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僕とゴドーさんとエクセルとマクロ
「で、あとはこのマクロを走らせればおしまいだぜ」
「うわ〜、すごい・・・」
ゴドーさんの指が軽やかにマウスを滑らせると、エクセルの画面がちらちらと動いて、必要な数字だけが綺麗な表になって現れた。僕が経費の計算でいつもどんくさいことをしているのを見かねて、ゴドーさんが便利なプログラムを作ってくれたのだ。
本当はもっと早めにやらなきゃいけなかったのに、こんな年の瀬まで放っておいた僕が悪いんだけど。
「あとは毎回、ここに数字を入れれば勝手に計算しなおしてくれる。それくらいならアンタにだってできるだろう?」
「え、あ、はい。多分・・・」
「クッ・・・頼りねぇこった」
「うぅ・・・すみません・・・」
数字を入力するだけなのにあたふたしている僕を見て、ゴドーさんが笑う。
そりゃ笑うよな。ゴドーさんはエクセルの関数だの、マクロだの、そういうことまでできちゃうし、「簡単なプログラムくらいなら組める」らしい。たまにパソコンの黒い画面(プロンプト、だっけ? なんかアルファベットとか>とか¥とか出てきて、パソコンの難しそうなプログラムあたりをいじくれる奴)を操作していることもある。
僕にはプログラムなんてことは全然わかんないし、それどころかパソコンを立ち上げて、それを切るだけでもおっかなびっくりだ。前に印刷ボタンを押したら大量の印刷が始まっちゃって、あわてて電源を引っこ抜いたら怒られた。
パソコンのできる人っていうのは、いったいどこで覚えるんだろうといつも不思議に思う。
「ま、アンタがパソコンに弱いのは知ってるさ」
「うぅ・・・返す言葉もありません」
年賀状の宛名を手書きで書いていた僕を見かねて、ゴドーさんが印刷ソフトを貸してくれたのがつい先週のことだ。ついでだからと年賀状のデザインもしてくれて、今までで一番楽な年賀状作りになった。
使えば便利なのは分かってるんだけど、覚えるのがめんどくさくてどうしても逃げ腰になっちゃうんだよなぁ。
パソコンの画面と書類をせわしなく見比べながら、数字のキーをひとつずつ押していく。ゴドーさんのブラインドタッチとは比べ物にならないほど遅いけど、それでも電卓と計算用紙でやるよりははるかに速かった。
僕がもたもたパソコンをいじくっているのを眺めながら、ゴドーさんは機嫌よさそうにクッと笑った。
「見ちゃいられねえなァ」
「じゃあ、ゴドーさんが代わりにやってくれるんですか?」
目を輝かせながら振り返ると、ゴドーさんはますます機嫌よくニヤリと唇の端を上げた。
「おっと、ソイツは甘やかしが過ぎるってもんだぜ。自分のコーヒーは自分で淹れる。そいつが俺のルールだぜ」
「つまり、自分でやれってことですね」
「頭のいいコネコちゃん、キライじゃないぜ」
がっくりと肩を落として、仕方なくパソコンに向かう。
もっとも、目の弱いゴドーさんにはあまり細かいデスクワークをしてほしくないから、これも全部自分でやるつもりだったけど。
「あれ・・・あれ・・・数字出てこない・・・」
「まるほどう、Numロックかかってるぜ」
「あ、出てきた。・・・すみません、数字がなんか小さい気がするんですけど・・・錯覚?」
「テンキーで入れてるから半角なんだぜ。F9押してみな」
「あ、普通になった」
「ただ全角になっただけなんだがな」
「あれ・・・・か、漢字にならない」
「そっちの半角/全角キー、だぜ」
「あ、出てきた」
自分でやる、と言ったものの、次から次へとエラーが出てくる(もっとも、ゴドーさんに言わせればこんなのはエラーのうちに入らないらしいけど)。
だいたい同じボタン(じゃなくて、キーか。もうどっちでもいいけど)を押しても同じようにならないなんて、ずるいと思う。分かりづらいにもほどがある。
パソコンをもたもたいじりながら、僕はだんだん腹が立ってきた。
「なんでシフトを押しながらだと、違うのが出てくるんですか!?」
「そういうもんだからさ」
「なんで『雪印』じゃなくて『アスタなんとか』って名前なんですか!?」
「そういうもんだからさ」
「なんでアルファベットもひらがなも、バラバラに並んでるんですか!?」
「そういうもんだからさ」
僕にとってはごく素朴な疑問なのに、ゴドーさんは「そういうもん」だと思って納得してるらしい。
でも僕は絶対に納得いかない。わざわざこんなに分かりづらくしてあるのは、ひょっとして誰かの意地悪なんじゃないだろうか。パソコンのできる人が、できない人を笑いものにするために・・・それはちょっと被害妄想が激しいか。
頭に血が上ってきた僕は、パソコンよりも過熱している。パソコンは便利だと知っていても、こうなっちゃうと本当に便利なんだか何なんだか激しく疑問だ。
「えーっと、えーっと、k・・o・・k・・・y・・a・・k・・・・・あ、間違えた。えーと消しゴムボタンは・・・」
「消しゴム? バックスペースのことかい?」
「カタカナで言わないでください。消しゴムボタンって言ってください」
「ワガママなとんがり頭だな」
「あれ、消えない・・・」
「Deleteじゃだめだ。Back Spaceでなきゃ」
「えーっ、何で消すだけなのに2種類もあるんですか!? もー意味わかんないですよー!」
「泣き言はすべて終わってから言いな。ひとまずデリートしてやり直しだ」
「うーっ、k・・・o・・・k・・y・・・・・あれ、ユーはユーは・・・」
「YOUは愛の隣人、だぜ。ほら、iとuはここに並んでる。妬けるねェ」
「あ、いた。もー、なんですぐいなくなるかなぁ! u・・・・と。あーもうっ、「変換」ボタン押したのにちゃんと字が出てこない!」
キーボードにはたくさん文字が書いてあるのに、予想通りの動きはほとんどしてくれない。「変換」ボタンは変換してくれないし、「英数」ボタンは英語も数字も出さない。「半角/全角」ボタンなんか、押したとたんに入力した文字がロックされて切り替えてもくれない。
「スペースキーを何度も押してみな。変換候補が変わるぜ」
ゴドーさんは冷やかしと親切が半々くらいの口調で、丁寧に教えてくれる。法律や裁判に関することなら素直に聞けるのに、どうしてパソコンだとこうなっちゃうんだろう。
僕の口調はだんだんやつあたりっぽくなってきてしまった。
「何、スペースキーって何ですか!?」
「この、何も書いてない純潔のお嬢さんさ」
「もー、もーっ、だったら「変換」ボタンいらないじゃないですか! もーっわけわかんない! もーっ!」
「なんだいアンタ、コネコちゃんは廃業して牛になっちゃったのかい?」
クックッと笑うゴドーさんの軽口も、オーバーヒート気味の僕にはちょっと毒が過ぎた。
「うるさいなあッ!!」
「・・・・・・・」
「・・・あ」
かなり大きな声を出してしまってから、はっと我に返った。こんな大声を出すことじゃない。第一、せっかくプログラムを作ってくれた人に対して、こんな態度ってないと思う。けれどイライラしてた僕は、とっさに「ごめんなさい」が出てこなかった。
ゴドーさんは怒ったのか、むっと口をつぐんだ。
一瞬だけゴドーさんと僕の目がかち合い。
そして僕の見ている目の前でいきなり机のコンセントを引き抜いた。
バチン、と音がしてパソコンの画面が暗くなる。
「な、なにするんですかっ!?」
「踊らされるなよ、まるほどう」
手にした黒いコードをぶらぶらともてあそび、ゴドーさんはクッと笑った。
「道具に使われちゃ、人間オシマイだぜ?」
「あ、危なっ」
プラグの先端を目の前に突きつけられ、僕はとっさに目をつぶる。
その瞬間、追撃のように唇をふさがれた。
「んんっ・・・」
驚いて跳ね除けようとしても、思いのほか強い力で抱きすくめられている。
「で、でも・・・」
「うちの所長さんは、機械にこき使われる下っ端ロボットじゃないだろう? 主体はアンタだ。踊らされてちゃ、いい仕事できないぜ」
ゴドーさんの目は怒っていない。ただ、いつものように余裕の笑みでクッと笑った。
僕を抱きしめる大きな腕は優しくて、まるでじゃじゃ馬をならすようだ。
ああ、もう。僕ときたらなんて情けないんだろう・・・。
「すみません。興奮しすぎました」
「物分りのいいコネコちゃん、キライじゃないぜ」
「あーあ、もう。休憩しましょう。頭に血が上っちゃってますね、僕」
仕事に関してはわりと冷静に(無我夢中ではあるけど)対処できると思っていたのに、こんな風になるなんて恥ずかしい。やっぱりパソコンは苦手だな、と僕は思った。
「慣れれば楽になるもんだ。ま、無理せず付き合っていくこったな」
僕は立ち上がり、気分転換のコーヒーを淹れる。
(まだまだ・・・だなぁ)
自分のことは嫌いではないけど、ゴドーさんといると自分に足りないものが何なのか、よく分かる。
そういう意味でも、ゴドーさんのそばにいるのは僕にとって嬉しいことだ。
「僕、ゴドーさん好きですよ」
何気なく言うと、ゴドーさんはやっぱりいつものようにクッと笑う。
「オレもアンタのそういうとこ、好きだぜ」
「・・・・・・!」
自分で言うのは平気なのに、言われると恥ずかしい。思わず赤くなった顔を背けて、僕はため息を吐いた。
今年も一年、ゴドーさんと一緒にいられますように。
【了】
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