涼しい夏のスイートな夜  






「なんだ、これは?」
 いつものように出されたお菓子を見て、御剣は不審そうに眉根を寄せた。

「キライかい?」
 夏だというのにホットのコーヒーに口を付けて、神乃木はほっと一息吐いた。赤いシャツの胸元をくつろげ、向かいのソファに腰掛けた御剣の様子を満足そうに見つめる。

 一日の仕事を終えた開放感と、一週間ぶりに可愛いコネコちゃんに会えた嬉しさで、神乃木はご機嫌だ。

「いや、そうではないのだが……」
 慌てて首を横に振った御剣は、それでもまだ不思議そうな表情でお菓子と対峙している。

 低いガラスのテーブルには、洋風の皿に似つかわしくない和菓子がちょこんと乗っていた。笹の葉に包まれた丸いそれは、隣に添えられたお茶のグラスと共に、心地よい夏の夜を演出している。
 つやつやと光る笹の葉の中に、ちらりと緑色の餅が見える。よく冷えたグリーンティーには、御剣の好みに合わせてほんの少し砂糖が入れてある。さらには神乃木の粋な趣味で、細く小さな観賞用の竹の枝が挿してあり、ちょっとした一輪挿しの風情をかもし出していた。

 ひんやりと露をまとったお茶のグラスの中で、氷が涼しげにカランと鳴る。

「麩まんじゅうだぜ」
「………………」

 獲物を狙うコネコのような目でじっと和菓子を見ていた御剣は、やがてあきれたような顔で小さくため息を吐いた。

「お前の辞書にまんじゅう、などという文字があったのか」
「……なんだい、そりゃ」

「似合わん」

「……ひどい言い草だな」
 やれやれ、と肩をすくめて、神乃木は困ったように笑った。


 法廷での衝撃的な出逢いから数ヶ月。
 甘えることを知らない可哀想なコネコちゃんに甘いものを食べさせたら、思いのほか懐いてくれたのが嬉しかった。
 毎週のように自宅に迎え入れ、そのたびに新作ケーキだの有名店のスイーツだのと次々に取り出して見せるのが楽しくて、この数ヶ月で神乃木はすっかりスイーツ通になってしまったくらいだ。

 しかし言われて見れば確かに、和菓子を出すのは今日が初めてだったかもしれない。

「今日、事務所のジイさんに頼まれて水ようかんを買いに行ったんだが、そこで見つけたんだ。たまには和菓子も悪くねえかなと思ったんだが……イヤならいいぜ」

 すかさず皿を取り上げようとすると、御剣はそれ以上に素早い動きでさっとその手を留めた。

「いや、せっかくだ。頂こう」
(そう言うと思ったぜ)

 何だかんだと文句を言いながらも、結局は甘い物に弱い。
 そんな御剣の性格も、もうすっかり知り尽くしている。

(素直じゃねえコネコちゃん、キライじゃないぜ)

 本心を見抜かれているとも知らずに、御剣はすました顔で笹の葉を開いた。そしてまた眉根を寄せる。

「…………………………」
「なんだい、今度は?」
「……不細工な菓子だな」

 不透明な乳緑色の餅は、ところどころ濃い緑の斑点が入っている。ぼってりとしたその丸い物体に、御剣は不満そうな顔をした。

「菓子は見た目が大事だと思わないか? 和菓子にも美しいものはあるが、まんじゅうというのはどうも無粋なものだな」
「クッ……美人さんには、美人な菓子じゃねえと気に入ってもらえねえか。かわいそうなまんじゅうだぜ」
「まあ、せっかくだからいただくが」

 冷えたグリーンティーのようにつんと透明な表情で、御剣は軽く麩まんじゅうをつまみ上げ、柔らかな餅に噛み付いた。


「………………ん」

 その瞬間、御剣の表情が変わる。

「………………んむ」

 不機嫌そうだった目がきらりと光るのを、神乃木は見逃さなかった。
「…………………………クッ」

 表情には出していないつもりなのだろう。御剣は何事もなく、残りの餅を口に放り込んでゆっくりと味わっている。
 けれど、神乃木には手に取るように分かっていた。

「……うまいだろう?」

「…………………………」

「人は見かけじゃ、判断できないんだぜ?」

「……まんじゅうは、人ではないが」

 もぐもぐいいながら、御剣はすました顔でお茶に手を伸ばす。
 その顔には、神乃木だけに分かる顔色で『これは、とても、気に入った』と書いてあった。

「冷たいのに、ふっくらと柔らかい。それに表面は薄い塩味で、中もまた薄い甘味の餡が入っている」
「和菓子にしちゃ重くないだろ?」
「うム、こんなに軽い和菓子というのは初めてだな。……麩まんじゅうか」

 こってりと重たい味の多い和菓子だが、この麩まんじゅうはあっさりしていて軽い口当たりが特徴的だ。
 冷やすと美味しいので、夏の和菓子の中でも隠れた名作のひとつである。

「……神乃木は、いろいろなものを知っているのだな」
「まぁな」

 あらゆる意味でこの世の「甘さ」に飢えている御剣を喜ばせるためなら、神乃木はどんな努力もいとわなかった。



 グリーンティーを竹の枝でかき回しながら、御剣はほっとため息を吐いた。
「今日は笹だらけだな」
「そりゃそうだろ。今日は7月7日だぜ?」

 七夕の日に御剣と会えたのだから、これくらいの演出は当然したくもなる。
 緑一色にそろえたティーセットも、七夕のイメージを再現しているつもりだ。

「報われない恋人たちの日だからな」
「………………?」
「ベンゴシとケンジなら、天の川より遠いかもしれねえぜ?」
「…………ああ、そうか。今日は七夕だったな」

 そこまで言われて、御剣はようやくそのことに気付いたらしい。食べつくした麩まんじゅうを見て、あきれたような顔をする。

「七夕のつもりだったのか。お前はアホみたいだな」
「完食してその感想はあんまりだぜ」

 せっかくのロマンも、貴族のコネコちゃんにかかると『アホみたい』になってしまうらしい。神乃木は苦笑して御剣の隣に腰掛けた。

「オレがせっかく、コネコちゃんのために用意したのにな」
「七夕セットをか? 子供のような真似をするのだな」
「でも、悪くないだろう?」

 色白の額に軽くキスをすると、御剣はムぅ、とうなって顔を背けた。

「……お前にしては、センスがいい」
「言ってくれるぜ、コネコちゃん」

 御剣はくったりと首をもたげ、神乃木の胸に寄り添った。
「七夕か。そんな行事も久しく忘れていたな」
 思えば幼い頃、まだ父がいたときには七夕も祝っていた。神乃木に出会ってから、御剣は幼い頃に忘れたままの大切なものをひとつずつ取り戻しているような気がしていた。

「なんなら、短冊でも吊るすかい? 願い事を書いて」
「ふん、児戯だな」
 鼻で笑った御剣の頭を撫で、神乃木はクッと咽喉を鳴らした。

「コドモの遊びはキライかい?」
「いまさらそんなことをするバカはいないぞ」

「じゃあ、オトナの遊びなら?」

 七夕は、引き離された恋人たちの日だぜ、と神乃木は囁いた。

「……………………フン」

 神乃木の言葉を思い出して、御剣は目を細める。
『ベンゴシとケンジなら、天の川より遠いかもしれねえぜ?』

(確かに、私とお前は恐ろしく遠い関係だ……)

 今はこうして会うこともできるが、いつ狩魔に知られるか分からない。そうなったら織姫と彦星よりも絶望的な距離が、2人の間を引き裂くことになるだろう。

「…………恋人同士とは言えないが、お前の遊び相手ならしてやってもいい」
「はいはい、まったくお姫様にはかなわねえな」

 背の高い神乃木の顔を見上げて、御剣は薄く笑った。
 気高く繊細なその表情に、神乃木は小さく息を呑む。

「オトナの遊びとやらを、するのだろう?」

(ああ、こいつときたら)

 御剣のこの表情に、いつも心を奪われる。

 艶然と、怜悧に。
 気高く、果敢無く。

「……遊んでくれよ、お姫様」

「お姫様は余計だ。きざなコーヒー弁護士風情が」

 憎まれ口をたたきながら、高貴な目で神乃木を誘う。
 その唇を奪って、神乃木は御剣をソファへとゆっくり横たえた。










 刹那に求め合う2人には、窓に映る満天の星空も目に入らない。

 ただ熱く、今という時間を重ねあって。

 短い夏の夜は過ぎていく。








<END>



麩まんじゅうが大好きです。うまいよ。
神ミツは4月のデビュー戦から神乃木毒殺未遂の8月までの5ヶ月間しかないので、その間にある唯一のイベントが七夕なんですよね。なんでもないようなことが幸せだったと思えるようなカップルが好き。
 By明日狩り  2006/07/07