たくさんの事件があった。

 その数々の物語を経て、成歩堂は人生のパートナーを選んだ。

 神乃木・ゴドー・荘龍。

 優しさ、強さ、弱さ、情熱、プライド、こだわり。熱いものをたくさん秘めた、悲しい男。

 その人生に寄り添うためになら、人生をかけられると、思った。



 二人で生きていくのだと、思った。

 二度と離れることはないと、決めていた。



 けれど、物語は続いていく。人が、生きている限り。

 童話のように、昔話のように、「二人は末永く幸せに暮らしました」なんて人生は、ない。



 運命は、二人を再び別々の未知へと導いていく。

 成歩堂からも。

 ゴドー神乃木からも。

 二人の道は同時に、別れ始めていた。












生きて行く日々の始まり・1











 綾里春美が、倉院流霊媒道の家元を継いだ。
 家元を継ぐのに誰がふさわしいか、という問題については、倉院の里でも相当にもめたらしい。けれどそのあたりのいきさつは、成歩堂も詳しくは知らない。ただ、結論として、春美が家元を継ぐことと、その後見人として真宵が面倒をみるということだけは聞いた。
 春美が家元になる儀式には、成歩堂とゴドーも参列した。


「立派だったぜ、お嬢ちゃん」
「わぁ、ゴドーのおじさま、それになるほどくんも! ありがとうございますっ」

 儀式の後、すひと言だけでも話がしたくて、どうにか春美に取り次いでもらうことができた。

「なるほどくん、ゴドーさん、来てくれたんだね。ありがとう! はみちゃん立派になったでしょう!?」
 真宵が自分のことのように自慢する。ゴドーはクッと笑って言った。

「ああ、どっちのコネコちゃんも立派だった。春美に、真宵。アンタたちは最高のオンナだぜ」
「うわぁ! はみちゃん私たち最高だって!」
「まあぁ! オンナだなんてお恥ずかしい!」
 儀式のための荘厳な着物を身にまとったまま、二人はきゃっきゃと笑い声を立てて喜んだ。

「春美ちゃん、真宵ちゃん、その……なんていったら良いか分からないけど、おめでとう」
 成歩堂は曖昧な表情で、とにかく笑顔を作った。本来ならば真宵が家元になるべきだったのに、こうして春美にその席が回ってきたのには、いろいろな思惑と理由があったのだろうと思う。これが本当にいいことなのかどうか、部外者である成歩堂にはわからなかった。
 けれど。
「うん、ありがとうなるほどくん! 私、本当に良かったと思うよ!」
 真宵の笑顔がはちきれんばかりだったので、成歩堂も素直に笑顔がほころんだ。

「そうか……そうだね。真宵ちゃんがそう言うなら、良かったんだ」
「うん。はみちゃんのほうが霊力も強いし、控えめだし、頭も良いし、きっと家元に一番相応しいと思うんだ」
「ま、真宵様! そんなことはありませんっ! わたくしは真宵様こそ相応しいと思います!」
 春美が必死になって訴えるので、真宵はあははと軽く笑った。
「ありがとう、はみちゃん。でも私、陰の実力者タイプだからね。はみちゃんとか、なるほどくんとか、そういうのを影で守るほうが断然向いてるんだよ」
「本当に、そうかもしれませんね。真宵様がいなかったら、なるほどくんだってどうなっていたことか……」
 おいおい、と冷や汗を垂らす成歩堂だが、あながち否定もできない。

「クッ……言われちゃったな、まるほどう」
「まぁ、真宵ちゃんたちがいなかったらここまで来られなかった、っていうのも本当ですから」
「そうだなァ。コネコちゃんあっての事務所だからな、あそこは」
「……誤解を招くような言い方は止めてくださいよ」
 「かわいこちゃんあっての事務所」では、キャバクラかなにかと誤解されかねない。


 儀式はすぐには終わらず、この後もさまざまな仕事があるのだと真宵が言った。
「せっかく来てくれたのに……ごめんね。あんまりお話できなかったよ」
「いや、こちらこそ邪魔してごめん。でも、呼んでくれて嬉しかったよ」
「頑張るんだぜ、小さなコネコちゃんたち。オレたちにできることがあったら、いつでも呼んでくれ。飛んでくるぜ」
「ありがとう、ゴドーさん! なるほどくんより頼りにしてるよ!」
「ひどいよ真宵ちゃん……」



 そうして、成歩堂とゴドーは倉院の里を後にした。
「コネコちゃん……大丈夫かねぇ……」
 帰りの電車の中で、ゴドーが不意につぶやいた。
「真宵ちゃん、元気そうだったじゃないですか」
「いや、どちらかというと、春美のほうだ」
 ゴドーの表情が翳る。

「春美ちゃん?」
「さすがに、しんどいんだろうぜ。最後のほうはずっと黙って、こっちを見ているだけだった……」
「そうですか……まだ小さいから心配ですよね」
 そこまで見ていなかった自分が恥ずかしい。そして、そこまで見ているゴドーはやっぱりすごいと思う。

「ゴドーさんって、やっぱりすごいですね」
 成歩堂が改まって言うと、ゴドーは予想通りニヤッと笑ってこう言った。
「よせやい。照れるぜ」





 それから、数日が経って。
「はい、成歩堂法律事務所………………ああ、はみちゃん。どうしたの?」
 相変わらずひまな事務所にかかってきた電話は、春美からだった。
『あの、お忙しいところ申し訳ありません、なるほどくん』
「……大丈夫だよ、お忙しくないから」
『ええと……あの……あのぅ…………』
「何? どうかしたの?」
『あ、あの……ゴドーのおじさま、いらっしゃいますか?』
「え? ああ、うん、いるけど。ちょっと待ってね」

 首をひねりながら、成歩堂は受話器を掲げてゴドーに声をかけた。
「ゴドーさん、はみちゃんから」
「俺にかい?」
「ええ」

 ゴドーもまた首をかしげながら、電話に出た。

「ゴドーだ。…………ああ、大丈夫さ。お嬢ちゃんこそ元気かい? ……………………そうかい、そりゃあよかったな。………………」

 ゴドーと春美がどんな話をしているのか、まったく想像がつかない。
 成歩堂は机に頬づえをついて、ゴドーのほうを見ないように顔を背けて、窓から見えるホテルバンドーの外壁をじっと凝視していた。

「ああ………………いや、嘘じゃねえ。本気だ。オレは…………クッ………………」

 何だか、心の中に涼しい風が吹いている。
 受話器の向こう側に届けられるゴドーの声が優しくて、思いやりに満ちていて。
 それを聞いていると、なぜか高い山の上に登っていくような気がした。

(なんだろう、これは)

 窓の外を見ながら、成歩堂は今まで感じたことのない、不思議な気分を味わっていた。

 心にぽっかりと穴が開いたような、けれど寂しくはない感じ。
 なぜか、何かに納得している。
 それが何なのかも分からず、なぜ納得しているのかさえ分からないけれど。
 この世の真理を理解して、世界を高みから見下ろしているような、そんな感じ。

 きっと、心のどこかに、その「予感」があったのだろう。


 電話が切れた。
 ゴドーが、視界に入ってくる。

「なあ、まるほどう」
「ええ」
「ちょっと、いいか?」
「ええ、いいですよ」

 頬づえをついたまま、成歩堂は視線をゴドーに向けた。そして、にっこりと笑う。

(クッ………………)
 その笑顔にたじろいで、ゴドーは心ひそかに苦笑した。
 成歩堂の笑顔が、やけにチヒロに似ていた。

「倉院流の家元から、電話があった」
「春美ちゃんのことでしょう? なんでした?」
「…………手を貸して欲しい、だとさ」
「へぇ、あの春美ちゃんが? そう言ったんですか?」
 これには成歩堂も本気で驚いた。何でも一人でやってしまおうと頑張る春美が、助けを求めてくるなんて。
(信頼されてるんだな、ゴドーさん)
 少しばかり、嫉妬した。

「ああ、家元から直々のご依頼だ」
「どんな?」
 さりげない問いかけが、やけに成歩堂らしくない。こんなときならいつも不安がって上目遣いに見てくるはずなのに、今日は妙におとなしかった。

「手を貸してほしい…………だとさ」
「へえ」

 淡白な会話が、ますます成歩堂らしくない。
 ゴドーはクッとふてぶてしく笑った。
(ピンチ、だぜ。オレらしくもねぇ……)
 けれど、笑ってごまかせる話ではない。ゴドーは、やけに涼しい目をしている成歩堂の前に座って、ゴーグル越しに強い視線を投げかけた。

「コネコちゃんたち、相当いじめられちゃってるらしいぜ」
「そうですか…………心配だな」
「ああ、それでだ。…………正義の味方がほしいんだと」
「味方? 正義の味方ですか? トノサマンみたいな?」
「コネコちゃんらしい発想だぜ。だが、あながち夢物語とも言えねぇな」

 電話を掛けてきたのは春美本人で、その口からは詳しい事情は聞けなかった。
 だがその声は、正義の味方に助けを求める子供そのものだったと言う。

「倉院の里も、怖いところですからね。……真宵ちゃんと春美ちゃん、2人だけじゃ本当に心配です」
「ああ。だから、あんな声で鳴いてたんだろうぜ…………か細い声で、たったひと言、『たすけてください』ってな」
「ゴドーさん」

 成歩堂はゴドーの目を見て言った。

「ゴドーさん、綾里法律事務所の後継者として、僕はあなたに彼女たちを救ってほしい」

「…………クッ、後継者ときたか」
 成歩堂の目は、確かにチヒロの遺志を語っていた。

「でも……アンタはそれでいいのかい?」
 成歩堂は事務所を離れることができない。
 倉院の里は遠く、ここから毎日通いで行くことはできないだろう。
 もし行くとなれば、2人の間に確実に距離が生まれる。

「当然です」
 だが、成歩堂は間髪入れずに答えた。即答だった。両手を机の上で組み、背筋を伸ばして、成歩堂は言った。

「僕は真宵ちゃんと春美ちゃん、それから千尋さん、倉院流霊媒道に助けられて今こうしていられるんです。それに貴方は綾里一族に償いをしなければならないでしょう?」
「…………………………」
「僕らは、何を犠牲にしたって彼女たちを助けるべきだ。それに……」

 真顔で語っていた成歩堂が、柔らかくはにかんだ。
「僕もゴドーさんも、2人を助けたいって心から思ってるでしょう?」
「…………クッ、少しはためらえよ、まるほどう」
「無理です。僕も貴方も、絶対に助けに飛んでいく気まんまんですからね」
 笑う成歩堂が力強い。
(別れを惜しむでもない…………か)
 ゴドーは、こんな話を持ちかければ成歩堂がごねるような気がしていた。あるいはそうしてほしいとどこかで願っていたのかもしれない。
 だが、どうやら成歩堂は夢も見させてはくれないようだ。
(クッ…………甘いねェ、オレも………………)

「即決だな、所長サン」
「はい、すみませんが、あの子達のことよろしくお願いします」
 成歩堂は、まるで真宵と春美の身内であるかのように、ゴドーに頭を下げた。その仕草、その声の響き、そのすべてがチヒロと重なる。

「よせやい。あいつらはオレの大事なコネコちゃんだからな」
「へぇ、じゃあ僕のことは?」
 不意に成歩堂が聞いてくる。人懐こい瞳がいたずらっぽく笑っていた。
 突然心の中に飛び込まれて、ゴドーはとっさに言葉が出なかった。
「………………………………」
「あ、ひどい。僕のことはもうコネコちゃんじゃないんだ」
「…………………………子悪魔、になっちまったみてえだからな」
「あ、もっとひどい」
 ふてくされて見せる成歩堂がかわいくて、ゴドーはついクッと笑ってしまった。

「なんですかゴドーさん、ピンチなんですか?」
「……クッ、違いねぇ。大ピンチだぜ」
「ふぅん。ゴドーさんは案外冷たいんだな」
 責めるような視線を送ってくるが、その目はやっぱり少しいたずらっぽく笑っている。

「アンタというカップなしじゃもう、コーヒーも飲めねぇ。それくらい、アンタだって知ってるだろう?」
「ま、行ってくださいって頼んでるのは僕なんですけどね」
「ありがとよ、まるほどう。オレはアンタがこうしてゴネてくれるだけで幸せさ」
「………………悪魔はそっちじゃないか」
 軽い腹の探り合いが心地良い。
 結局、ゴドーも成歩堂も、本心は離れたくないと思っていながら、いまなすべきことをちゃんと理解している。

「ゴドーさん」
「まるほどう…………少し寂しくなっちまうが、な」
「大丈夫ですよ。これでお別れってわけじゃないんだし」
「そうだな。どちらかというと、あっちのコネコ2匹より、こっちのコネコ1匹のほうが心配だしな」
「そんなことないですよ。仮にも所長、ですからね」
「本当に仮、みたいなもんだけどな」
「あ、ひどい」

 軽口の応酬。気持ちの良い会話のテンポ。
 もうすぐ日常でなくなってしまうその何でもないひと時を、二人は深呼吸するように味わっていた。






<続く>







ちょ、ちょっと続いちゃった。私の3と4の間の話になります。成歩堂日記では3の後まる一年分を書いてしまったので、4との間に誤差が出てしまいましたが、まあそこはそれ。3の後に謎の一年を挟んで、4へと繋がっていくような感じです。はい。
次で終わるかな、これ。
 By明日狩り  2007/05/21