとでフォトショで消せないものだろうか。 今回もちひ君の新しい魅力満載の写真がたくさん撮れた。中でも、浅草名物「どじょう」を食べるちひ君のショットは、思いがけないお宝映像となった。今までにないジャンルの一枚となったが、これはこれでレア写真として大切にしたいと思う。 花火大会は素晴らしく、ちひ君の喜び、驚く表情がたっぷりと堪能できた。花火色に照らされたちひ君の横顔は、デジカメなどでは保存できないほど美しい。 ……そして私は、大変な混雑の駅で、道で、会場で、恥ずかしげもなく美少女画像のプリントされた大きな紙袋を提げたオトコどもが闊歩しているのを横目に見ながら、「悔しくなんかない」と自分に言い聞かせていた。 <END> |
| コメント |
| 今年の華火大会が12日から翌日に延期されましたが、3日目の猛者たちは大丈夫だったんでしょうか? コミケの企業ブースでパワパフの声優イベントが開催されて、その告知が少女雑誌に載ってしまったとかいう話も聞きましたし、今年の夏コミは大荒れですね。事前に大騒ぎした上記の2件、結果を知らないのですが無事終わったのかな……。 |
| By明日狩り 2006/08/14 |